CREATURE

毒の徒華

序章

善意と悪意ならどちらを捨てる?




「ねぇ、善意と悪意のどちらか捨てなければいけないなら、どっちを捨てる?」


 前田まえださち子が向かい側に座っている松野まつの羽織はおりにそう問いかける。

 松野は両手を後頭部で組み、身体を背もたれに預けながら棒付きの飴を咥え、脚を前に投げ出している。

 松野は、前田と対戦しているチェスの手を考えていた。


「そんなこと言ってお前、俺の集中力を削ぐ作戦か?」


 女らしからぬ一人称の松野は、乱暴な口調でチェスの手を考えながら返事をした。

 松野が身体を背もたれから起こし、ナイトで前田のルークを取る。前田は「しまった」という顔をして眉間にしわを寄せて盤面を見つめる。


「そんなわけないじゃないですか、松野さん。ははは」


 松野は再度同じ体勢となり、咥えている飴を口から出した。あと15分程舐めていればその飴はなくなるだろう。


「そんなもん、善意を捨てるに決まっているだろ? 善意なんて持っていても邪魔になるだけだ。目の前でおばあさんが轢かれそうになってるの助けても、その代わりに自分が轢かれて死ぬなんていうのは、結局自分が損する結末だって普通に解るだろ?」

「うーん、そうだよね」


 前田は真剣に盤面を見つめて、ポーンを動かすか動かさないか考えていた。松野の返事をあまり聞いていない。


「でも松野は助けるでしょ?」


 ポーンを松野の予想通りに動かした。松野は笑いながら再び飴を咥える。その三手先の手で待つのはチェックメイトになる筋書き通り。


「どうかな。俺は性悪説を支持してるもんでね」


 そして間もなくしてチェックメイト。

 それをしたのは松野ではなく前田だった。松野の想定していた筋書き通りには事は運ばなかった。


「畜生……負けた……もう1回」


 悔しがりながら松野は前田にもう一度再戦を申し込む。「疲れたから嫌だ」と断られ、勝ち逃げをするなんて卑怯なやつだと松野は飴をかみ砕く。


 周りの人間は松野と前田を怪訝そうな視線で見る。明らかに2人は浮いていた。正反対の2人の装いは、同い年で同じ性別だったとしても一緒にいるには均衡がとれていない。松野はジャラジャラとシルバーアクセサリーをつけて派手な装いであるが、一方前田は大人しく女性的な恰好をしている。しかし2人は浮いていることなど全く気にしない。

 これでチェスの勝敗、前田は8勝、松野は5勝だ。

 食べ終わった棒付き飴の棒をゴミ箱に捨てに行く最中、松野は考える。


 ――くだらない。誰かを助けようなんて。助けて一体何になるんだろう


 善意を相手に与えても、善意を返してくれるとは限らない。そんなの、自分が損をしていくだけだ。自分から搾取されて行くだけだ。手心を見せても何にもならない。

 そう、解っていても心を砕くことを辞められない自分を、松野は消したかった。


 ごみ捨てから帰ってきて、松野は椅子に座った。けだるげにチェスの駒を眺める。何か、刺激的なことでもない限り、死んでしまいそうだ。


「なぁ、なんか面白いことない?」

「んー……最近、私たちの世代の検診が無料で受けられますってニュースしてたよ」


 面白い話がないかどうか聞いたのに、無料の検診の話は松野にとって全く面白い話ではなかった。

 それのどこに面白い要素が入ってくるのかと松野は一瞬考える。


「……それがどう面白くなるの?」

「無料で受けられる検診先で、面白い人が見られるかもしれないじゃん」


 松野は近くにある大きな病院を想像した。特に面白いことはない。お年寄りの多い外来受付に、大病院であると必ず1人はいる、大声で怒鳴り散らしている人を思い浮かべた。


「大病院行くと、誰かしら受付の人にキレてるよな。あれ、なんなんだろうな?」

「そういう病気なんじゃない?」

「一理ある。病院だしな」


 笑いながら携帯電話のニュースのアプリで、見出しを適当に読み流す。


「あと、林原はやしばらさんが街頭演説で『この世を良くする運動』の記念すべき100回目が昨日行われたんだって」

「誰だっけ、それ」

「松野知らないの? 逆に誰だと思う?」

「この世を良くする演説だろ? ……その辺のお爺ちゃんとか?」


 特に思いつかなかったので、演説しているその辺の翁を想像した。そんな有名なお爺さん、いただろうか? 松野は漠然とそんなことを考える。


「ふっ……その辺のお爺ちゃんって……ふふふ。違うよ。政治家だよ」

「政治家もその辺のお爺ちゃんみたいなもんだろ?」

「それは一理ない」


 どうでもいい会話をしながら、松野と前田は笑っていた。



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