第9話 運命の相手

 パメラと一緒に向かったのは帝都でも指折のレストラン。

 すでに予約は取ってあったらしく、スムーズに案内してもらえた。

 ジュリアは国の英雄の一人である。英雄を客として迎えられるのはレストランの栄誉とばかりに、わざざわざ支配人から挨拶を受けてしまった。


 ワインで乾杯し、前菜をつつく。


「こうして一緒に食事をするのは久しぶりよね」

「戦争があったから」

「活躍は聞いてるわ。公国の連中をぎったんぎったんに叩きのめしたんでしょ? さすがは、ジュリアだわ!」


 パメラは目を輝かせる。

 実はパメラは元々軍人志望だったが、家族から全力で止められたという経緯がある。


「はぁ~。私にもジュリアみたいな類い稀な身体能力があったらなぁ」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、私はパメラみたいな女性らしい女性になりたかった」

「え~、どうして? つまらないよぉ~?」

「こんな広い肩幅にガッチリとした体型じゃドレスだって着られないし」

「前に一緒にドレスを買いに行った時、とても素敵に着こなしてたのに。そんなことないってさっさと脱いじゃって」


 あれは苦い思い出だ。

 パメラは友人だからそう言ってくれたけど、とても更衣室の外に出られない。

 もちろんデザインや色使いなど気に入っていたんだけど。


「無理。あんな格好でパーティーに出たらとんだ笑いものよ」


 学生時代の舞踏会すらパンツスタイルの制服で出席したくらいだ。


「もう、本当に理解できない。ジュリアってば普段は自信満々で格好いいのに、急に臆病になったりするわよね。実際、パーティーに出て笑われた経験があるの?」

「笑われたくないから予防線を張るの」

「一度、着てみればいいのにぃ~」


 それは母からもよく言われる小言である。

 子どもの頃から軍の幼年学校の制服を着て以来、ドレス姿で公の場に出たことがなかった。もちろんドレスに袖を通したことはあるし、それを見たメイドや母から「素敵!」と言ってもらったりする。


 でもあれは結局、身内びいきの人たちからの褒め言葉だ。

 メイドたちは軍人のジュリアに心酔しているし、母親は親バカなところもある。

 とても真に受けられない。


「わ、私のことより、報告があるんでしょ。それを教えて」


 パメラは「もう」と少し不満そうだったが、すぐに切り替えて満面の笑みを浮かべる。


「実はね、私、ついに運命の相手に出会えたのっ」

「え。じゃあ、儀式をやったの?」

「やった。運命神の儀式、しちゃいました! それでね、やっぱり彼のことが好きなままだったの!」

「すごいじゃない。おめでとうっ」

「ふふ、ありがと」


 パメラは頬を桜色に染めた。

 どんな熱烈に愛した二人も運命でないと分かった途端、どんな気持ちも強制的に冷めてしまう。


 運命の相手かどうか知るのは、とてつもなく勇気がいることだ。

 誰もが憧れながら、違った時のことを考えて怖くて手が出ない。それでいて身近な人が儀式を成功させると羨ましいと思うのだ。

 ジュリアもまたそんな一人。


 ――ま、私にはそもそも相手がいないんだけど。


「ジュリアは?」

「ぜんぜん」

「お見合いしてるんでしょ」


 ジュリアは曖昧に頷く。


「もしかしてギルフォード将軍が潰したのっ? 一体これで何回目!?」

「十回目くらい?」

「なんで!」

「怒らないで。今回は助かったの。相手がかなりの浮気性で、うちの財力をあてにしてて。それをギルが教えてくれたの」

「そういうことならいいけど……。でも毎回そういうわけじゃないでしょ?」

「……うん」


 一体どこから聞きつけてくるのかは分からないが、ジュリアの見合いはことごとくギルフォードによって潰されてきていた。


 平日、休日は関係ない。

 突然見合いに乱入してくるギルフォードは演習についての話し合いが必要とか、敵軍残党の居場所が分かったから付いて来いとか、理由はさまざまだ。


 ジュリアとしても公務を出されれば、その場から離れざるをえない。でもそれに対して残念と思ったことは不思議とない。


「まあでも心惹かれる人もいなかったし」


 ギルフォードの邪魔で駄目になっても、本当に相手が気になれば別の日に見合いを再設定すればいい。そうしないのは結局、相手に惹かれないから。

 パメラのように運命の相手と出会いたいとわがままは言わないが、せめて心ときめくような相手と結婚したい。


 これまでそんな人と出会ったことがないと言ったら、『初恋もまだなんて! ジュリア、純粋すぎるよぉ!』とすごく驚かれた。

 たしかにジュリアも自分でもおかしいと思う。


 士官学校の同期たちに聞いてみると、どの子も初恋は子ども時代に済ましているもので、未だに初恋を知らないなんて聞いたことがないらしい。

 その話題が誰からか漏れたらしく、当時は男どもから『脳みそが筋肉どころか、心まで筋肉だな!』と揶揄された。

 自分でもその説はあながち的外れじゃないかもと思ったのが悲しい。


「将軍にはちゃんと、責任とってもらわないとっ」

「せ、責任?」

「そう。将軍と結婚するの」

「む、無理……」

「なんで? あのギルフォード将軍よ。軍の男の中で一、二を争うほどモテモテ男。なのに誰にもなびかない。それに、ジュリアは将軍と幼馴染なんでしょ? 長男だったとしても関係ないわよ。子どもを二人産んで、一人をクリシィール家の養子にするっていう手もなくはないでしょ」

「……幼馴染だったっていうだけ。今じゃ目も合わせてくれない。ギルがそもそも嫌がるわよ」

「目も合わせないくらい嫌われてるのにお見合いは邪魔するって何?」

「邪魔してるんじゃなくって用事があって……」

「うーん……。私からすると明らかに邪魔してるようにしか見えないんだけど。今回のことなんてわざわざ相手の男が浮気性だって調べた訳でしょ」


 そういう風に受け取れなくもない。


「嫉妬なんじゃない?」

「それはない」


 ありえなさすぎて、ジュリアは笑ってしまう。

 ギルフォードは傍からみても女性に苦労してない。浮いた話を聞いたことはないが、そんな彼が何を血迷ってジュリアに嫉妬などするのか。


「え~」


 恋バナ大好きなパメラは不満げな顔をする。


「私がどれだけ嫌われてるか。嫉妬はどう考えてもありえない。ただ単に、私には結婚は無理だって身の程を知れって言われてるのかも」

「ちなみに見合いのことを伝えたの?」

「……伝えてない。そう言えば一体どこで知ったんだろう」


 見合いの話を知っているのは副官くらいだ。


「とにかく今度将軍に会ったら言ってみたら?」

「なんて言うの?」

「結婚して、とか? 案外うまくいくかもよ」

『愛してる』


 頭を過ぎるのは、ギルフォードの甘い愛の囁き。


 ドクン!


 ――また心臓がおかしい……。


 彼のことを考えるたび、不整脈になる。


 ――あれは魅了の魔法の効果のせいだからっ。


「もうギルのことはいいから別の話にしよっ」


 これ以上、ギルフォードのことを話すのはためらわれ、ジュリアは話を無理矢理逸らした。


 ◇◇◇


 ジュリアはパメラを馬車で見送ると、一人、夜道を歩いて行く。

 パメラには家まで送ると言ってくれたが丁重に断った。

 今のパメラにギルフォードの屋敷で暮らしていることは言わない方がいいだろう。

 

 久しぶりのパメラとの食事会は楽しかった。いろいろあったから、ほどよく肩に入っていた力を抜くこともできた。


「ちょ、ちょっとやめてください……っ」


 満足感に浸っているジュリアの耳に、女性の小さな悲鳴が聞こえた。

 声は公園からしていた。柵を乗り越えて駆け出す。

 と、外灯の明かりの届かないところで若者三人が女性の手をしつこく引っ張っている。


「少し付き合ってくれればいいんだから」

「いやですっ。本当に大声あげますよ……」

「あげてみろよ。こんな夜中に誰かが来ると思ってるのか?」

「私が聞いてるわよ。馬鹿なことをしてないでさっさと家に帰りなさい」


 ジュリアが声をあげると、男たちが胡乱げな眼差しを向けてくる。酒が入っているのか三人とも赤ら顔。


「行って」


 注意が逸れた隙に、ジュリアが顎をしゃくると、女性は小さく頭を下げてかけ出す。


「おい、待てよ!」


 男が追いかけようというのを回り込んで遮った。


「邪魔だっ」


 男が殴りかかってくるが、素人の動きだ。

 ジュリアは軽く上体を反らして拳を避けると、顔面に拳を叩きつけ、前歯を何本か折って気絶させる。


「な、なんだお前……」

「おい、こいつ軍人だぞ」

「この女……もしかして黒い死神じゃ……」

「ひいい、助けて!」


 残りの二人は、地面に伸びている男を見捨てて駆け出す。


「待ちなさい!」


 ジュリアは駆け出す。男たちが角を曲がって一瞬その姿が見えなくなったかと思えば、「うぎゃあああ!」と情けない悲鳴が聞こえた。

 ジュリアが駆け出すと、男たちが顔以外を氷漬けにされて地面に転がっていた。


「ギル……どうして」


 そこにはなぜか、ギルフォードがいた。

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