第6話

 私はとあるマンションの部屋の前で、ドアにもたれかかるようにして立っていた。小野の友人のマンションは、白いコンクリートから削り出したかのような見た目をしていた。清潔感はあるが、無機質な感じだ。

 来てすぐにインターフォンを鳴らしたが、返答がなかったからしばらくそこで待つことにした。家の表札には澤井と名が刻まれていた。

 しばらくすると、一人の男が買い物袋を持ってそこに来た。私の姿を見て、彼は驚いたようだった。

 「は? え、ちょっと誰ですか」

 「あ、ここの家主さんですか?」

 「え? そうですけど…。誰? ストーカー? そこ僕の家ですよ?」

 男は混乱した様子でドアを指差してそう言った。私はドアから身を離して財布から名刺を取り出した。

 「私、こういうものです」

 「ああ、え、探偵?」

 男は、私の名刺を見て不思議そうな顔をした。確かに、『あおい探偵事務所 芳賀葵』は文面だけ見たら威圧感がありそうだ。名刺のインパクトを掻き消すべく、笑顔を作ったが、余計に彼は警戒したように見えた。

 「探偵さんが、なんのごようですか?」

 「はい。あなたと話してほしいとの依頼を受けまして」

 「それは探偵の仕事なんですか?」

 男は細い目をして、私を下から上まで見返した。やはり、厄介なストーカーだという疑いはまだ晴れていなかったようだった。

 「まぁ、いいや。誰からの依頼? 取材とか、そういうのはお断りですけど」

 「あなたのご友人の小野さんから依頼を受けました」

 「え?」

 「ご友人の小野さんから、あなたとお話ししてほしいと依頼されました」

 私が強調すると、男は驚いたような顔をした。彼の様子を見るに、かなり予想外だったみたいだった。

 「ええ、ちょっと待って、マジで?」

 「マジです。とりあえず、家入れてもらってもいいですか?」私はもうノブを掴んで回したい気分だった。

 「…いや、ここで頼む」

 「え?」

 「申し訳ないけど中には入れられない」

 「今日、暑くないですか?」

 「いや、普通だ。昨日よりちょっと快適なくらいだから、ここで大丈夫だと思う。もし喉が乾くなら中からお茶を取ってこよう」

 いや、暑いですとまだ主張したかったが、男は頑なだった。残念だが、それは仕方ないことなのだろう。

 「…そうですか」

 私は声音に残念感が出ないようにしたつもりだったが、しっかりそうできていただろうか。


 

 「小野さんと、しばらく連絡を取られていないと伺いましたが、どうされたんですか」

 「いや、あのだね…」

 私の質問に男は言いづらそうに口ごもった。彼は買い物バッグを体の前でモジモジと触っていて落ち着かなそうだった。

 私たちはアパートの廊下で話し合っていた。男は自分を澤井瑛一と言う名である事を私に伝え、「そこに居られると、なんか怖いから退いてもらっていいかな」と私がドアの前を塞ぐように立っていたのを退かした。

 「小野さん、心配されてましたよ」

 澤井さんは、私の言葉にはっと顔を上げた。

 「それは申し訳ないと思っています、小野さんには。彼は悪くないのに」そう言って、澤井さんは言葉通り申し訳なさそうな顔をしたから、私は小野は泥棒の悪人なので大丈夫ですと伝えたくなった。

 私はそんな澤井さんに助け舟を出したい気分になった。

 「以前、私小野さんの家に伺ったんですよ。その時に小野さんに二階の時計とか宝石が集められている部屋に入れてもらいました。そうしたら、その部屋の窓の金具が壊れてるのを見つけました。あれ、高価そうですけど、小野さんは実はそこまで高くないって言ってましたよ。澤井さん、小野さんとお酒飲んでたんですよね? まぁ、仕方ないですよ。そういう日もあります」

 澤井さんは私の言葉を聞いて黙って、そして笑った。

 「そっか。もう彼にはバレてるんだね」

 そう言って澤井さんは深呼吸してから、ズボンのポケットからスマホを取り出した。

 「ありがとう。今から小野さんに連絡して謝るよ。窓の金具は僕が壊したので弁償しますって。流石に罪を打ち上げないで逃げようとは思ってなかったんだ」

 「ちょっと待ってください」

 私は間違った方向に誘導してしまっていたことに焦った。小野との会話では、あの金具を壊したのは小野がライバルと言っていた男の犯行ということにしたから、別に澤井さんに謝ってほしい訳ではなかった。余計面倒な方向に行く可能性がある。それは避けたかった。

 「小野さんは、あの金具のことはもうどうでもいいって言ってました。もう修理したし、水に流すって」

 「ええ…。でも、やっぱり謝っとかないと流石に」

 「いや、良いんですよ、本当に。小野さん、金具に関して責めるつもりとかないらしいし、むしろ触れないで普通に友人として接してほしいみたいで。何かで自分に対しての負い目を持っている相手は、何かとへりくだった態度になったり不利になってしまいますからね。彼は対等な関係を望んでるんですよ、きっと。これは蒸し返さない方がなんなら、良いくらいです」

 「お、おお、なんかよく分からないけど、分かったよ」

 澤井さんは私がグイグイと音がなるくらいそう言い通したので、やや引き気味だったが、なんとか説得できたみたいだった。

 「まぁ、一応連絡はしてみてください。小野さんが心配してるのは事実なので」

 「ああ、そうする。ありがとう」

 「一応それなら、今日はこれで私の依頼は終わりですね」

 私はそう言ったが、元からこれは依頼でもなんでもなく、ただの自分の興味で来ていることだった。私はこの澤井さんと、話したいだけだった。

 「あ、そういえばなんですけど」

 どうするかを決めて、すっきりした顔をしている澤井さんに私はここに来た本当の目的のために話を切り替えようと、言葉を考えた。とりあえず「そういえば」から切り出した。

 「澤井さん、小野さんから伺ったんですけど宝石のコレクションが家にあるそうですね」

 「…え?」澤井さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔というのが一番似合った顔をした。口をぽかんと開けて、状況を飲み込めていないような顔だった。

 「…誰からそれを」「小野さんがお酒を飲んだ時に、ポロっと言っていたとおっしゃってましたよ。自分の家にも宝石はあるってあなたが」

 澤井さんの言葉に食い気味に私は答えた。話の流れとかは特に事前に考えていないアドリブだったから、長く話してボロが出るのを避けたかった。

 「どうですか。管理とか大変でしょう? 泥棒とか、怖いですからね」

 「…まぁ、そうだね」

 「ところで、小野さんの家には最近泥棒が入ったらしいですよ。怖いですよね」

 「え、本当に?」

 澤井さんは本当に寝耳に水という感じの反応をした。私は澤井さんの反応を慎重に窺っていたが、それは作ったような物にはとても見えなかった。

 「それも、宝石だそうですよ。澤井さんは大丈夫ですか? 泥棒だとかは」

 うーんと唸ってから、首を傾けた格好のままに澤井さんは「ええ、偶に確認してますけど、とりあえずは泥棒が入ったりはしてないと思います」と言った。

 私には彼が嘘をついているようには見えず、泥棒に入られたことにも気づかないくらい彼は鈍いらしいと分かった。

 私は、人差し指をぱっと出して、ふと思いついたような仕草をした。

 「あ、ところで宝石と言えば、宝石をテーマにした絵を描く人がいますよね。えっと、相澤雄一郎さんでしたっけ」

 「あ、ああ」

 澤井さんは急に話が変わったことに怪訝そうな顔をした。露骨に肩が跳ねたし、顔は強張った。なにを言っているんだ、こいつはと顔から滲み出している。

 「小野さんとも、相澤雄一郎さんの作品について話したんですよ。彼も、ファンらしくて。あ、私もそうですよ?」

 澤井さんは頭の上に疑問符を浮かべているのが目に見えるようだった。何故私が相澤雄一郎の話を続けるのか理解できないみたいだったし、私を怪しんでいた。

 多少強引すぎる話の繋げ方だったかもしれないと思いつつも私は話し続けた。

 「澤井さんは、相澤雄一郎の作品どう思います?」

 「…どうとは?」

 「どういう解釈をするのかっていう話ですよ」

 こほんと喉を私は鳴らした。少し気恥ずかしかったが、自分が好きなミュージシャンのラジオに熱烈なファンレターを送らないといられない、みたいな感じだった。

 「私は、彼の絵からは、なんだか価値を疑うことについての教訓みたいなのを感じるんですよ。あの絵、宝石がものすごい綺麗に描かれてるじゃないですか。けど、本物じゃなくて絵でしょ? でも、相澤雄一郎の作品は最早、本物の宝石より美しく光が描写されてるじゃないですか。そして、その作品は実際、現実の宝石より高価で取引されている。でも、少し不思議ですよね。宝石はただの石だったり鉱石が、世界でも希少だからあそこまでの高い値打ちがつけられるわけじゃないですか。ただ綺麗なだけでは、あそこまでの高い値段は宝石はつけられないはずです。でも、それを描いた絵は別に貴重なわけではないですよね。絵自体が資源的に価値を持っているわけではないのに、その絵の方が美しいだけで希少な結晶より高い価値を持っていると言うのは、なんだかすごい逆説的な感じがしませんか」

 「…」澤井さんは黙って聞いていた。

 「小野さんは、相澤雄一郎の作品を財への偏執と捉えていました。相澤雄一郎の財へのイメージが宝石で、それに対する執着が現実の宝石より、美しく作品を見せているって考えているわけです。まぁ、要するにお金を崇拝してるというか、ちょっと意味は違うけど、拝金主義みたいな感じですね。澤井さんはどう思われますか?」

 「僕は」

 澤井さんは、耐えきれないみたいにそう先に言って、その言葉の大きさに自分で驚いてから声のボリュームを下げて続けた。

 「…僕は、相澤雄一郎にそんな考えとか、ないと思う。相澤雄一郎はそうすると評価されるから、そう描いてるだけで特に伝えたいことはないんじゃないかな。別にお金に執着してるわけでもないし、ただ生きて絵を描き続けるためにそうしてる。絵さえ描ければ、それで良い」

 「…そうかも知れませんね」澤井さんの言葉に、私は少なからずショックを受けていた。でも、同じ分だけ嬉しかった。

 しばらくしてから、私達はそこで別れた。

 相澤雄一郎本人がどう思って絵が描いているのかを知れたから、もうそこにいる意味はなかった。

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