大人の階段 / 栃池 矢熊 作

名古屋市立大学文藝部

大人の階段 第一話

 玄関の扉を開けると、そこには神谷かみやがいた。

「誕生日おめでとう」彼が言った。「二十歳はたちだね」

 はあ、と思わず声が漏れてしまった。自分の脳内にカレンダーを浮かべる。そうか、今日だったか。

「あ、ありがとう……よく覚えていたね、俺の誕生日」

「当然じゃないか、親友なんだから。祝わせてくれよ」

 そう言って神谷は持っていたレジ袋を掲げた。乳白色のビニールから、缶ビールが何本か透けて見える。

「これ、美味いぞ。今日から合法になったんだし、一緒に飲もうぜ」

 コマーシャルでよく見る定番のビールを袋から取り出し、俺に一本寄越よこした。

「良いのか?」

「構わん構わん。パーっとやろうぜ」

「ありがとう。まあ入ってくれよ」

 俺が手招きすると、神谷は「じゃあ、そうさせてもらうよ」と言って部屋に上がった。二十歳になってから初となる酒を友達と飲むのもまた一興だと思いながら、俺は彼を自分の部屋に案内する。神谷は持ってきた缶ビールと枝豆をおもむろに取り出し、机の上に置いた。

「さあ、飲もう飲もう」

 缶の蓋を開ける神谷の向かい側に俺は腰をかけた。

「お前の記念すべき日に、乾杯!」

「乾杯」そう言って缶どうしをぶつけ合う。そのまま二人で酒を飲みながら語り合った。

 神谷とは大学の授業でたまたま隣の席になった縁から親交が始まったが、今学期は授業が被ることがあまりなかった。一応同じ授業もあるにはあるのだが、そういう授業に限って神谷は欠席していることがほとんどで、そのせいで今回神谷と会うのはおよそ三か月ぶりであった。そんな中でも俺の誕生日を覚えてくれていたことが純粋にうれしかったし、丁寧にもてなしたいという気持ちがあった。

 前に会った時からブランクがあったので、近況報告だけでも話のネタが尽きなかった。どんな授業を受けているのか、先生はどういう人なのか、授業の内容は面白いのか、などと話しているだけで、いつの間にか神谷が持ってきた缶ビールをほぼ消費しきっていた。すると、ふと神谷が言った。

「でもなあ、なんか面白くないな」

「なんでだよ」

「うーん、なんでだろう。でも、なんか物足りないんだよな」

 酒があり、話し相手がいる。それでも何が足りないと言うのか。

「別に俺は結構満足しているけど」

「いや、お前にはもっと誕生日を満喫してほしいんだ」

 何を言っているんだろう、と俺がいぶかしんでいると、突如神谷が何かをひらめいたのか立ち上がった。

「そうだ! もっと色んな人を誘って皆でお前をお祝いしよう! 誕生日パーティーだ!」

 急に目を輝かせた神谷の意図が分からず、俺は困惑した。

「え、パーティー? そこまで大掛かりにしなくても良いんじゃない?」

「いやいや、祝う人は多い方が良いって! お前もずっと二人で飲んでいるだけじゃつまらないだろ?」

「いや、別に二人でもつまらないとは思っていないけど」

 正直、俺はこのまま神谷と飲み続けるだけで充分だった。だが、神谷はどうやらもっと騒ぎたいようである。

「良いじゃないか、特別な機会なんだしさ! あ、場所と人数の確保は任せてくれよ!」

 まあ神谷が全部手配してくれるなら良いか、と思った。パーティーには別にそこまで興味はなかったが、パーティーに参加する機会なんて滅多にないし、折角だから行ってみるか。

「分かったよ。じゃあ任せるわ」

「よっしゃ、お安い御用だぜ! 準備ができたら迎えに来るから、それまで待っててくれ!」

 そう言って神谷は立ち上がり、颯爽さっそうと玄関を飛び出して行った。部屋に一人残されて辺りが静まり返るのと同時に、本当に神谷は色々用意できるのかと心配になった。でも神谷が自信満々に待てと言ったので、ひとまず待ってみることにした。その間、俺は手持無沙汰だったので、無駄に多く残っている枝豆をつまみながら、来週が締切のレポートに着手した。が、調べ物がはかどらないのと、先程飲んだ酒のせいで頭の働きが鈍っているのとで、なかなか書けず難儀した。

 そして一時間ほど俺が頭を抱えながら参考文献を読んでいると、神谷が戻って来た。

「待たせてごめんよ。準備できたぜ。ついて来てくれ」

 俺がドアを開けるなり、神谷は俺を差し招いた。

「どこへ?」

「まあ行けば分かるさ。ちゃんと人も集めておいた」神谷は得意げな顔になった。「もちろん酒も料理もたくさん用意してある。さあ行こう」

 そう言うと、神谷は俺の腕を掴んで外に引っ張った。

「ちょっと待ってくれよ」俺は慌てて神谷の手を振りほどいた。「行く前に、まず俺の部屋に鍵をかけさせてくれ」

「おお、そうかそうか。すまんな」そう笑って神谷は額に手を当てる。「戸締りはしっかりとしないといけないもんな。じゃあ、先に外で待っているわ」

 それだけ言い残して神谷はドアを閉めた。パーティーをやる場所と言ってもパッと思いつかず、どんな場所なのか気になった。玄関の棚にしまってあった鍵を取り出し、靴を履いて外に出る。鍵を閉め、アパートのらせん階段を下りて神谷と合流し、ここから徒歩圏内にあるという会場に向かった。

 その道中でも神谷との話は尽きなかった。今度は共通の趣味の話で盛り上がり、お互い同じものが好きだということで話が弾んだ。意外だと思ったが、趣味が同じというだけで神谷との仲間意識を感じた。

 そのまま十五分ほど夢中で話しているうちに、昔ながらの和風の平屋の前に辿り着いた。そこで神谷は足を止め、玄関の引き戸に手をかけた。その横の表札には「神谷」と書かれている。なるほど、ここは神谷の家か。

「お前ら! 主役のお出ましだ!」

 神谷がそう言って扉を開けると、中から歓声が聞こえた。靴を脱ぎ、軽快なステップをしながら目の前の扉を開ける神谷。それに続いて俺もその部屋に入ったら、中にいた人々に拍手をされた。彼らの後ろには、酒と料理の並んだ机がある。まさにこれからパーティーをするという雰囲気であった。

「さあさあ、これを着けてくれ」

 そう言われて神谷に「HAPPY BIRTHDAY」の形をしたフレームのサングラスと、バースデーケーキのハットを押し付けられた。「今日はお前が主役なんだからな」

 折角なので身に付けてみると、周りの人々から「いいぞいいぞー」「似合ってるねえ、ヒューヒュー」とはやし立てられた。初対面なのに似合っているかどうかなんて分かるわけがないような気がするが、これが彼らのノリの良さなのだろう。

「にしてもすごいな。こんなに早く集められるものなのか」

「そうだな。皆、連絡したらすぐに来てくれたんだ。良い人たちだと思わないか?」

 神谷は胸を張った。彼の口ぶりから推測するに、恐らくここにいるのは神谷の遊び仲間なのであろう。今日が日曜日ということもあるだろうが、それにしても一時間でよく集めたものである。正確には数えていないが、優に十人は超えているだろう。男性だけでなく、女性も三、四人は混じっていた。誰一人として俺の知っている人はいなかったが、正直神谷にこれだけの友達がいるとは思っていなかった。そして、程度の差はあれど、俺以外は全員髪を染めていた。茶髪が多いが、中には金髪もいた。この髪の明るさが、彼らの陽気さを表しているように思えた。

「さ、遠慮するな。お前は真ん中にいるべきだ」

 そう言って神谷は俺の背中を押し、あっという間に俺は輪の中に押し込まれた。皆の中心に来たところで、このようなパーティーは初めてだったので何をすれば良いか分からなかったが、見よう見真似で周りの人たちと同じように、食ったり飲んだり踊ったりした。

「良いねえ。やっぱりパーティーは楽しいぞ!」

 そう言いながら踊っている神谷は鼻息が荒かった。明らかに興奮していた。俺もそれにつられて、段々気分が上がってきた。

 その後もパーティーは続き、窓から夕陽が差し込み、やがて消え、そのまま暗くなっても全員踊り狂っていた。あまりの激しさに、正直俺はついて行けなくなっていた。だが、踊っている連中の横で囃し立てたり、合いの手をいれてみたりすることで、皆の輪に溶け込むことができた。周りの人たちも、俺を今日の主役と認めているようで、しきりに俺に構ってくれて、何度もハイタッチを求められた。

 結局そんな調子で食ったり飲んだり踊ったりを繰り返しているうちに、日付が変わる三十分前になっていた。俺がそろそろおいとますると神谷に告げると、主役がいなくなるならということで、そのままパーティーはお開きとなった。

「ああ、楽しかった! こんなにはしゃいだのは久しぶりだぞ!」

 俺が玄関先で靴を履いている時、神谷はしゃがれた声で言った。

「どうだ? 楽しんでくれたか?」

 足元が覚束おぼつかないのか、神谷が左右に揺れている。いや、俺が揺れているからそう見えているだけかもしれない。よく分からなかったし、どっちが揺れていようが正直どうでも良かった。

「ああ、最高だ」

 俺は本心からそう言った。パーティーがここまで楽しいものだとは思っていなかった。参加できて良かったとつくづく感じた。

「それは良かった。またパーティーやろうぜ!」

 ニコニコしながら俺を送り出す神谷を見て、ふと思った。

 この非日常感。現実からの解放。現実逃避と言われればそうなのだが、それでも日常からの束の間の逸脱に、ある種の爽快感を覚えていた。もちろん現実に戻らなければいけないことは分かっている。しかし、家に帰ればやりかけのレポートと無造作に積まれた参考文献の山が俺を待っている。締切に追われるという焦燥感と戦いながら、なおかつ書くべきことは抜け目なく書かなければいけないという、正確性の求められる作業が待ち構えているのである。また、それが終わっても、別の授業では小テストが立ちはだかる。どこから出題されても答えられるように、授業資料を読み込み、対策を練らなければならない。そしてその小テストが終わる頃には別のレポート課題が出ていて……の繰り返しなのだ。

 ……これが現実である。誕生日が終われば、俺はこの現実と向き合わなければならない。それならば。

「……毎日が誕生日だったら良いのになあ」

 ドアを閉める直前、思わずつぶやいた。ガチャンという音が聞こえる前に、神谷の声が聞こえた。

「なるほど。よし、任せてくれ。その願い、かなえてやろう」

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