宇宙飛行士と魔法世界

ぼこざめ / Bokozame

第一章『夜空切り裂く剣炎』

第1話 『魔法』


 尋常じゃない激痛が、少女――ステラ・フェリセットを深淵の中で目覚めさせた。


 ――痛い。痛い。痛い。


 痛みだけが、暗闇の中で確かに存在を主張している。

 しかし叫び声は出ず、何故だか体を捩ろうとも身動きが取れない。


「――ぁ」


 何故なのかと瞳を動かした時、ようやくその深淵が瞼の裏の暗闇であったことに気づいた。しかし左目を開けようとすると更に酷い痛みが走って、それゆえに右目だけを開く。

 すると少なくともその空間には『光』があって、だから網膜は瞳に飛び込んできたそれらを『色』として解釈し、脳はその群れを『景色』として認識した。


 そこは、月明りに照らされた森だった。

 広葉樹がそよぎ、その緑色の枝葉が静かな音を奏でている。


 しかし今はそれらを眺めて落ち着いて、安らぎを得たりすることはできない。

 ステラは今、四つん這いで地面に倒れており、どこからかは分からないが激痛と共におびただしい量の出血をしていた。ゆえに、木々から得たのは『音』が伝わるという情報だけ。


 ステラは『音』を鼓膜で拾い――つまり大気の振動を感じ取り、大気と葉緑体を持つ植物があるになら酸素を含む空気があると理路整然に思考し、止めていた呼吸を再開する。

 新鮮な空気が脳に巡り、靄がかかっていた意識が晴れた。その影響で更に痛覚が鋭敏になったことは目を瞑っておく。


「が……ごぇっ」


 血反吐を吐きながら、ステラはこの惨状の詳細を確認しようとする。

 背中の酷い重量感を頼りに推察するなら、おそらく何らかの、恐ろしく重たいものが肩から下の身体を押しつぶしているようだ。特に右足に至っては、切れてはいけない靭帯や血管が切れてしまっているようで、痛みは無いのに血が漏れ出る感覚だけがある。

 また、視野の左上辺りには金属片が常に映っており、それが左眼球を貫いているのか、特段左目の痛みが激しい。


 それら致命傷による失血と激痛に伴い、徐々に体に力が入らなくなっていくのを感じる。

 『死』が、少しずつステラに迫ってきていた。


 ――このままではマズい。


 ただただそんな焦燥感だけが思考を圧迫し、それに対する具体的な対処方法は一つとして湧いてこない。そもそも――。


「な、んで」


 何故こうなっているのか、いつからこうだったのか、さっぱり思い出せない。

 記憶を手繰り寄せようとすると頭がひどく痛み、失った記憶の輪郭だけが手元に残る。ただただ喪失感だけが想起され、ここに至るまでの経緯は何一つ思い出せないのだ。

 何も手掛かりが無い。だから、何もこの状況に対しての回答が出ない。

 しかし、ステラが無為に時間を消費するだけ、終わりは近づいてきて――抗いようのない『死』への恐怖が全身に伝播した。


「……は」


 吐息が漏れた。あまりにも、突然に訪れた人生の『詰み』に、絶望が満ちた。

 ステラには、それから目を逸らすことすら許されていなかった。


「い、や。嫌……死、にたく、無いよ」


 血が絡む喉からそう号哭し、ステラは希望を探す。どこかに、きっとどこかにあるはずの希望を手繰り寄せるために、必死に運命に抵抗するかのように無意味に身を捩った。


 しかし、希望は見つからない。だが代わりに、炎のような『思い出』が冷えた体に過った。


『――君の瞳は、星空みたいに綺麗だ』


 それは、義父と初めて会ったときに貰った言葉。

 暖かく、ステラの人生で最も幸福な時代のきっかけとなったその言葉は、死に瀕し思考が遠のいていくステラを覚まさせるには十分な熱を持っていた。


 その瞬間、『死』がすぐ傍まで来ている者が体験する刹那の追憶の意味を理解する。

 生への執着の回顧こそが、その本懐なのだと。


「ぅ、あああ!」


 両腕で地面を掴み、無理やり自分の体を引っ張る。背中の皮膚の一部が擦れて剥げていく激痛に叫びながら、それでも尚、死から遠ざかるために力を振り絞る。

 その絶叫は無人の夜に吸い込まれ、誰に届くこともなく消える。身体はほんの少しだけ圧迫物から這い出たくらいで、未だに腹部から下は押しつぶされたままだ。


「ぎぁ」


 死にたくない。死にたくなくて。体を捩り、左目の金属を引き抜き、絶叫を上げながら運命に足掻こうとする。結果、流血が増えただけで状況は良くならない。それなのに、余計に思い出した『希望』の記憶が頭にちらついて。

『死』を受け入れてしまえばきっと、もっと楽だったはずなのに。


「……くっ、そぅ」


 血が絡む喉を酷使して、ステラはそう呟き、運命を呪った。


 ――報われない人生だった。


 思えば、その報われなさや不幸さは遡ること出生時から始まる。

 ステラ・フェリセットは、倫理を捨てた科学者により生み出された特殊遺伝子を持つ改造人間であり、つまり生まれたときから人権など無い存在だった。


 ステラの金髪の上に生える『猫耳』と青い瞳、そして小さな身体の瞬発力は、宇宙探査を目的として生み出された人権の無い雑種たちの特徴であり、それら外見を原因とした差別に悩みながらステラは故郷で生きてきた。

 もちろん父母はおらず、帰るべき家も無い。その苦しみを一人で抱え、死んだほうが今よりマシかもしれないとさえ思う始末で。


 そんなステラを、優しく愛情をもって育ててくれたのは一人の天文学者の男だった。彼は誰よりも星空を見るのが好きで、やがて星々を渡り暮らすようになる人類が直面する『宇宙の終焉』に恐怖を覚えていた。


 だから、幼い日のステラはそんな彼に約束をしたのだ。

 私が必ず『宇宙の終焉』を乗り越えるための方法を見つけてみせる、と。

 彼はそんなステラに優しく、そして期待に満ちた瞳で言った。


『――君は特別な子だから、きっとなんだってできる。信じて、待っているよ』


 その瞬間から、ステラの生きる目的は一つに絞られ、ずっとそれに従ってきた。血の滲む努力の果てに宇宙観測隊に入り、宇宙へ旅立ち、あらゆる物理法則の概念にも囚われず、人が認識できない神秘の力を探し続けたのだ。

 それのみが、『宇宙の終焉』を乗り越えるカギとなるはずだから。


「――そ、うだ。それ、で」


 ――その星間渡航の最中、ステラは事故で、ブラックホールに飲み込まれたのだ。

 光すら逃れることができない暗闇の監獄に引きずり込まれて、そうして、ステラは。


「その、結果が、こ、れ……?」


 全て思い出したが、しかし結局、何故こんな森の中で死にかけているのかは理解できない。


 ――もう『終わる』のだから理解する必要も無いかもしれない。


「……ぅう」


 そんな諦観が心の中に湧いたことが、一拍遅れて嫌になり、情けない声が漏れた。

 終わりたくない。まだ生きていたい。まだ約束を果たせていない。

 まだ、何も成せていない。まだ、何にも、何一つ報われていない。


 しかし既に、あれだけ存在を主張していた激痛たちは遠ざかり始め、身体は悪寒に蝕まれつつある。すべては遠ざかり、血の色、嗚咽、血の匂い、血の味、激痛、それらが手の届かない場所へと向かっていく。


「だ、ぇか……」


 救いを求める。この暗海に溺れるステラを導く一筋の光が差すことを願う。

 そろそろ、救われたっていいはずだ。ずっと、こんな出生でも前向きに生きて、頑張ってきた。だから、一つくらい奇跡が起きたっていいはずだ。


 掠れた声を上げ、力ない手を震わせて天へと伸ばした。

 しかし、その手を取るものは誰もおらず、視界には暗闇がかかっていく。

全身を支配する圧倒的な痛みも、身体が凍えていく悪寒も、どこか遠いものになっていく。


 四肢の感覚が神経の先端部位から徐々に薄れていき、まるで蛹から羽化する蝶のように、古き身体を投げ捨てて魂が空へ旅立とうとしている。


 遠ざかる。痛いのも、冷たいのも、遠ざかる。

 それでも最期に、手を伸ばす。

 手を伸ばして、伸ばした、その先で。

 

 ――誰かが冷え切った手に触れた。


「……?」


 勘違いかと、ステラは一瞬思った。死にゆく自分の幻想だと、そう断じようとした。

 しかし直後、『詩』のような言葉が途切れ途切れに鼓膜を打つ。


「……は恵みを齎す為に。針は……。……するために。そのすべては、あなたのために」


 よく、聞き取れなかった。

 しかし確かな暖かさが、ステラの手に触れていた。


「――【縫炎の光スーチャーライト】」


 詩をそう終わらせたのが聞こえた刹那、『熱』が体の中心に生じる。まるで氷の中に突如として炎が灯ったかのように、命が体の中に溢れ出して、世界に色と、音と、味と、匂いと、感触が戻ってきた。それはまさに、奇跡のようで。


「……ぇ?」


 ステラは驚愕しながらも、右目をできる限り開いて、何が起こったのか確認しようとする。


 ――すると不思議なことに、両目が開いた。


 痛みは消え、視界が元に戻っていたのだ。

 ステラは訳が分からぬまま、『詩』が聞こえてきた方向を見やる。


 そこでは、蛍の光にも似た橙色の光の粒子が漂っていた。

 それらは群れて幾つもの糸のような形へと変貌。その後、傷だらけのステラへと漂ってきて、その患部にそっと触れた。不可思議なその存在は、接触部に心地よい熱を発しながら、まるで過去の姿に戻すように傷を癒やしていく。


 不思議な力だった。

 それは神秘的で、超自然的で――間違いなくステラにとっての『未知』だった。


「ぁ、に、これ」


 不可思議な現象の濁流に理解が追い付かず当惑を零すが、体が調子を取り戻したことだけは理解できた。だからステラは、自分の体を押しつぶす物から今度こそ這い出ようとする。


「――待ちなさい。動かないで」


 それを静止したのは、静かな声だった。

 静かだが、確かに存在感がある、透き通った美声。


 ステラは声の発生源である、光の糸の少し奥にぼやけた視界の焦点を合わせた。


 そこには一人の少女が立っていた。

 肩にかかるくらいの黒髪と、深紅の鋭い双眸が印象的な少女だった。その矮躯には黒いローブを纏っており、それに合わせてか黒色の大きな三角帽子を着けている。


 ――その容貌はまるで、御伽噺の『魔女』のようで。


「――」


 驚愕に、吐息だけが零れた。正確には、声帯に力が入らず声が出なかった。

 この不思議な力を受けた副作用かは分からないが、今度は原因不明の眠気と脱力感がステラの意識を引き剥がそうとしているようだった。


 全身から力が抜けていき、さきほど戻ってきた意識が再び遠のく。

 しかしそれは決して悪寒を伴うものではないし、死を近くに感じるものでもない。

 むしろ、それは『希望』で満ちていた。『希望』という活力を得て、ステラの脳はある一つの、突拍子もない現状の解釈へと導かれていく。


 それは非現実的で、非科学的だと自らでさえ思ってしまう。

 しかし、視界を覆う光の束と、たちまち傷が癒えていく奇妙なこの現象を。

 ――これらを『魔法』と解釈せずして、なんと説明する。


「……あはは」


 物理法則の概念に囚われず、より高次な世界でのみ扱うことが許される、神秘の力。

 眼前の超自然的なエネルギーは、ステラが探し求めていた『それ』かもしれない。

 何の価値もなかったステラの人生、およそ十七年。それがこの瞬間ようやく価値を得たような気がした。『宇宙の終焉』を乗り越えるためのカギを、ステラはようやく、ようやく――、


「み、つけ、た……!」


 ステラはそう途切れ途切れに、しかし力強く自らの記憶に付箋をつけるように宣言する。

 そして、抗えない眠気に身を委ねて、意識を手放した。

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