第2話 ビーチ

 ビーチへと出て、左側にある巨岩を目指して歩く、ポケットの中の石が段々と熱を帯び始めている。歩きながら取り出すと手の中でうっすらとオレンジ色に光っているように見える。巨岩の間を通ると小さなビーチに出た。

「これ持っていてね。カルサイトっていう珊瑚の化石が石になったものなんだけど、この二つの石は男石と女石でペアになっていて、離れるとお互いが惹きあうの。何年経ってもどんなに離れても一緒に居ようとするの。いつかまた逢えるように持っていてね。」小さなビーチで少女に渡された石は今、本来の居場所に帰ろうとしている。

「ピーン♪」「ピーン♪」音がする。いや、頭の中に直接聴こえるようだ。初めて石を手にした時と同じように。「何故だ?」色んな思考が混濁する。彼女はもうこの世にはいないのかもしれないというのに…。


 この石をくれた少女と出逢ったのはこのビーチだった。砂浜に座りながらあの日々を思い返している。

 ビーチでのバイトが終わると毎日のようにスノーケリングに行った。当時はまだ観光ブーム前で観光客も少なく、誰もいないビーチが沢山あった。特にお気に入りになったのがここだった。ある日、沖から浜に戻ると、大きな麦藁帽子を被った長い黒髪の少女が砂浜に突き出た岩の上に座って海を眺めている。少し距離を置いて砂浜に座った。三角座りをした膝の上にあるのは画板のようだ。手にした色鉛筆が画用紙の上をなぞっている。

 どんな絵を描いているのか気になって、そばに行って覗き込んだ。「近寄らないで!」「あ、邪魔してごめんね!」「そうじゃないの。ドキドキしちゃ駄目なの。私、病気だから。」こちらを見たその丸い瞳に吸い込まれるような気がした。「そばで見ててもいい?」少女は頷いた。

 鉛筆の下描きの上から彩られていく。何故か大きな亀が絵の中にいる。見ている景色の中ににはいないのに、何故亀を描いているのだろう。ふわっと少女の身体が左に傾いた。「危ない!」慌てて横から支えた。両手で胸を押さえている。苦しそうだ。どうしたらいい?「はぁはぁ、く、薬。」後ろにあるバッグに白い小さな手を伸ばそうとする。バッグを取って渡すと曜日が書かれたプラスチックのケースから、三つのカプセルを取り出した。右側に置いていた水のペットボトルを手渡す。飲み辛そうに見えて、右手で支えた。息がし辛いのか、呼吸が粗くて辛そうだ。心配で暫く見守っていると「ごめんなさい。もう、大丈夫だから。お薬飲むの忘れてただけだから。ありがとう。」「胸の病気なの?」「うん、生まれつき心臓が悪くて。」「だから、ドキドキしちゃいけなかったの?気が付かなくて…。俺のほうこそ、ごめんね。」「お薬ちゃんと飲んでたら平気だけど、私人見知りするから、緊張しちゃって。」やっとこちらを見てくれた。緊張の糸が緩んできたのか、ゆっくりと会話が弾み始めた。名前は「沙菜」といい、この島の生まれ育ちだ。十七歳だが病気の為に入退院を繰り返していて、高校には行かず大学入試資格検定試験合格を自力で目指している。勉強に疲れたら、体調の良い時だけアシスト付き自転車に乗って、このビーチに来ているらしい。

「内地に行ってみたいなあ。沖縄には行ったことあるんだけど…。」島も沖縄県なのだが、何故か島人は沖縄本島のことを「沖縄」と呼ぶ。心臓に負担がかかるから長時間のフライトは彼女には心配らしい。

 「ねっ、都会ってどんな感じ?」「んー、そうだな。那覇とあんまり変わらないよ!」沖縄と都会の話を色々とした。柔らかな笑顔が溢れるこの少女が重い病気を患っているなんて、世の中はあまりに不公平だ。

「そろそろ帰らないと。」先に立って手を差し伸べた。柔らかな笑みを浮かべて細い指先が僕の右手を掴んだ。「あっ?」お互いに声が出た。ビリっと一瞬電気が走ったような気がしたからだ。その時は、静電気だろうと気にも止めなかった。巨岩の後ろにアシスト付き自転車が停めてあった。

「明日、また居る?」話の続きがしたくて、いけないと思いつつ聞いた。「体調次第だけど、多分。」「あっ、でも無理はしないでね。」


 翌日、バイトが終わると急いで着替えてビーチへと向かった。途中、スイーツの有名な店に寄ってマンゴープリンを買った。車を停めて、巨岩を抜けると昨日と同じ場所で少女は絵の続きを描いていた。「隣座っても?」「はい、どうぞ。」並んで肌が触れるほど近くに座った。「今日は、潜らないの?さっき、海亀居たよ!」「車にスノーケル忘れて来ちゃった。」絵を描くしなやかな手と眩しい海を交互に見る。「海亀ってじっとしてないから難しいよね。」「もう、頭の中に入っているから。」彼女の右手が停まる時間が増えてきた。そろそろ完成が近付いているのだろうか。「こんなもんかな。」色鉛筆をケースに戻した。「綺麗だね!海亀がそっくりだし!」淡いパステルカラーのその絵は沙菜のように透明感に溢れている。「お疲れ様!これ、ご褒美!」紙袋からマンゴープリンを出して、彼女の左手に置いた。「うわー!これ大好きなやつ!あれ、昨日話したっけ?」「ううん。でも、好きそうだなと思って。」「ありがとうー!」プラスチックのスプーンにオレンジ色のプリンを乗せて頬張る横顔が昨日より身近に感じる。「美味しいー!」「良かった!また明日買って来る。」


 次の日は雨で、彼女は居ないだろうと思い、ビーチには行かなかった。その翌日には雨が上がりバイトを終えて急いでビーチへと向かった。駐車場から小走りにビーチへと歩く。

「居た!」少女の大きな麦藁帽子が見えた。心がワクワクする。いつのまにか、沙菜と過ごす時間が一番の楽しみになっていた。「こんにちは~!今日も描いてる。」よく見ると画用紙に濡れたような跡がボカシのように点在している。「うん、描いてるよ。」彼女の左側に腰を下ろす。「プリン買って…。」急に右肩に重みを感じた。沙菜がもたれかかっている。「沙菜ちゃん?まだ、そういうのは…。えっ?」呼吸が激しい。「薬?」何も応えない。頭を右膝に置き、後ろに置いてあるバッグに手を伸ばす。薬のケースを取り出した。「水って書いてあるのでいい?」「びょ、病院…。宮古病院に。」額に手をあてると熱い、熱があるようだ。

 細い彼女をおぶって、シートを倒した助手席に寝かせた。宮古病院に電話を入れると通院をサボっていたらしい。「もう、心配していたんですよー!こちらに連れて来れますか?」

 急いで、循環器科へと向かう。沙菜はすぐにストレッチャーに乗せられ、診察室に入ると同時に点滴が入れられた。「ご親族の方では?」「いえ、ビーチで居合わせただけで…。」診察室から廊下の椅子へと案内された。ストレッチャーに乗った沙菜が出てきた。話しかけようとすると、「今は眠っています。このまま病室に移動しますから。」ストレッチャーを押す看護師に着いていった。

 看護師と一緒に沙菜を抱えて、ストレッチャーからベッドに移した。驚くほど軽い。「暫く、安静にしてくださいね。」看護師は病室を出ていった。「うーん。」まだ、目覚めてはいない。何か夢を見ているのだろうか?まだ、息が辛そうで心配だ。せっかく買ったマンゴープリンは、ビーチに置いて来てしまった。

 右手にふわりと冷たい何かが触れた。椅子に座りうとうとしていたようだ。右手に触れた沙菜の左手を左手で上から包んだ。まだ熱があるのに手はこんなに冷たい。

「大丈夫?」「私、何で病院に?」覚えていないようで、事の経緯を簡単に説明した。「あーあ、プリン食べそこなっちゃった。」強がって口を尖らせる。「また、買って来てあげるから、今は寝たほうがいい。」「寝たら達也さんと話出来ないよ。」「だーめ、また明日来るから。」「ほんと?」

 ガチャリと病室のドアが開いた。「沙菜、あんた大丈夫?」「大丈夫だよ!」「こちらは?」「達也さん、ビーチから車で運んでくれたの。命の恩人だよ!」「ほんと、ありがとうありがとう!たんでぃがたんでぃ!」母親らしき人が僕の右手を両手で持って何度も頭を下げた。「えーと、僕はこれで!」「シュークリーム買って来たから一緒に食べて!」「この子ったら、昨日雨降っているのにビーチに行くって、何度も止めたのにあたしがパートに出たら出ていったみたいで、夜店から帰ったら咳してるし、ほんとにもう。」「お母さん、もうやめてって!わかったから!大丈夫だから!」

 一礼して病室を後にした。「沙菜ちゃん、身体悪いのに雨の中で待ってたんだ。」何か罪を犯したように心が重くなった。暫く入院なんてことになったら僕のせいだ。入院費とか差し入れとか、何か出来ないだろうか?もう、すっかり真っ暗になっていたが、ビーチへと車を走らせた。岩の上にマンゴープリンが入った紙袋と紫色の小さな巾着袋があった。沙菜の画板は風に飛ばされたのか少し先に落ちていた。

 車の助手席に回収した物を置き。沙菜の絵を見る。「ん?」薄くだが鉛筆の下書きがある。男女が仲良く並んで座っている。長い髪は沙菜、短髪で無精髭なのは僕のようだ。写真を見た訳でもないのに、よく描けるものだ。


「こんにちは~!」沙菜の病室のドアを開いた。カーテンで仕切れるようになっていて、同じ病室に六人ほど居る。彼女のベッドのカーテンは開いていて。ベッドに腰掛けてサイドテーブルに向かっている。「あ、達也さん!こんにちは!」「起き上がって大丈夫なの?熱は?しんどくない?」「もう、大丈夫!安定しているみたい。」容態が悪くなってたらどうしょうかと心配していたから、ほっとした。

「ほら、マンゴープリン!」「わーい!」沙菜と向かいあってプリンを口に運ぶ。「それと、これ!」画板を渡すと「まだ見ちゃダメー!」胸で絵を隠した。「もう、見ちゃったよ!」「もー、出来上がるまでダメ!」「あと、これ。」口を堅く紐で縛られた紫色の巾着袋を渡した。一度解くと結べないような複雑な飾り結びになっている。「これは何?何かころころしてるけど…。」「うーん、オバアに貰ったんだけど…。まだ、内緒。」ビーチに置いていたせいか、車中に置いていたからか人の体温のように温かい。


「お母さんは?」「さっき来てたけど、そろそろお店かな?」話を聞いてみると、母親が若い頃に父親と離婚し、今は沙菜と母親の二人暮らしだ。年の離れた姉がいるが父親のほうに引き取られ、内地で就職し結婚したらしい。沙菜の母親は、病気の沙菜の治療費や生活費を支える為に朝から昼過ぎまで弁当屋、夜は友達のスナックを手伝っている。将来的には沙菜の心臓移植も考えているらしい。

「退院したら車でドライブしようか?他に行きたいとこある?」「えー、いいの?」「もちろん。観たい場所とか行きたいところとか…。」「夜でもいい?」「いいけど、夜?」「サガリバナが観たいの。」沙菜に説明してもらうとサガリバナは熱帯の湿地帯に咲く躑躅(ツツジ)目の花で日没から咲き始め、夜明けには散ってしまう。儚く妖精のような花だとか。

「夜だとお母さんに許可もらわないと。」「大丈夫!帰って来るの夜中の2時とかだから。」「ラインとかやってないよね?」沙菜が頷く。「携帯、これだから…。」おずおずと枕元から取り出したのは、かなり昔風のガラケーだった。「じゃ、SMSするよ!」「SMSって?」「んーとね。ショートメールサービス。」携帯を手にとってやり方を教えた。

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