7. 空、果てなく暗く






 騎士たちを囲む敵は減るどころか、増え続ける一方だった。コアを砕いて砕いて、砕き続けて。泥と瘴液にまみれ、いつ黒獣化するかも分からないほどの瘴気を吸い込み、冷えきった体とともに一心不乱に王都の街道を走る。

 それでも敵を前に仲間は倒れ続け、ついにが彼らを襲い始めた。



「あ、あ……いヤだ、イヤだ。たす、タスケ……」



「し、しっかりしろ! 気をしっかり持て!」



 人が黒い泥に染まっていく。流暢だった言葉はやがて曖昧になり、代わりに形を成さない気味の悪い呻きが漏れた。――その意味を、この時代の人間たちはよく理解している。



「ガァ、アアアアアァ!」



 騎士の一人が、別の騎士を襲い始めた。耳を塞ぎたくなるような奇声を上げ、体から瘴気を発し、膨れ上がった巨躯が、動揺で思考を停止させたを捉える。

 ケモノの腕が騎士の頭上で振り下ろされた。――硬直した彼と、黒獣の間に割って入る軌跡が一つ。



「アユハ、様……」



 彼の剣は寸分の狂いもなく黒獣のコアを砕いた。砂のように消えていくケモノを見下ろすのは、冷たい瞳。彼と、彼の前で散っていく同僚を見ながら騎士が言葉を失っていると、ふいにアユハが振り返る。



「……は迷わず斬って」



「…………はい」



 それ以上は何も言わず、アユハは早々に別のケモノのもとへと向かっていく。

 黒獣に圧され、ふらりとティエラがよろめいた。彼女に肉薄していた敵のコアを貫き、流れるように背に庇う。

 その動きは城を出た当時から変わらず、彼の剣は曇ることを知らない。雨に濡れた黒髪の下から覗く眼光は、ずっと黒獣だけを見据えている。



『どうか……この国を守ってください』



 突然の悪夢だった。黒い瘴気は都を走り、凍える雨が降り注ぐ。

 この惨劇の中で、数えきれないほどの人々がケモノに喰われる様を見た。そして、それ以上に黒獣を殺した。民だったケモノも、仲間だったケモノも、立ち塞がるのならば全て。――全て。



『黒獣病に勝って』



 つい先ほどまで言葉を交わしていたをこの手で斬り殺す。それは、自分が生きるために。“人”を守るために。

 迷いを自覚する前に、戸惑いや躊躇いを覚えるよりも早く、速く、敵を殺す。それがこの世界で生き残るための唯一の手段だった。ケモノに情けをかけた途端、返ってくるのは死のみである。

 黒獣の腕を落とし、足をもぐ。続けて頭を潰すと、悲鳴のような咆哮が上がった。しかし、そんなものに意味などない。どうせコアを壊さない限りすぐに再生するだろう。



「いい加減消えてくれよ……」



 疲弊しきった騎士の嘆きが微かに届いた。内心で深く同意を示しながら黒獣に止めを刺す。一歩ずつ確実に外壁の門に近付いてはいるものの、目的地にはまだ遠い。

 黒獣が吠える。示し合わせたように、束になってケモノがアユハに襲い掛かってきた。



(――まただ。なんだ? この感じ……)



 城を脱出し、ケモノとの戦闘を重ねるたびに強くなる一方の違和感。黒獣の叫びが、まるで周囲のケモノへの合図のように聞こえる。呼び声に集まり、標的を知らせ、連携して獲物を追い詰めていくかのような――。

 そんなことはありえないと分かっている。黒獣に他個体と協調できるような知性などない。ケモノはただ、目の前の命に見苦しく群がるだけだ。

 どれだけの集団に囲まれようと道を譲る気はなかった。しかし、これほど集中して標的にばかりされていると余裕がなくなってくるのも事実だ。これ以上長引けば、戦線の崩壊も時間の問題だろう。



「ティエラ様、先に進んでください。これ以上足止めされたら俺たちも……ティエラ様?」



「……え、ええ。アユハも急いで」



「もう少しです。気を確かに」



 普段ならば数分でたどり着くはずの門は、敵の分厚い壁に阻まれ見えなくなっている。しかし、随分と前に周囲の敵を数えることはやめてしまった。そんなことに余力を割かなくとも、目の前にいるケモノをただ殺し続けていればいずれ道は開けるだろうと信じたい。

 広がり続ける戦場に銀の軌跡が尾を引いて乱舞する。

 空を失い、病霧の立ち込めるくらいアルヴァレスで、その光だけが心の拠り所だった。










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