第10話

 軽く体を流し、ぺたぺたな服をお湯で濯ぐ。絞って水気を切り、それを持って脱衣所に出ると、制服を持った先輩が椅子に座っている。

「着替えは袋入れとけ。下着は俺の予備のやつ使えばいいから」

「すみません…ありがとうございます…」

違う洗剤の匂いのするそれらを身につけて、汗で少し湿ったカッターシャツを着ると、さっきまでの失敗した姿が思い出せないくらいに完璧な練習帰りの高校生に戻る。

「今日はありがとうございました…練習止めてしまってすみません…」

「いーっていーって。どうせ筋トレと走るぐらいしかできねえからな。それよりこれ飲んどけ」

「あ、えと…」

スポーツドリンクを手渡される。

「水分とってないだろ?立ってないでこっち座りな」

「あ、はい、失礼します…」

なんだろ、何か、先輩の顔が怖い。やっぱりいっぱい迷惑かけたからだろうか。

「俺、そろそろ帰りますね」

「あー…ちょっと休んでけ」

「は、はい…」

もらったドリンクを二口三口飲んで、受け取った荷物を持って立とうとすると、またやんわりと止められる。さっきとは打って変わって歯切れが悪い。

「…どう切り出せばいいかわかんねえから単刀直入に言うわ。お前、嫌がらせされてるだろ」

「…え…?」

シャワーで温まった体がザッと冷える。

「なんで、それ、…あ…」

言いかけて思い出す。俺のロッカーの、あれを見たんだ。一見すると見えないけれど、知らない人の荷物を探すとなると、あちこち触って探すと見えてしまうだろう。俺の通学鞄の後ろにその袋が見える。

「いつからなん?ただの悪戯の範疇を超えてると思うんだけど」

「二軍入ってすぐぐらい…」

「休んでたのもそれが原因?」

首を縦に振ると、先輩から緊迫感のある溜息が漏れた。

「相談はした?家族とか友達とか」

「してない、です…」

「誰にされたかは分かるか?」

「それは…」

昨日は相談しようとしてたのに、いざその機会がくると頭が真っ白になって言葉が出てこない。

「あ…え、と…」

沈黙が痛い。頭の中に人は浮かぶ。でも、あの人達が本当に犯人っていう証拠はない。もし違ったらって考えが頭をよぎってしまう。

「え、と、」

あ、まずい。声とともに視界が滲む。ぼろぼろと頬を伝っていく涙。息を止めても、深呼吸しようとしても口から出てくるのはみっともないしゃっくりだけ。

「お前なぁ…こーなっちゃう前に言えよなー」

背中を撫でる手が優しい。

「だって、」

「だって?」

「さいしょはそこまでじゃ、なかったぁ…」

ひっ、ひっ、って息が引き攣って上手く喋れない。感情も頭の中もぐちゃぐちゃで、何から話せば良いかわかんない。

「おれがっ、上手くできないからっ、」

「何を?」

「せんぱいに、きらわれてるから、」

「嫌われるようなことしたのか?」

「気分わるくさせるようなこと、言っちゃったかもしれないっ、」

「でもそれでこんなこと、しても良いと思う?」

目の前に置かれたボロボロのシューズ。

「でも、水城みたいに明るいやつだったら、きらわれなかった、」

「何でそこで水城が出てくるんだよ」

「だって、だって、みずきはちゃんと馴染めてる、」

「そんなん環境が違うんだから分かんねえだろ」

「ちがう、けどっ、良いやつだし、すなおだし、…う゛ぅ゛~…」

「どうしたどうした」

「おれ、あいつにもきらわれたっ、ひどいこといっちゃったぁぁ…」

いよいよ嗚咽が邪魔をして、喋れなくなってしまう。ガキみたいにいっぱいいっぱいになって、ひたすらに泣き顔を晒してしまう。

「お前相当参ってんなぁ。冷静な判断できなくなってる」

「そんなこと、」

「あるの。溜め込みすぎなんだよ」

泣き顔を胸に埋めさせられ、片方は頭に、片方は背中に手を置き、赤ん坊をあやすみたいに撫でられる。

「ちゃんと吐き出さねえとつぶれるぞ」

「う゛、っく…」

「おー泣け泣け」

先輩のシャツがどんどん濡れて、濡れて。

「お゛れ、やめてっていった、い゛ったのにっ、」

「やめてくれなかった?」

「しょうこだせって、でもそんなのな゛いし、」

「そりゃそーだ」

「といれ、ちゃんといったのにっ、させてくれないし、おなかおされるしっ、きたないい゛われたっ、」

「いっぱい我慢頑張ったもんな」

「いろんなひとにっ、みられたっ、」

支離滅裂な言葉にも相槌を打って、穏やかに話を聞いてくれる。学校で久しぶりに肩の力が抜けた。


 安心した。

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