流行とはできるものではなく作るもののようです

 彼の名前はヨハン。祖父ヨーゼフは主に絵画を扱っている美術商だった。他に美術品の修繕なども行い、ヨハンも祖父の元で修行している。


 芸術に関心のある貴族などを相手に商いし、作家の噂や才を聞きつけては異国でも足を運んで美術品の発掘、鑑定、修復などを行う。


 ここはヨーゼフの趣味と商売を兼ねた画廊だった。王都なのもあり、ヨーゼフの腕も確かでそれなりに商売相手には困らずにいた。


 一年ほど前、祖父が『すごい絵を見つけた』と興奮気味に持ち帰った絵がある。

 縦横ともにヨハンが両手を広げたほどの大きさで、はっきりとしたタイトルも作者も不明だが、若い恋人同士が抱き合っている姿を大胆に描き切っている。


 煌びやかな額縁も目を引き画廊に飾れば、たちまち人々の間で話題となった。奇抜な内容や技法を凝らしたものでもなければ、作者が有名というわけでもない。


 しかしその絵は多くの人を魅了し、何人もの身分ある者が購入を申し付けたが、ヨーゼフ自身もこの絵に魅了されたのか、首を縦に振らなかった。


 やがて内容の影響か、この絵の前で愛を誓い合った者たちは永遠に結ばれるというまことしやかな噂まで流行りだしたのだ。


 おかげで画廊は繁盛し、結婚前のカップルが訪れる定番の場所となりつつあった。

 ところが、ほんの二週間から事態が急転していく。


「さっきいらっしゃったのは、ここら辺の土地を治めるレーンスヘル家の御子息ライマーさまだよ。結婚間近だった婚約者のヴァネッサさまとこの絵を見にいらっしゃったんだ。その日からヴァネッサさまが調子を崩されてライマーさまがあの絵を見たせいだって言いだして……」


 先ほどライマーが口にしていた『ネス』という呼び名はヴァネッサの愛称だ。ふたりが親密なのは間違いないらしい。とはいえ。

「それ、なんてクレーマー? どう考えても絵は関係ないでしょ」

 深刻に語るヨハンに対し、至極つまらなさそうな顔と声でシャルロッテはツッコむ。そんな彼女の軽々しい態度にヨハンは眉をつり上げた。


「俺だって、そう思いたいよ! けれどその後、ここを訪れた人が全然絵を見てくれなくなったんだ。前はみんな熱心に眺めていたのに。何度もあの絵を見るために来ていたダラスさんのところも急に興味がなくなったって……」


「みんな、権力者の言うことに流されすぎね」

 シャルロッテの痛烈な切り返しにヨハンは唇を噛みしめる。全否定するほど愚かでもない。


「この辺りでは誰もレーンヘルス家には逆らえない。それ以上にレーンヘルス家の信頼は絶大なんだ。ライマーさまが呪いだって言いだしたら、信じる人が増えるのもわかる。でも、こんな急にみんなの絵に対する態度が変わるものなのか!?」


 手のひらを返したようとはよく言ったものだ。逆に綺麗にひっくり返りすぎて、不気味にさえ感じる。

 ライマーとヴァネッサの結婚は領地に住む人間にとっても楽しみなものだった。

 そこに不穏な影が落とされたら、やはり原因をなにかのせいにしようとするのは人間の性だ。ましてや当人のライマーが絵の呪いのせいだと主張しているのなら。


「……じいちゃんは完全に悪者扱いで」

 弱々しくヨハンは呟く。話を聞いたもののシャルロッテとしてはやはりどうしても絵のせいだとは思えない。ましてや呪いなど。


 乗っかろうとしたことをやや後悔しながら、シャルロッテはため息をついた。それを見て、ヨハンは悔しげな面持ちでうつむく。


「お前の言う通り、ヴァネッサさまが体調を崩されているのを、どうしてライマーさまが絵の呪いだって言いだしたのかわからないんだ。なにか理由があるのかもしれないけれど、もし本当に絵を観たせいで床に臥せているのだとしたら……」


 呟いた言葉は息と共に空中にさっと溶ける。日が傾きはじめ、窓から差し込む光が伸びていく。玄関に窓の数があまりないからか外よりもここは薄暗く、ひんやりとした空気が足元を伝った。


「絵の呪いは存在するかもしれないってこと?」

 シャルロッテの追及にヨハンはとうとう黙り込んだ。しばしの沈黙が訪れ、魔女の口から次の言葉が漏れる。


「とりあえず、その絵を見せてもらえる?」

 ヨハンはぱっと顔を上げ、魔女とその傍らに立つ悪魔を見つめた。

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