第7話 導かれる

 妻梨花とのビーチウェディングフォトを兼ねた宮古島旅行を終えて、日常に帰ってきた。

「暫く沙菜のことは忘れよう。石が原因で何かあっても、それは受け止めよう。」あの石が沙菜のような気がして、手紙と一緒に持って帰ってしまった。仕事と家庭を往復する普段の生活に戻った。

 営業先から戻る頃、スマホが鳴った。路肩に車を寄せて、画面を見ると沙菜の携帯からだ。出るのが怖くて躊躇したが、応答をクリックした。「はい、もしもし…。」「宮城沙菜です。覚えてますか?」一瞬、頭が空白になった。何を話していいのかもわからない。「あの、達也さんですよね?」「うん。」「良かったー!」やはり、この柔らかな透き通った声は沙菜だ。「沙菜、生きてたのか?今、どこ?どうしてる?身体は?」矢継ぎ早に言葉が出てくる。「あはは、そんなにいっぺんに聞かれても答えられません!」次のアポイントまで、時間がない。「逢いたい。どこにいる?」「結婚して今京都に居ます。」「後でまたかける。」SMSで「もし、LINUやってたらお友達登録してください。」京都なら行けなくはない。お互いに相手がいる身で会ってどうする?不倫などしたくはない。でも、直接会ってあの時のことを詫びたい。

 

「急だけど、明日から出張になった。明後日には帰るから…。」初めて妻に嘘をついた。会社には風邪で休むことにした。多少のリスクがあっても、沙菜と会って話がしたかった。

 LINUでやり取りすると、心臓移植手術が成功し、今は結婚して幸せな日々を送っている。相手は沙菜が手術後入院した病院の若い医師で、術後の二ヶ月の入院中に交際を申し込まれ、五年交際して結婚した。九歳上の優しい人らしい。「良かった!ほんとに良かった!幸せになっていてくれて!」やり取りする度に詫びる言葉を入れてしまう。「達也さん、謝りたいとかもう無しにしてください!私にはきれいな思い出なんだから。」

 

 早朝から新幹線に乗って昼前に京都駅に着いた。待ち合わせのカフェは、駅に隣接する百貨店の十一階にある。「すいません!ちょっと遅れます。」スマホを見ながら待っていると、ショートカットで丸い眼鏡をかけた。整った目鼻立ちの女性がそばに来た。「おー、沙菜か?」「達也さん、久しぶり!変わんないね!」あの頃と変わらない笑顔を浮かべてテーブルの向かいに座った。「あの時は、ほんとに申し訳ない!」「もう謝らないでって、言ったでしょう!次、謝ったら帰りますよ!」「ごめんごめん!」「あはは、やっぱり達也さんだ!」

 妻と宮古島旅行に行って、あのビーチに行き、手紙と石が入った缶を見つけて、もう彼女が亡くなっていると思ったことを話した。死んだと思っていた彼女が無事に生きててくれたことと、こうして会えたことで気持ちがいっぱいになった。涙が溢れ出した。声が震えて上手く話せない。「これ先に返しておくよ。」紫色の小さな巾着袋をテーブルの上に置いた。「これ…。」沙菜も言葉に詰まった。白い頬に涙が伝う。「あははは、昼間のカフェで涙流して泣いてる大人二人って、あーおかしい。」「そーだね!お昼まだだろ?御飯でも行こうか?」

 蕎麦屋で昼食を摂りながら、気になっていた話を聞いた。もう、自分の余命が僅かしかないと知った時、思い出のビーチにある巨岩の穴にあの缶を入れて、奇跡が起こるならと祈ったらしい。

 病院のベッドからテレビでアメリカの十歳の女の子がユーチューバーとなりクラウドファンディングで費用を集め心臓移植手術を受けたニュースを見て「これだ!」と思い病院の親しい医師に相談したら、医師のネットワークを通じて、たくさんの人達が支援してくれたらしい。

 奇跡的に世界的に有名なユーチューバーと繋がり、ネットのニュースにまで流れ、テレビ取材まで入ったらしい。一番びっくりしたのは沙菜で、ゆっくり病室のベッドで寝てられないほど、応対に追われたらしい。手術費用はあっという間に集まり、同時に医師のネットワークから新しい手術法の被験者になって欲しいとの話も来て、大阪の国立循環器病研究センターで心臓移植手術を受けた。その後、大学病院に入院し当時まだ研修医だった今の夫と出会ったらしい。

「幸せになって、ほんと良かった!久しぶりに京都まで来たかいがあったよ!」「達也さんも新婚で幸せそうで良かった!」「前よりふっくらしてきれいになったね!」「だって、あの頃は骨皮筋子だったもん。」

 近況を交えた他愛もない会話に盛り上がる。「そうそう、これ覚えてる?」サガリバナを観に行った時の写真をバッグから取り出した。「懐かしいなぁ。」あの夜のことを思い出していた。身体を重ねて、鼓動(心)を重ねたこと。「あの続きは無くて良かったんだよね。」「もー、十七歳乙女のファーストキスあげたでしょ!」「はい、ご馳走様!」手を合わす。「もー、どっちのご馳走様よ?」口を尖らせる仕草はあの頃と同じだ。

「まだ、絵は描いてるの?」「実は個展準備中なんだ。」「えー、すごい!」「作家三人で合同なんだけど。ま、趣味の延長ね!明後日からなんだ。」展示会場のギャラリーが近くなので、歩いて向かう。「こんにちは~、宮城です。」あの頃と同じA4サイズの淡いパステルカラーの絵が二十枚ほど壁に並んでいた。「作家名は、宮城沙菜にしているの。」順に観ていくと、海の風景が多い。サガリバナもあった。「これ、あの時の写真から絵にしたの。」「前より色使いが面白くなったね。」「あれから、たくさん描いたし…。専業主婦って思ったより、ずっと暇でね。人付き合いもあまり得意じゃないから。ちょうどね。いいの。」

ギャラリーの椅子に腰掛けながら「やっぱり、この石が達也さんと会わせてくれたのかなぁ?」「うん、この石が無かったらあの場所に辿りつけてないね。」

「今日、これからどうするの?」「特に決めてなくて、せっかくだから京都観光しようと思って。明日、帰る予定。」「沙菜は、もう夕方だから帰るの?」「うちの人、今日から出張で東京。」「出張多いの?」「月の半分位居ないかなぁ。」「じゃ、特別に京都案内してあげる。」祇園の街を沙菜と肩を並べて歩く、手を繋いだり腕を組んだりしたくなるが、彼女はもう人妻だ。

「ね、お腹空かない?」「京料理がいいな。」彼女オススメの小さな料理屋に入った。「ビールでいい?」「えっ、呑んで大丈夫なの?」「毎日、呑んでますよー!」お互いの今の生活の話になった。「奥さまと会ってみたいなぁ。」「ダメダメ!女同士くっつけるとすぐタッグ組むから。」「旦那さん優しそうでほんと良かった。」「達也さんと似てるよ!」「顔が?」「ううん、性格。すぐ謝るし。困ると黙るし。あはは。」

 料理屋の後、バーで一杯だけ呑んで帰ることにした。「ホテルは?」「◯◯ホテル、歩いて行けるかな。沙菜はタクシー拾おうか?」「お部屋見に行っていい?」「おいおい、人妻なんだから、ダメでしょ!」「エッチとかしないわよ!もっと、お話したいから。ちょっとだけね。」「あのサガリバナきれいだった。あの夜は今も一番大切な思い出かなぁ。」歩きながらあの夜の話になった。

 ホテルの部屋に入ると「へえー、思ったよりきれいね。京都タワーも見えるし。」ジャケットを脱いでネクタイと一緒にハンガーにかけた。暫く他愛もない話をした後、沙菜が真剣な眼差しで言った。何を求められても断れない気がした。

 「ね、達也さん、ここに座って。」促されてベッドに並んで座った。「目つむって。」あの時のことを再現したいようだ。何かの布で目隠しされた。「次はこうかな?」自分からワイシャツを脱ぎベッドに仰向けに寝転がった。「あはは、ちゃんと順番覚えてるのね。」ゆっくりと左胸に重さを感じる。沙菜の右耳が胸に当てられている。あの時と同じ様に沙菜の好きにさせよう。一線を越えるようなことになっても、彼女が望むのなら構わない。

 甘美なシチュエーションに少しの覚悟を決めた。ゆっくりと左胸が軽くなった。カチっと音がして、照明が消された。すぐ横で衣擦れの音がする。多分、沙菜が着ていた花柄の膝丈のワンピースを脱いでいる。両腿の上に馬乗りになり、再び左胸に重みを感じる。淡い花のような香りが漂う。下着越しに以前より大きくなった沙菜の乳房がわかる。僕の心臓の鼓動を確かめるかのように聞きいっている。「達也さんの鼓動(心)が聞こえる。」再び軽くなり、再び身体を重ねてきた。身体の正中線を合わせていく、肩から胸、股間、脚と全てが重なり合っていく。あの時と同じ様に沙菜の顔が右肩に乗っている大きくなった乳房が柔らかい。小さな突起があるのもわかる。「ねっ、また同じリズムに出来る?」沙菜の鼓動は以前よりずっと強く生命力を訴えるように波打っている。お互いに深呼吸しながらリズムを同調させていく。徐々に二つの波が重なり合って一つの波になっていく。

 お互いの身体を共有しているような不思議な感覚になっていく。息と心臓の鼓動しか感じない。二つの身体が混じり合い溶け合っていく。

「どうしてもこうしたくて…。」「うん、わかってた。」「目隠し取っていい?」「ダーメ!」唇に何かが当てられた。唇ではない指のようだ。「頭上げて。」目隠しが外された。鼻が触れる距離に沙菜の顔がある。「見たいな。」ゆっくりと沙菜が身体を起こした。御椀型のきれいな乳房の間に大きな傷跡がある。心臓移植手術の跡だという。沙菜が僕の右手の人差し指を掴んで傷跡をなぞらせた。「今も痛むの?」「全然、大丈夫!」「個展が終わったら、整形に行って少しずつ消していくの。その前に見て欲しくて。」「おっぱい触っても?」「ダーメ!もう人妻だから、達也さんも奥さん居るでしょ!」「朝までこうしているのは?」「今夜だけならいいかも…。」シチュエーション的に同じ事だと思うのだが、彼女にとっては違うらしい。

 不思議と性的な衝動は起きず、重なり合いながら、色んな話をした。


 朝、起きると沙菜は居なかった。ベッドのサイドテーブルに「ありがとうございました。会えてよかったです。ワガママに付き合わせてごめんね。沙菜」と書かれた小さなメモがあった。

 

 その上に乳白色をしたカルサイトも…。

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