うれしいお知らせ

赤堀ユウスケ

第1話

 コンビニを出て二歩、傘をさしもう一歩足を踏み出しかけたところでぴたりと止めた。私の後ろが一人つっかえた。その開きかけの傘が私に当たった。特別人通りの多い場所ではない。この天気だから尚更だ。仕方ない。許してくれたまえ。私の足元には見知った死体があったのだ。そいつはカエルだった。今日まだ何も泣き声を聞いていないと思ったらこんな姿になってしまっていた。

 そいつは毎日、自宅のベランダからも、仕事からの帰り道からも、どこからともなく飛び出してきて私の時間を奪っていくのだった。歌手になりたいとかなんとか言って、毎日好き勝手に歌っていた。私は彼女のつまらない歌に興味が無かったから、スマホをいじったり煙草をふかしたりしながら、それとなく傷つけないように物を言っていた。そして「でもね、私ダメなの」と言って毎日泣くのだった。その度に面倒くさいと溜息をついた。

 右から声が聞こえた。

「そいつは俺に言ってきたぜ。やっと今日死ぬんだと言ってきたぜ。恋人にも世間にも相手にされないんだと。ああ、かわいそうに。かわいそうに」

 コンビニの灰皿付近に投棄されている折れたビニール傘だった。

 私は言った。

「こいつに恋人なんていたのでしょうか」

 傘は私を見てにやりと笑った。

「いつもの妄想だよ。警察の世話にもなったらしいな」

「じゃあ世間には相手にされているではありませんか」

「そうだなあ。おもしれえなあ」

 傘はケタケタ笑った。

 しかしカエルはどうやら踏み潰されたようなのだ。でなければこうも内臓の破裂して飛び散っているのはおかしい。自死なわけがない。そしてそうであれば私にだって報告をするはずで、そもそもこの傘は今日初めて見た。

「失礼ですが、あなたが殺したのではありませんか」

「だとよかったんだがね」

 傘は溜息をついた。

「いやね、本当にね、本当に……今日の朝俺に突然言ってきたんだよ。あたしもうダメよってね、あたしは今日でおしまいにしてしまうわ、あたしは何にもなれないのよ。爆弾になりたかった。爆弾になりたかった」

「それって」

 毎日泣きながら私に訴えてくることとひとつ違わぬかった。

「なんてね。お前も知っている通りだよ。毎日だよ。お前とこうして会話をするのは初めてだが、流石に死んだこいつに対する反応それだけでお前が誰かはわかるもんさ。俺だってそうだよ。この女のつまらない話を毎日聞いていた。ただね、俺はさあ正直、こいつはこれで幸せなんだよ。俺の勝手かもしれないけれど、こいつはこれで幸せなんだよ」

「どうしてそんなことが言えるのです」

 私は腹が立った。傘如きに彼女の何がわかるというのだ。彼女はスターになるべき存在だった。確かに精神の不安定さが目に余るが、それを乗り越えて輝くべきだった。彼女は美しかった。誰かが彼女に気づいてあげるべきで、誰かが彼女を支えてあげるべきだった。何故彼女は死ななければならなかったのだ。何故、彼女が。

「本当にそう思うのか?」

「どういうことです」

 何に対して言われたのかわからなかった。

「お前だってカエルは鬱陶しかっただろう。死んでせいせいしただろう。他人に迷惑をかけなくなった。だから彼女は幸せになった…………おい、そんなに怒るな。わかった、わかった……お前は彼女が好きだったんだね」

「嫌いですよこんな奴」

「そうかい。そりゃどうでもいいけど。ひとつ正しい情報をお前にやろう」

「要りませんよ。帰ります」

 傘をさしたままの私はコンビニの入り口にある小さい横断歩道を出て左に進んだ。話をしているうちにビニール袋に水が溜まってしまっていた。スマホをどこにしまったのかも思い出せないが、とにかく帰ろう。電柱にぶつからないように。電柱は彼女のかつての住処だった。

 三メートルほど離れたところで信号に引っかかってしまった。車が少し迂回してコンビニの駐車場に入った。そこであの傘は声を大きくした。

「彼女は爆弾になれたらしいよ」

 傘は折れたそれを叩きつけて、私に示すように言った。

「だからこの死に様なんだよ。わかるか、おい」

 雨音で聞こえないふりはできなかった。信号が青になっているのに気づけなかった。では、あれは踏み潰されたわけではなくて。

 私は早足でカエルの死体まで戻った。バシャバシャ、ビシャビシャ、スニーカーに水が染みるのもどうでもよかった。コンビニの中の店員は明らかに私を見ていた。駐車場から出ようとした車に大きな声でプッと笑われた。私は言った。

「じゃあ、こいつは、こいつは……」

「自分自身を殺すことしかできなかったんだよ」

 私は彼女を拾い上げた。

「そいつをどうする気だい?」

「なんだって構わないでしょう。あなただってこいつが嫌いなんだから」

 そうすると傘はケタケタ笑って

「そうだねえ、それもそうだ」

 と言った。

 そして私は彼女の死体を口に含んだ。それは歯に染みるほど、どうにも酸っぱくてほんのりと苦かった。私のよだれが地面に落ちた。絵の具のチューブをそのまま出したようなレモンエロウだった。

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うれしいお知らせ 赤堀ユウスケ @ShijiKsD

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