第19話


 チンピラしかいない高校、塵芥じんかい高校の野球部の監督になって丁度一年。

 俺は信じがたい光景を目にしていた。

 ……あの世良せら光莉ひかりが投球練習をしている。

 それも、ウチとの練習試合で。

 国内屈指の名門、天童坂てんどうざか高校の2軍と練習試合をしているという時点でおかしい。

 それなのに、どういう訳かウチが2点リードしていて、世良光莉まで引き摺り出した。

 まるで、夢のよう。

 でも、夢では断じてない。

 これは現実であり、今の状況を作り出したのは監督の俺ではなく……。

 俺の隣で世良の投球練習をじっと見ているウチの正捕手、大川アキラである。


「おいおい……」


「何だよ、あの魔球!」


 不意にどよめきが起こる。

 投球練習なのにも関わらず、世良が魔球を投じたのだ。 

 ド派手な雷のエフェクトを纏ったストレートはホップするような軌道を描いて、轟音と共にミットに突き刺さる……ことはない。

 高校生離れした威力の魔球を受け止められないキャッチャーは、後方に逸らしてしまったのだ。

 ……俺は元プロ野球選手だ。

 最初から最後まで一軍と二軍を行ったり来たりして、一軍の試合で活躍できたのは片手に収まる程ではあったが、一流の投手との対戦経験はある。

 そんな俺から言わせてもらうと、世良光莉は今の時点でもプロで通用する。

 球界を代表する投手には敵わないが、先発のローテを守れるくらいの実力は備えているだろう。

 ストレートも変化球も、そして魔球の威力も申し分ない。

 どれだけ魔球を投げれるかは分からないが……。


「30です」


「……は?」


「一試合に魔球を30回投げれるんですよ、光莉は。だから、投球練習でも魔球を投げれるんです」


 大川が口に出してない俺の疑問に答えたのにも驚いたが、それ以上に世良が魔球を一試合に30球も投げれることに驚嘆する。

 確か、プロの平均は15球。

 俺の記憶が正しければ、最高でも24球だった筈の魔球を一試合に30球も投げられるって……正真正銘の怪物じゃねぇか。

 ……畜生。

 相手の先発投手を打ち崩したことで、この試合が始まる前まで意気消沈していた下位打線の奴らの自信を取り戻すことに成功したというのに。

 こんな化け物に完璧に抑えられてしまったら、また心が折れちまうのではないか。


「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ、監督。光莉相手でも得点は奪えます。そうすれば、自信を失うどころか士気が上がること間違いなしですよ」


「何故、そう言えるんだ?」


「光莉の球は今の俺たちじゃ絶対に打てません。そのため、セオリー通りに進めても勝てはしない。そこで、狙うべきは光莉ではなく、相手のキャッチャーです。幸いにもこちらのランナーは一二塁にいますし、三塁まで進めれば勝機はあります」


 随分と抽象的だな。

 けれど、大川がやりたい事は大体察した。

 やはり、こいつは良い性格をしてやがる、と皮肉とか無しに思う。

 勝つために相手の嫌がることを徹底して行う、素晴らしくキャッチャー向きの性格だ。

 ぶっちゃけ、現役の頃の俺は頭を使わずに身体能力でゴリ押していたタイプだった。

 そのため、基本的な野球の技術指導は出来るが、試合中はマジで役に立たない。

 だが、大川は真逆だ。

 戦術面はこいつに任せておけば、問題ない。

 要するに適材適所って奴だ。

 小難しい作戦は全て任せて、無能な俺は無能なりに試合を観戦するとしますか。

 真剣な表情で打者に指示を出す大川の姿を傍目にした俺は、どかんとベンチに腰を下ろして、1番打者の百地が向かうグラウンドへと視線を移した。


「うっしゃ、来いや!」


 意気揚々と百地が打席に立つ。

 それに対して、世良は感情がこもっていない冷ややかな視線を返していた。

 サインの交換を行った後に第1球が投じられる。

 すると、先程まで打ち気を見せていた百地は素早くバントの構えを取った。

 バットの先端にボールが当たり、コツンと軽快な音がグラウンドに響く。

 勢いが殺されたボールは三塁線に転がっていった。

 サードが捕球し、一塁に投げたことで百地はアウトになるも、ランナーはそれぞれ進塁する。

 文句のつけようがない完璧な送りバント。

 ワンアウト二三塁で、バッターは大川……正に理想的な展開だ。

 

「ファール!」


 際どいコースに投げられたアウトローのスライダーを大川はカットする。

 これで8球目。

 カウントはフルカウント。

 世良光莉も化け物だが、ボールになる球を見逃して、ストライクでもヒットにできない球は確実にカットする大川も十分に化け物だ。

 停滞している今の状況。

 打破するために必要なのは魔球を投げること。

 大川は魔球を見ることが出来ないため、ストライクゾーンに魔球を投げれば三振間違いなしだ。

 しかし、相手は魔球を投げていない。

 その理由として挙げられるのは……相手のキャッチャーの力量不足。

 世良光莉の魔球は、高校生離れしている。

 あまりにも突出しているが故に、キャッチャーは100%捕球することが出来ないのだ。

 ランナーが三塁にいるこの局面。

 ホップする世良の魔球を球を後ろに逸らしてしまったら、失点は免れない。

 そのため、魔球ではなく普通の直球や変化球で打ち取りたいと考えるのは自然な考えと言える。

 言えるのだが……当然、相手キャッチャーもこちらの狙いは既に把握している筈。

 こちらの狙いが分かっている以上、リスクとリターンの観点から考えて、魔球を投じた方が良い。

 捕球できなくたって、魔球を体で止めれば確実にアウトが取れるから。

 そうすれば、ツーアウトでスクイズや犠牲フライ等の線が消えるため、配球を組み立てやすくなる。

 それに、失点のリスクよりも世良の球をカットできる大川を打ち取った方がリターンも大きい。


「ファール!」


 だが、それでもキャッチャーは魔球のサインを出さない……というよりも出せない。

 何故なら、これは普通の練習試合ではないから。

 天童坂高校の2軍の監督を始めとした上層部が、2軍の選手を品定めしている特殊な試合だから。

 キャッチャーからしたら、今の状況は最悪。

 対戦相手である俺でも同情を覚えるレベルだ。

 今、奴が球を受けている投手は一年生ながらに天童坂のエースナンバーを背負う世良光莉。

 当然、一軍に上がるためには彼女の球を完璧に捕球する能力が求められる。

 投手の球をポロポロこぼす捕手なんて、試合じゃ使い物にならないからな。

 ……そのため、今ここでキャッチャーがしなければならないアピールは、世良の球を完璧に捕球すること。

 だけれど、あのキャッチャーは世良の魔球を完璧に捕球することができない。

 だから、今の状況で魔球のサインを出すことが出来ない。

 後ろに逸らしてしまったら、それで最後。

 一軍に相応しくないキャッチャーという烙印を監督に押されてしまうから。


「ファール!」


 これで10球目。

 世良光莉は依然として無表情のままだが、キャッチャーは焦りに焦っていることだろう。

 ……本当にエゲツないことを考えるな、大川は。

 だが、これで追加点は間違いなく取れる。

 このまま粘ることさえできれば、フォアボールやら甘い球を叩くやらで、三塁のランナーがホームに帰ってくるからな……と、大川の完全勝利を確信した時だった。


「ねぇ、あんたも天童坂の捕手なんでしょ?……いい加減に腹、括りなさい」


 世良が淡々とそう告げる。

 矢継ぎ早に、キャッチャーに向かってサインを出した彼女は投球モーションに入った。

 ……おいおい、まさか嘘だよな。

 最悪な想像が脳裏をよぎった次の瞬間、グラウンドに稲妻が走った。

 キャッチャーは案の定後逸して、ボールはバックネット方向にてんてんと転がる。

 あのセリフの後に世良が投じたのは魔球。

 グラウンド内外にいる全員が唖然としてその様子を見守るが、今この時もプレーは続行している。

 大川は振り逃げで出塁し、三塁ランナーがホームに突入して、現在のスコアは3-0。

 二塁ランナーも次の塁に進んだ。


「……鬼畜かよ」


 思わず、そんな声が口から漏れる。

 相手の事なんて一切鑑みない、あまりにも無慈悲な一球。

 キャッチャーの心はもうぐちゃぐちゃだろう。

 それでも、世良は見向きもしない。

 ただただ、一塁で立ち尽くす大川の姿を目で追うばかりだった。


「ストライク!バッターアウト!」


 3番の脇谷はあえなく三球三振。

 ストレートにカーブ、そしてスライダー。

 遊び球なしでストライクゾーンにポンポンと放り込んできやがったのだ。

 心なしか脇谷を見る世良の視線に憎しみが込められていた気がするが、多分勘違いだろう。

 そして、4番の佐々海はピッチャーフライ。

 一点は何とかもぎ取ったものの、どうにも流れを掴む事が出来ない。


「あいつ、ヤバすぎんだろ……」


「キャッチャーの人が可哀想っす。それと、なんか私を見る目が怖かったっす」


「人の心とかないんか?」


 こちらの選手は世良に圧倒されているというより、彼女の非情な行いにドン引きしていた。

 だが、格の違いを見せつけられて、意気消沈しているよりは何倍もマシと言えるだろう。

 ひとまず、気持ちを切り替える。

 今考えるべき事は世良光莉の正体が秘密裏に開発された野球ロボットか否かじゃない。

 今の点差をどう守り切るか……だ。

 俺は話し合っている望月と大川の元に歩み寄る。


「次の回、世良光莉に打席が回りますが……どうしましょうか、アキラくん」


「もちろん、勝負一択です」


「ええっ!」


 二人の会話を聞いていた俺は声を上げる。

 勝負しちゃうの!?

 敬遠とかはしないの!?

 そんな言葉が口から飛び出そうになったが、ギリギリで堪える。

 きっと、大川には何か考えが……。


「作戦とか無しで勝負してみましょう。俺達の現在地を把握する良い機会です」


「ふふふ、良いですね。世良光莉と真っ向勝負だなんて、過去最高にワクワクします」


 そう言葉を交わすと、二人はグラウンドへ向かっていく。

 他のメンバーも後に続き、俺は控えの選手とベンチに取り残された。

 ……本当に大丈夫なのだろうか。


「うおおおおおおお!!!」


 敵のベンチから歓声が巻き起こる。

 世良はゆっくりとベースを踏んでいく。

 ……ダメだった。

 7番と8番をテンポよく打ち取ったまでは良かったが、9番打者の世良にホームランを打たれてしまったのだ。


「やはり……そう上手くはいきませんね。だがしかし、それでこそ超え甲斐があるというものです」


 続く1番打者を三振に切って取った望月は、満足そうな表情を浮かべていた。

 そんな彼女を見る大川は腕を組みながら、うんうんと頷く。


「時雨を見て、後方腕組み面なんかして……大川、お前は何様のつもりなのですか?」

 

「ふっふっふ……グラウンドの王様です」


「つまんな!なのです!」


 楠森と大川のやり取りを聞いて、ベンチにいる面々はわいわいと盛り上がる。

 ……ピッチャーとしてもバッターとしても世良光莉は活躍し、力の差を見せつけられた。

 それでも、ウチの野球部の面々は明るさを失っていない。

 相手の四番バッターの策略に嵌められて、圧倒的な実力差を実感させられた地大末戦の後はお通夜のような雰囲気だったのに。

 このチームは良い方向へと変わってきている。

 今の彼らの様子を見て、そう実感させられた。


「ありゃ、もう攻撃終わったのかぁ?」


「見てなかったんすか、百地くん。綺麗に三者三振だったっすよ」


「くそー。あいつ、強すぎるって。闇雲にぶんぶん振っても全然前に飛ばねー!」


「そうか、佐々海でも無理か!やっぱり、今の俺たちが真っ向勝負しても、天才である光莉には手も足も出ませんねっ!」


「大川……もしかしてお前、サイコパスなのですか?」


 ……ここまでお気楽なのもどうかとは思うが。

 

「ゲームセット!」


 7回からは望月に代わって脇谷が登板し、一点は取られたが大崩れする事なく試合を締めくくる。

 結局、3-2で塵芥高校が勝利を収めた。

 最後まで世良光莉を攻略する事は出来なかったものの、創立して一年ちょっとの野球部にしては十分すぎる結果だ。

 2軍とは言え、格上の投手をノックアウトした事で下位打線は息を吹き返し、トップクラスの選手を直に目にした事で自分達の現在地も知れた。

 有意義な練習試合だったと断言できる。


「アキラ」


「光莉。こうやって面と向かって話すのは久しぶりだな」


「……うん」


 試合終わりにスマホを片手に待つ世良光莉がこちらのベンチにやってきた。

 相変わらず、無表情で感情は読み取れない。

 だけれど、試合中の無機質な印象は消え失せている……感じがする。

 多分、恐らくは。


「……あの。れん、れんらきゅ……」


「なんて?」


「…………練習頑張りなさいよ。今回の試合でアキラがやろうとしてること……大体分かったから。私……甲子園で待ってるから」


「おう、待っててくれ。必ず追いついてみせるから。それじゃ、またな!」


「…………………うん、それじゃ……また」


 最後の最後まで世良光莉の表情は動かない。

 だがしかし、とぼとぼと自分のチームの元へ向かう後ろ姿はそこはかとなく悲しそうに見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る