第2話

「これってさ。パンツとショーツ、どっちで呼ぶ?」


 私は軽くスカートをたくし上げてみせた。すると、仲町は目に見えて動揺した様子で、わたわたし始める。


「ちょ、はしたないよ!」

「はしたないて。お母さんかな?」


 母親にそんなこと言われたことないけど。


「……ていうか、いきなりどうしたの?」

「ん? いや、なんとなく気になって。ショーツって言うと、なんか笑っちゃうけど、パンツって言うと、ズボンと紛らわしいっていうか」

「……知らない。早く隠してよ」

「つれないなぁ」


 私は足をバタバタさせた。

 スピーカーから流れる何某というアーティストのインタビューが、少し煩わしい。ちらとモニタの方を見ると、この曲を作った経緯がどうのと話しているのが目に映った。カラオケのこういう映像って、あんまり注視することがないけれど。話している方は真剣だよな、と思う。

 だから何ってわけじゃないけれど。


「……春流ちゃんって、そういうの恥ずかしくない人なんだ」

「体育の前とか、いつも皆に見せてるし」

「でもそれは、自分から見せにいってないでしょ?」

「まあ、そうだ。でも、別にあれじゃない? 人は皆裸で生まれたんだから、恥ずかしがるのはおかしい……みたいなそんな感じ?」

「そ、そうかなぁ」


 仲町の顔は真っ赤だ。

 私はといえば、確かに恥ずかしいとは感じていない。別にそういう感情が欠如しているわけではないのだが、どうにも現実的でないというか。人のことをそういう目で見たことも見られたことも今までないから、どういった感情を抱けばいいのかわからないというか。


 ……これもまた、初めてってやつか。

 急に不快になってきた。いつか誰かに下着を見せることを恥ずかしいと思う日が来るのだとしても、その日は今日であるべきだと思う。不慣れだとか初めてだとか、そんなもの私の人生には不要である。


「ねえ、仲町」

「うん、なあに?」

「……一回、してみよっか?」

「するって? デュエット?」


 彼女の言葉に、思わず笑う。

 私がこの状況で、大人しく歌を歌うと思っているのだとしたら、やっぱり無垢だと思う。

 私はかぶりを振った。


「違うよ。……セックス」

「セッ……!?」

「お、赤くなった。さすがに知識はあるんだ」

「当たり前でしょ!」


 当たり前が当たり前じゃなくなるのが、仲町雛夏という人間だと私は思っている。


 普通、どんなに人当たりがいい人間でも誰かには必ず嫌われる。人の好みとか合う合わないは、理屈ではなく本能だからだ。


 しかし、この仲町雛夏という人は、本当に誰からも嫌われていないのだ。影口を言われているのも見たことがないし、腹黒いタイプの子ですら、仲町を純粋に慕っている。これがどれほど異常なことであるか、彼女はきっとわかっていない。


 彼女の雰囲気とか笑顔は、本能に訴えかけるものがある。

 見た者全てを虜にするような、絶対に嫌わせないような。

 私とて、仲町には興味はなかったが嫌いではなかった。


「で? する? しない?」

「……ここで?」

「うん。実はここ、できるって有名なんだよね」

「……カメラは?」

「ダミー。高校の友達も、時々使ってるっぽいけど通報とかされてないし。本物でも、いっつも監視してるってわけじゃないんじゃない?」

「使ってる……」


 私はあまりカラオケには来ない。

 この閉塞感があまり得意ではないからだ。今回案内されたのは窓のない部屋だけど、窓がないと余計に息が詰まって面倒臭い。空気も重い感じするし。


 とはいえ時間を潰すだけなら、料金も安いし悪くないとは思う。

 本当にたまーにだけど、カラオケに暇つぶしに来ることもあるし。


「……す、し、す、うぅう」

「わお。すごい苦しんでるね」

「誰のせいで……!」


 私はちょっと驚いていた。

 仲町はそういうことに、あまりというか全く興味がないと思っていた。というかそういう知識すらないのではないかと疑っていたほどだ。それほど彼女は、無垢な存在に見える。だけどその実、彼女もちゃんと当たり前にそこに存在する人間で、三大欲求から切り離されてはいないらしい。


 無垢なその笑顔も、一皮剥けば獣の表情が見えてきたり?

 なんて思うと、少しワクワクする。


 その笑顔の、輝く瞳の奥に隠れているのは、どんな感情?

 暴いてみたい。知りたい。仲町雛夏という存在を。


「し、たいけど。しない」

「したいんだ」

「……好きな人とそういうことしたいって思うのは、仕方ないじゃん」

「……そうかもね」


 そう言われればそうかもしれない。残念ながら私は一度も人に恋したことがないから、実際そうなった時自分がどう思うかは不明だけど。


 性的欲求を人に抱かない人間だっているのだし、私もそうかもしれない。


 好きな人とキスしたいとか、セックスしたいとか、一体どういう感情なんだろう。私は初めてを捨てたいから、そういうこともしたいと思っているが。私のこれと、仲町の感情はきっと違うのだろう。


「なんでしないの?」

「だって。……春流ちゃん、したそうじゃないし」

「私の意思、尊重してくれるんだ?」

「……好きだから。ううん、好きじゃなくても、だけど」

「さすが仲町。偉い子だ」


 私はふっと笑った。

 雰囲気とか容姿もあるけれど、こういう性格だから仲町は人から好かれるのかな。つくづく私を好きになってしまったのが惜しい。


 仲町のことを大事にしてくれる人は無数にいて、そういう人を好きになれば、もっと楽しい毎日を送れていただろうに。


 私としては、初めてを捨てられるならなんでもいいっちゃいいんだけど。知らない相手はトラブルになりそうで嫌だし、無理にするのも違う気がする。だから、捨てられる初めてから捨てていくとしよう。


「……じゃあ」


 私はゆっくりと体を起こした。

 ここのソファは所々穴が空いていて、なんというか古びてるーって感じだ。そういう感じ、嫌いじゃないけど。


「代わりにキス、してよ」

「……うぇ?」

「私、今日はするつもりで来たから。下着もいちお、持ってる中で一番可愛いの着てきたし」

「可愛いの……」

「……見たい?」

「え、や! そ、そんなことないよ!」

「それはそれで傷つくなぁ」

「……う」

「じょーだん。真に受けちゃやだよ」


 打てば響くなぁ。

 別に人をからかう趣味なんてないんだけど、仲町相手だとついついからかいたくなかってしまう。反応がいちいち面白いというか、興味深いというか。可愛い、と言い換えることもできるかもしれない。


 さすが仲町だ。

 私はくすくす笑った。


「で? キスはしてくれるの?」

「いい……ううん。する」


 彼女はいいの? と聞こうとして、やめたようだった。

 前に私が言ったこと、ちゃんと覚えてるんだ。


 だから何ってわけではないけれど、今日は大人しく目を閉じて待っていることにした。今後このカラオケでキスすることもあるかもだし、今のうちに色んな初めてを捨てておくべきだよな、と思う。


 これから先の人生の不快感は、できる限り取り除きたい。

 面倒臭いの、嫌いだし。


「じゃあ、するね」


 彼女は私の両肩に手を置いた。徐々に彼女が近づいてくるのが、吐息でわかる。驚くほど熱く、私を突き動かしてくるようなその呼吸が、なんだかおかしかった。思わず目を開けてみると、相変わらずがっちがちで目を閉じている彼女の顔が見えた。


 必死だなぁ。

 私もこれくらいキスに本気になれたら、楽しいのかも。

 本気、本気ねぇ。


 私が今出せる本気といえば、何があるだろう。少し考えてから、思い至る。


 せっかくだから、今日は色んなキスを試してみるか。

 私は小さく息を吐いて、彼女のネクタイを軽く引っ張った。

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