樹皮色袈裟
木春
樹皮色袈裟
「ねぇ見て」
彼は私の前で大きく腕を広げてぐるっとその場で一周した。ふわりと中に舞う緑。黄。檜皮色。
「似合ってるかな」
恥ずかしそうにこめかみを人差し指で掻きながら私に尋ねる。私はくすりと笑って、ひとつ頷く。
「えぇ、とても」
彼は嬉しそうに微笑むと、今度は自分の頭を撫でて、身に着けた袈裟を嬉しそうに眺める。そんな彼の様子を私はそっと見守っていた。
彼が長く望んでいた出家と譲位を果たしたのはつい最近の事だ。慎重に慎重に段階を踏んで私達の娘・阿倍へ、その日嗣の御業を託し、今はこの薬師寺に宮を営み暮らしている。そのうち時期を見て再び平城宮に戻る事にはなるだろうが、宮から出て寺で暮らすという束の間のこの時を心から楽しんでいるようだった。そしてこの袈裟は、それに伴って新調させた物だ。並の人間では決して手に入らない一級品の袈裟。されど派手過ぎず、かと言って地味でもない。これが彼の心なのだなと、眺めていて私は思った。
「ねぇ、どうしてそんな寂しそうな顔するの?」
「あら。そんな顔してました?私」
「うん」
ぼーっとしていたら問い掛けられた。私の前に膝をついて不思議そうに彼は私の顔を覗き込む。
「もう。僕が君と何十年一緒にいると思っているんだい?君程じゃないけれど、僕にだって君の心はお見通しだよ?」
焦げ茶のまぁるい瞳が眩しい。昔から聞き馴染みのある優しい声色が、最近はもっと優しくなったように思われて共に重ねた時を感じる。
「訳を聞かせて?」
「うーん」
私が言い渋るように床へ目をやると、彼は私の両手を正面へ集めてきて彼の両手の中にすっぽり収められてしまった。そうして彼は私の顔をじっと見つめて待っている。握られている手が暖かくて、でもちょっぴり汗ばんでいるようにも感じられて、私はそこにゆっくり目を移した。
「貴方がなんだか、また遠くへ行かれてしまった気がして……とても、喜ばしいことだけれど」
「うん」
「でも、これからは、貴方にこうして、触れる事も出来なくなってしまうのね………。一緒に暮らして、一緒に眠ることも………」
「ええっ!」
急に出た彼の大声に驚いて彼に目を合わせると、彼は大きく目を見開いて、次の瞬間にはおろおろと目をあっちこっちにやっていた。
「そ、それは………困るなぁ」
「どうしてお困りになるの?」
今度は私が彼の瞳を覗いて問いかけると、彼は耳まで赤く染めながらポツポツと語る。
「そ、そりゃあ!君とこれからも、ずっと一緒と……思っていたし………」
「あら」
「こ、これからは…正真正銘、暮らすのも、その………し、寝所も毎晩一緒にって…………」
「…………あら」
予想外の方向に彼は思いを馳せていたらしく、私の言葉に酷く動揺してしまっているようだ。一方で私も、彼の言葉と顔に少しばかりときめいてしまって、暫し固まっていた。彼は焦った時特有の捲し立てるような喋り方で、少し涙目になりながら言葉を続ける。
「い、一緒じゃないのかい…?嫌だったかい…?そりゃ、昔から殆ど君とずっと一緒だったし前と同じような暮らし方でも良いには良いと思うんだけど、ぼ、ぼくの西宮に来てくれないのかい?僕、やっと、君と一緒になれると思ってもう寝台も………」
「でもあなた、出家しちゃいましたわよ?」
そこでピタリと彼は動きを止める。何秒かして今度は顎に手をやって何か考え込むようにぶつぶつ言うと、私の両肩をポンと叩いて重く言葉を放つ。
「………大丈夫。仏陀も妻が居たそうだし?この世でこの国で生きている者には、誰にも文句を言わせないよ?それに……君と僕との二人きりの時くらい、きっと御仏も見逃してくれるよ」
そう言って彼は私を腕の中へ包み込むと、有無を言わさぬように、逃れられぬように耳元で囁いた。
「だから、これからも僕の傍に居て?僕の
私の答えを肩先に伝わる振動で感じ取った彼は、安心したように一息つくと私の首筋にひとつ接吻を零した。
「もう。なんだか、いけないことをしてるみたい」
この温もりが好きでずっとそうしていたけれど、そういえばと思って彼の自慢げなあの姿を思い出すとたまらなくなって、私はそっと彼から身体を離した。彼はまだ足りなかったのか少し口を尖らせて、私の腕から手を離そうとしない。
「いけなくなんかないよ。僕は君の伴侶で、君は僕の伴侶だろう?」
「あなたの格好が、ですわ」
「うーん、そんなに気になる?」
「えぇ」
「真面目だなぁ」
「あなただって、本当は真面目じゃない」
「じゃあ、じゃあ、脱いでしまってくるから、ちょっと待ってて」
「その間にあなたの気が変わらなければ良いけれど」
「君の気は変わらないんだね」
「ずっとずっと変わりっこありませんわ」
「ふふふ。そっくりそのまま、君に返すよ」
「もう!ほら、私も一緒に片付けますから……あら!綺麗な包み!」
「でしょう?!」
樹皮色袈裟 木春 @tsubakinohana12
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