蛇に絡む雌豹
例えるなら、蛇に絡む雌豹だ。
獅子丸が松野にべったりとはりつき、豊満な胸を松野の腕に押し当て、スプーンに乗っているお手製のシチューを食べさせている。
「ほぉらぁ、あーん♡」
心底嫌そうな顔をしながらも、松野は口を開けてそれを受け入れる。
「……あー……」
口に運ばれるシチューはまろやかで、具材料にもしっかりと火が通っていて柔らかく、好き嫌いの多い松野にも美味しく食べられるものだった。
大人しく自分の行為を受け入れる様子を、獅子丸は満足げに松野を見る。そして口の端についているシチューを自分の舌でねっとりと舐めとる。
「獅子丸さん……やめてくれ」
蛇が音を上げる。今にも豹の一咬みで死に至らしめられそうな感覚に陥る。
「め・ぐ・み♡」
やめるようなそぶりもなく、ますます獅子丸は松野に身体を寄せて豊満な胸を押し付ける。
「……めぐみさん……やめてくれ」
「照れちゃって可愛い♡」
もう一度牽制しようとするが、まるで効果がないようだ。助けを求めるかのように松野は森谷を見たが、森谷は全く気にしている様子はなかった。
「羽、ちゃんと食べろ。ただでさえ栄養失調気味なんだ」
獅子丸がねっとりとシチューを食べさせる様を、時折満足そうにいやらしい目をして見る。「この変態野郎が……」と松野は心の中で毒づいた。
「まだ終わらないのか」
赤城は処置中の森谷に文句を言った。
「まだだ」
ここは森谷のクリニック。赤城の診察と、松野の診察を同時に行っていた。松野は慢性的な拒食症で、立ち眩みが最近酷かった。森谷は何も言わずともそれを見抜き、獅子丸に食事を作らせたのだ。処方箋を出しても、点滴をしようとしても松野は嫌がる。
「どうせ羽があれを食べ終わらないと帰れないのだから、そう急ぐ必要もないだろう」
森谷がそう焚きつけると、ムッとした顔をして松野は獅子丸からスプーンを奪い取り、自分でそれを急いで食べ始めた。早く帰りたい一心だった。
「あーん♡ 羽ちゃん、もっとゆっくり食べないと……」
あっという間にパンとシチューを食べ終えた松野は、べったりと張り付いている獅子丸の腕から逃れようとした。しかし、力が強く、容易には放してくれない。
「羽ちゃん、ダメよ♡ まだ先生の処置が終わってないでしょ?」
強引に引き戻され、獅子丸の胸に顔をうずめる形となる。
松野はそれから逃れようと手を獅子丸の肩をつかむが、それを手に取って自分の胸を触らせる。
「あん♡ 積極的ね♡」
「ちょっと……いい加減にしろ」
流石に松野も苛立ちが一線を越えて強めに拒否をすると、獅子丸は
「羽ちゃんのそういう強気なところ、好きよ♡」
「めぐみさん、俺にべたべたするのはやめてくれ」
イライラしながら厳しい目を向けるが、獅子丸は全く気にする様子もない。自分の豊満な胸の形を整えながら、改めてその谷間を見せつけるようにして誘惑を試みる。
「どうして? あたしは羽ちゃんのこと大好きなのに」
しかし蛇は温度を示さない。
獅子丸と松野が軽い口論になっている間、小声で森谷と赤城は話をしていた。
「羽をやばいことに巻き込むな」
森谷がそう言うと、赤城は睨みを利かせた目で森谷を見つめる。
「もう無理だ。十分巻き込んじまった。腕のあれが消えない限り諦めないだろうな」
無責任なことを言う赤城に、森谷は厳しい言葉を続ける。
「お前が書いたんだろ、責任とれるのか?」
「責任ってなんじゃ。わしが
「このバカッ!」
挑発するように赤城が言うと森谷が大きな声を出したので、松野は2人の方向を向いた。松野は獅子丸に絡みつかれて眉間にしわを寄せている。
「もう終わったのか?」
「あぁ……終わった」
赤城が処置の台から身体を起こすと、森谷とにらみ合いになる。そしてまた聞こえないように小声で言う。
「安心せい。あんな色気の欠片もない女、興味ないわ。お前、あの女のことが好きなのか?」
「はぁ……これだから俗物は……」
森谷は呆れた顔をして話を辞める。そして獅子丸がべったりとはりついている松野を見て、目を凝らす。
森谷にとって松野は子供みたいなものだ。
身体だけ大人になっただけの、まだまだ幼い子供……あるいは妹……というよりは弟のようなものだろうか。
「羽、次は一週間後だ。食事は栄養のあるものを――……」
「はいはい。解ったよ」
松野は聞く耳を持たないという様子でヒラヒラと手を振り、早々に立ち去ろうとした。カリカリと自分の指の甘皮をかじる。森谷は松野に思っていた疑問をぶつけた。
「羽、何かあったのか?」
その問いかけに松野はビクリと身体を震わせた。指を噛んだことがまずかったか……と自分の中で反省をした。
森谷には何も隠し通せない。しかし、言いたくもなければ思い出したくもない。
「まぁね」
「どおりで疲弊している訳だ。メグに対して大人しいなんて、何かあったとしか思えない」
指を噛んでいたことでバレたわけではないらしい。本当に森谷は松野のことを何でも知っている。
「えぇ、羽ちゃんどうしたの?」
「……またあいつがきた。また……例の件に関することを聞きに」
「アイツって……寺口か?」
答えたくなかった松野は、森谷の質問を無視して脱いでいたコートを着て、赤城の抗生物質と栄養剤の処方箋を持って隣の薬局に出て行った。
気を紛らわせる為に、別のことを考えることにした。
出て行った松野を追うように、赤城は相変わらず難しい顔をしながら刺青を隠すように服を着た。森谷はまた赤城に話しかけた。
「はぁ……もう一度言うが、羽に危ない橋を渡らせるな。あいつは……あぁ見えて優しい子だ。正義感が強い」
「あの乱暴女がか? ……確かに、法律は詳しいが……小難しい法律の本を読んでいるのをたまに見かける……」
「……法律の勉強、まだしているのか…………」
赤城は気になるところではあったが、森谷が次の患者を見る様子であった為、松野の後を追った。
松野は視覚情報を処理し続ける中、ずっと考えていた。彼のことを。
――羽織まで俺をそんな目で見るのか?
――俺のいう事が信じられないのか? 俺が病気だって言いたいのか?
そうだ。あの時自分が気づいていたら、自分がもっと知っていたら……もっと、信じられていたら……――――
暗い深淵に溶けていくその傷みが、まだ鮮明に残っている。
胸に当てた手で自身に強く爪を立てる。何度その後悔に呑まれたことか。
しかしふさぎ込んでいても、後ろを向いていても、何も得られない。
――誰も助けてはくれないんだ……――――
赤城の容態が良くなり次第、腕に書かれたものを消す為の液剤を手に入れに行かなければならない。しかし、それを消した後はどうなる?
その後は……その後は……?
何も考えられない。
今を生きることで精いっぱいだ。
森谷の話によると、赤城はあと一か月もすれば良くなるとのことだった。
「おい、どうしたお嬢ちゃん」
出てきた赤城を見て、ドロドロとした思考から引き戻された。
「どうもしない。早く帰ろう」
松野は処方箋の紙をヒラヒラと赤城に振って見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます