まどろみ

木春

まどろみ

「ねぇ、どうして、今日はそんなに不機嫌なんだい?」

 熱も冷めやらぬ微睡みの中。夫婦は二人、寝台に身体を投げ出すように向かい合って寝転んでいる。夫は何処か辛そうな顔を浮かべた妻の艶やかな髪をゆっくり梳かしながら、優しく優しく問うた。

「だって、だって……。いや、別に……」

 妻は身体にかけられていた覆の端を掴んで口元まで運び目を伏せた。

「どうして?教えてよ」

 夫は変わらず愛おしげに妻を見つめながら問う。妻は夫の顔をちらちらと見て、その瞳と焦点がかち合えば外し、また合わされば外しを繰り返す。そんな妻の様子を見て夫はひとつ吹き出すと、両手で目の前の頬を捕まえて目を合わせた。妻は観念したのか視線を捕らえられながらゴクリと唾を飲み込んだ。

「うう……。だって、私、もう四十ですのよ?」

「うん」

「正直もう子供だって……難しい歳なのに……」

「僕は諦めてないけどね」

 夫はあやす様に妻の頭を撫でながら朗らかに答える。その言葉の暖かさと揺るぎなさに妻は目が眩んだ。また何処か顔が暗くなった妻を見て夫は目を丸くすると、髪を撫でる手を止めてゆっくりその身体を抱き締めた。

「もう!………だから、いい加減他のところに行かれたら?私、もう文句言いませんから」

 夫の暖かな胸に顔を擦り寄せながら妻はそう言った。今までの緩んだ顔は何処へやら、夫は身体を離して妻と瞳を合わそうとするも、妻の瞳はどこか諦めたように伏せられ合わさることは無い。

「……え、どうして?」

「だって必要でしょう。世継ぎ」

 ぴたりと夫の動きが止まった。二度ぱちり、ぱちり、と大きく瞬きすると、うーんと眉間に皺を寄せ考え込む。妻はそれを盗み見ると溢れ出すように言葉を続けた。まるで自分に言い聞かせるように。

「私、知ってるのよ?あれから私以外とは誰とも……ご無沙汰だって」

「うーん……」

「きっと私を思っての事なのでしょう…?私は、とても嬉しい。けれど、あなた、このままだときっと……」

 夫はまたも考え込むように目を閉じる。少しして、ふふ、とひとつ笑みを浮かべると今度は頬に笑窪を作って妻へ言った。

「でも僕、君との子以外に自分の後を継がせるつもりなんて無いから」

「そんな!そしたら……」

「いいんだ。いいんだよ……。君のせいじゃない。僕の血はみんなを不幸にする。跡継ぎの事だってきっと、神や仏の思し召しなんだよ」

「あなた……」

「それに、君そんな事言うけど、僕にベタ惚れなの知ってるんだからね?またあんな事になって君に離れていかれたら、今度こそ僕はもう生きていけない」

「うう……」

 あんな事、とは、恐らく夫との待望の皇子を喪い、それと入れ替わるように夫と他の夫人の間に皇子が生まれたあの時の事を言っているのだろう。あの時は荒れた。妻も、夫も。あの災禍は夫婦の間に留まらず周りをも巻き込んで暴発した。今でもその時の傷跡が目を向ければ良く見えるほどに。

「だからいいの、これで」

 そう言って桜唇を撫でるようにひとつ口づけした。


「……私以外の味も知ってる癖に」

「え?」

 唇を離して返ってきた第一声に思わず耳を疑った。妻は真っ赤になってぷるぷると肩を震わせていて、頭の上から湯気が出ているかのよう。そこで夫はやっと妻の不機嫌の理由に合点がいった。この子はきっとまた、責務と己の情とで板挟みに……。

「そ、そりゃあ私は!あ、あなたしか、あなたのしか知らないから……。こんな時、想うのは……あなたの事ばかりだけれど……。あなたは他も知ってるのでしょう?」

「えっ…!?……あ、うーん、それは、その」

「なに」

 妻は怒っているような恥ずかしがっているような、なんとも言えない表情で口を尖らせ夫の脇腹を小突く。

「うーん、他とは仕事としてやってたからなぁ……」

「は?」

「いや、僕もその………いつも想うのは……。……ほら!なんというか、今こうしているのも、………君が良いから、だよ」

 そう言うと妻はポカーンと口を開けて固まり、それをじっと見つめていると今度はあわあわと口を忙しなくさせてまた顔を隠してしまった。耳を澄ませると小さく「でも……でも……」と呟く声が聞こえる。夫はどう言う意味だろうかと首を傾げて頭の中を巡らせ、ハッとして妻の肩をゆすった。

「君との時間が、子供を作る為だけの時間だと思ってたの?!心外だなぁ……。君とのが好きだからなのに」

 夫は努めて明るい声で戯けるように言った。

「そ、そんなぽかーんとしないで!君が言わせたんだよ!」

「……ううっ………あなた、好き…」

「どうして!泣くの!」

「うぅ……すき……」

「僕も大好きだよ!泣かないで!もぉぉほんっと可愛いな!」

「ごめんなさい……。私、やっぱり、どうしてもそういう所は大人になりきれなくて………」

「良いの!ほんと、もう、君のやきもちは可愛いなぁ!」

 嬉しそうな顔をして泣き続ける妻をぎゅっと抱き締めてあやす夫の顔は何処までも幸せいっぱいだった。





 後日、この話をなぜか(無理やり)聞かされた橘諸兄はこう思った。

『四十になる夫婦の話か?これ………』

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まどろみ 木春 @tsubakinohana12

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