第20話 騒ぎの後

 ベヒモスは雄叫びを上げると、周囲にいる人々をその腕や尻尾で薙ぎ払いはじめた。

 人でごった返す大通りはたちまち混乱と叫びに包まれた。


「パメラ、あなたは逃げて!」

「あなたはどうするの!?」

「戦う!」


 ジュリアは橋の欄干に飛び乗ると、駆け出す。

 そして大通りにあった屋台に飾られていた二本の模造剣を両手に持ち、怪物に向かって駆け出す。


「ジュリア!」


 ギルフォードだ。


「ギルは、魔導士をお願い!」

「そんな剣でやるつもりか!」

「やるしかないでしょっ!」


 ジュリアは倒れた子どもを踏みつけようとするベヒモスの視界に入り、その体を斬りつける。模造剣だが、それでも刃は金属だ。


 大したダメージは与えられていないが、斬りつけられたという怒りで、ベヒモスの狙いがジュリアに移る、


 グガアアアアアアアアアアア……!!


 ジュリアを押し潰そうと腕を叩きつけてくるが、すんでのところで回避する。

 硬い皮膚には模造剣ではとても致命傷とはいかない。


 ――それでもやりようはあるっ!


 ジュリアは大ぶりなベヒモスの動きを軽やかなステップで回避し、逆に翻弄し、相手の懐深く踏み込んだ。同時に、その剥き出しの目に向かって剣を一本投げつけた。

 剣は狙いを外さず、吸いこまれるように右目に突き刺さった。


 ギイイイイイイイイアアアアアアアアア……!!


 呻き声が響きわたる。

 ジュリアは痛みに動きを止めるベヒモスの体を足場に目に刺さった剣に飛びつき、さらに深く食い込ませる。


 ベヒモスは腕をがむしゃらに振り乱すが、ジュリアはもう一本の剣で、するどい爪をさばく。


 ――残った左目も奪えれば!


 しかし模造剣が折れてしまう。


「こんな時に!」


 回避しようとするが、鋭い爪で右腕を裂かれてしまう。激痛と共に、血飛沫が飛ぶ。


「あああ!」


 ジュリアは弾かれながら、受け身を取って転がる。


 グウウウワアアアアアアア!!


 ベヒモスが今度こそ叩き潰そうと右腕を振り上げ、ジュリアめがけ叩きつけてくる。


「ジュリア!」


 ベヒモスの腕が、ジュリアを背にかばったギルフォードが展開した防御障壁に阻まれた。 ベヒモスの巨躯が弾かれるのと同時に、衝撃波が広がり、ギルフォードが右耳にしていた耳飾りの青い石が砕けた。


「ジュリア、平気か!?」

「ありがとう。魔導士は?」

「追い詰めたが自害された。さっさと立て! くるぞ!」


 ベヒモスはすぐに体勢を立て直し、襲いかかる。

 ギルフォードは子どもの大きさくらいの氷の刃を周囲に展開し、それを飛ばして、ベヒモスの足を斬り裂く。


 軸足への集中攻撃に、頑健な体をもつベヒモスは体勢を崩して横倒しになる。

 ジュリアはベヒモスに肉迫すると、右目に突き刺さったままの剣を掴み、力任せに引き抜き、返す刀で左目を貫く。


 さらにギルフォードによって氷の刃がベヒモスの体を斬り裂けば、ベヒモスは動かなくなった。

 その体からみるみる色が失われ、まるで大理石の象のようになったかと思えば、風に吹き散らされて消えていく。


「……ギル、ありがとう……」


 ジュリアは右膝をつき、肩で息をする。今さら疲労感と右腕の痛みが押し寄せ、脂汗が頬を伝う。


「無茶をしすぎだ」

「……でも、みんなが逃げる時間を稼げたから」


 すでに騒ぎを聞きつけ、陸軍や魔導士たちが駆けつけ、怪我人の収容、残党の把握のために一帯の封鎖をはじめていた。


 ギルフォードは治癒魔法で、腕の傷を治してくれる。

 治癒魔法の心地良い温もりに、思わず目を閉じる。まるで春の陽向にごろんと横になっているかのよう。


「これでいい。他に怪我は」

「大丈夫。そこだけ。ありがとう……」

「ギルフォード様!」


 その時、涙目のユピノアが走り寄ってくるや、ギルフォードの腕にしがみつき、「怖かったです!」と大袈裟に泣き始めた。

 その光景に、胸に痛みがはしる。


「じゃあ、私は……」

「邪魔だ」


 ジュリアの目の前で、ギルフォードはユピノアを冷たく振り払った。

 振り払われたユピノアは唖然とした顔で、尻餅をつく。


「ぎ、ギルフォード様、な、何を……」

「恋人ごっこは終わりだ。邪魔だ。帰れ」

「ご、ごっこ? 私たちは婚約したのではなかったのですか!?」

「婚約? 何の妄想だ。早く失せろ」

「!」


 なぜか、ユピノアはジュリアを睨み付けてきた。


 ――どうして私を睨むの?


 何も言っても誤解しか招かないかもしれない。こういう場合、なにも言わない方がいいのかもしれない。

 と、ギルフォードは不意に手を伸ばしてきたかと思えば、ジュリアの胸を飾っていた薔薇を取り上げた。


「なんだこれは」

「薔薇、だけど」

「……赤薔薇。男漁りに来たのか」


 ギルフォードが冷ややかな声と眼差しを向けてくる。

 しかめ面の多いギルフォードが、本当に不愉快な時にみせる表情だ。

 実際、ジュリアはフリーなのだからそんな顔をされる謂われはない。

 一体何が気に入らないのか。


「それはただ身につけてただけ。今日はずっとパメラと一緒に回ってた。男はぜんぜん近づきもしないし、近づかせるつもりなかったわ」

「本当だな」

「疑うなら好きにして。そっちこそ、ユピノアさんとずいぶん仲良くしていたじゃない」


 ギルフォードは手の中で弄んでいた薔薇を、ジュリアの胸元に戻す。


「あれは上官から会うだけ会ってくれと泣きつかれて、付き合っていただけだ。最初から何の関心もない」

「だったら、秘密にしてないでそうと教えてくれればいいのに」

「義理で付き合っているだけなのに、どうして報告する必要がある」

「それは……でも……」


 最初から事情を知っていれば、はじめて仲良くしているギルフォードたちを目の当たりにした時、やきもきせずに済んだのに――とは、なんだか言いたくなかった。


「魅了魔法のことだってあるでしょ。気がないんだったらすごく危険じゃない! もし我慢できずに押し倒すようなことになったら……」

「するわけがない」

「どうしてそう言えるの。これまで……」

「この話はもう終わりだ」


 ギルフォードは本当に自分のペースで物事を進める。それは今にはじまったことじゃないから、ジュリアも深くは追求できずに、あきらめた。

 どうせ答える気がなければ、ギルフォードは絶対に答えないのだから。


「帰るぞ」

「ちょ、ちょっと、ギル……っ」


 彼は強引にジュリアの手を掴んだかと思うと、テレポートする。

 白い光に包まれたかと思えば、気付けば、クリシィール邸の前だった。


「なに勝手に……。いくら何の感心もないからって、彼女を放っておいていいの!? せめて送っていくのが誠意なんじゃ」

「やるべき義理は果たした。元からどうでもいい小娘だ」

「……彼女は片思いの相手ではなかったのね」

「? 何だ?」

「う、ううん、何でもない。それにしても勝手にテレポートなんて」

「そんな格好であんな場所においておけるか」


 自分の服装を見る。たしかにベヒモスとの戦闘によってドレスはビリビリに破れてしまっていてひどい有り様だ。


「ギル、ごめんなさいっ。このドレス、勝手に着ちゃった上に,こんなボロボロにしちゃって……。弁償するから!」

「問題ない」

「問題ありすぎだと思うけど、ねえ……」

「問題ないと言ってる」


 ギルフォードは必要ないと言うわりにはじろじろと、ジュリアのドレス姿を見てくる。

 やっぱり大切なものだったのだ。


 ――笑った?


 かすかにだが、ギルフォードの口元が緩んだように見えた。瞬きした時にはすでに笑みは綺麗になくなった後だったけど。


「問題ないと俺が言ってるんだ」

「もう……。分かった」

「何だ?」

「いや、私……あなたのものを壊してばっかりだなって」

「何を言ってる……」


 ジュリアはぐっと身を乗り出し、ギルフォードに体を寄せた。


「お、おいっ」


 ギルフォードは息を乱す。

 ジュリアはギルフォードの耳飾りに触れた。


 これはいつの頃からか、ギルフォードが肌身離さずつけていたものだ。どんな時でもこの耳飾りをつけていた。両親からの贈り物だったのかもしれない。それを考えると、申し訳なさで胸が締め付けられてしまう。


「……これ、私を守った時に、壊れちゃったんだよな」

「仕方ない。形あるものはいつか壊れる」


 でもその時に見せる彼の顔に過ぎった悲痛な色を、ジュリアは見てしまった。


「ギル、本当にごめん……」

「お前が謝る必要ないんだ。必要もないのに謝るな」

「でも」

「……許してやるから、黙ってろ」


 腕を引っ張られて抱き寄せられた。


「!?」


 いきなりのことで咄嗟に反応することもできない。


「……無事で良かった」


 そう熱い息遣い混じりに囁かれた。

 ギルフォードは長く長く、ジュリアを抱きしめつづける。息がしにくいくらい強い抱擁なのに、やめて欲しいとは不思議と思えなかった。


「ギル、今……魅了……」

「黙れと言っただろ」

「う」

「……そうだな。魅了されたよ」


 その声はどこか呆けたようで。

 ジュリアは自然と体から力が抜け、彼の体にしなだれかかってしまう。


 どうしてそんな行動を取ったのか、自分でも分からなかった。

 そんなジュリアを包み込むように、ギルフォードはしっかり抱きしめてくれる。

 忙しなくなってしまっている鼓動がきっと、彼にも伝わってしまっているだろう。


 それが無性に恥ずかしいのに、それでも構わないと思う自分がいることに動揺しながらも、今覚えている体の熱を忘れられそうになかった。

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