第13話


「見苦しい姿を見せた。ごめんなさい……それでは、続きを話す」


 何の続き?……なんて、無粋なことは聞かない。

 ほぼ間違いなく、神皇帝ゴッドエンペラー学園が神原かんばらさんを降ろした理由の続きだろう。

 投球練習が終わるまで、もう間もない。

 余計な茶々を入れるのは時間の無駄だ。

 

「前提として、神皇帝学園の監督には二つの選択肢があった。神原かんばら鶴音つるねを最後まで投げさせる事と、神原鶴音を降ろして別のピッチャーを投入する事」


 ここまでは私も分かる。

 だが、どうしても神皇帝学園の監督が神原さんを降ろした理由が分からない。

 1試合に魔球を投げられる投手が登板できる人数は2人までというルールがある以上、戦術としての継投策は悪くない。

 むしろ、継投を念頭に置けば、先発投手は残り回数を気にせずに魔球を投じれるし、短いイニングを担当する後続の投手は余裕を持てるため、魔球蔓延る現代野球においては最良の策とも言える。

 だがしかし、この試合においてはその常識が当てはまらない。

 何故なら、塵芥側の上位打線は強豪校にも引けを取らないパフォーマンスを誇っているから。

 2番打者の大川さんはシニアの全国大会三連覇の立役者の一人で、3番打者の脇谷わきやさんは中学2年生の時に無名ボーイズチームを全国大会まで導いたハイレベルな二刀流の天才。

 そして、4番の佐々海ささみさんは無名ながらも練習試合で魔球相手にホームランを打った実績があり、5番の望月もちづきさんはパワーだけに焦点を当てるとプロに匹敵するほど。

 彼らの打力はデータ上のみならず、この試合でも遺憾無く発揮されているため、神皇帝学園の監督が危機感を覚えていない筈がない。

 確実に勝利を取りにいくのなら、神原さんを降ろす理由が全くないのだ。


「この選択肢を比べた時、勝利に徹するのなら完投させた方がいい。でも、今後の事を考えると、別のピッチャーを投入する方がいい……この試合の勝者が次に戦うのは強豪である地大末じだいまつ学院だから」


 その発言を耳にした瞬間に腑に落ちる。

 神皇帝学園の選手の中で、強豪である地大末学院と戦える力を持つピッチャーは神原さんだけだ。

 仮にこの試合で神原さんを完投させてしまうと、次の試合に勝つ確率が著しく低くなる。

 何故なら、完投の疲労によって100%のパフォーマンスを発揮する事が出来なくなってしまうから。

 ……たとえ、この試合に勝ったとしても次の試合で敗北してしまっては意味がない。

 だから、監督は神原さんを降ろした。

 その選択はリスキーではあるが、それに見合った大きなメリットがある。

 2回戦で地大末学院を下してしまえば、その次と次に戦うであろう相手はどれも地大末と比較すると大した実力を持たない高校ばかりなため、夏の大会でのシードがほぼ確定するから。

 新設したばかりで一年生しかいない神皇帝学園野球部にとって、夏の大会で強豪を避けられるシード権は喉から手が出るほど欲しい筈。

 リリーフとしてマウンドに上がる投手の詳細は分からないものの、守備陣は鉄壁を誇る。

 ここで神原さんを降板させるのは、決して分の悪い賭けではないのだ。

 これらの理由から、負けるリスクと勝った時のリターンを天秤に掛けて、神皇帝学園の監督はリスクを取る……と、美少女ちゃんは予測したのだろう。

 それならば、納得がいく。

 ……けど、ここから塵芥が勝つという点はどうしても納得できない。

 塵芥打線に今の状況から3点差をひっくり返す地力があると、私には思えないのだ。

 

「貴女の言いたい事は分かる。でも、簡単に打てるよ。先輩が狙っていたのは最初からあのピッチャーだったから」


「……え?」


「見てて。間違いなく、初球は低めに投げる」


 投球練習が終わり、塵芥じんかい高校の攻撃が始まる。

 私は食い入るように、グラウンドへ目を向けた。

 美少女ちゃんの予言が当たるか否かを確かめるために。

 

「うっしゃあ!来やがれ!」


 バッターボックスに立つのは虹色のモヒカンがトレードマークの1番打者の百地ももちさん。

 気合い十分な彼に対して、佐伯さえきさんが投じたのは……外角低めのストレート。

 百地さんはそれを待っていたかのようにフルスイングし、バットの芯で硬球を捉える。

 心地よい打球音と共に飛んでいく硬球は外野の頭を超えていく。

 センターを守る服部はっとりさんの好返球もあり、二塁には進めないものの、見事に出塁したのだ。

 ……佐伯さんが投じたのは低めだった。

 何で、分かったのだろうか。


「さっき貴女が言っていた、徹底して高めの球を狙う作戦はこのための布石。神原を攻略するための作戦では無かった」


「ふ、布石?」


「この打席のキャッチャーの心理を想像してみて。ピッチャーが交代したとは言えど、徹底して高めを狙う相手の作戦は変わらないかもしれない。だから、初球を高めに投じるのはハイリスク。でも、低めは狙い打たれたとしても長打になる可能性が少ないし、塵芥の作戦が変わったという情報も得られる。つまり、限りなくローリスクで相手の動向を探る事が出来る」


「……それって、5回もイニングを消費して行うことですか?百地さんがアウトローを狙い打った事で低め狙いはバレちゃったんですよ。当然、次からは通用しなくなります。たった一回のヒットのためにそこまでする価値が……」


「あるよ。次に想像するのはピッチャーの心理。彼女は高校初試合で初登板。エースが完璧なピッチングで敵打線を封じ込めて、味方が理想的な流れで3点をもぎ取ってからの満を持しての登板。彼女からしたら、先頭バッターは何としてでも出したくない筈。そんな中で出鼻を挫かれたら、少なからず動揺する……付け入る隙が生まれる」


 ……美少女ちゃんの発言に違和感を感じる。

 彼女が口にする理屈は正しい。

 私なんかが異議を申し立てる余地はない。

 だがしかし、何処かが確実に歪んでいるのだ。

 何というか……。


「塵芥は……先輩は神皇帝学園に3点を献上した。全てはこの時のために」


 違和感をどんぴしゃりと言い当てられる。

 そして、頭の中で乱雑に散らばっていたパズルのピースがかちかちと音を立ててはまっていく。

 何故、塵芥は先発投手を望月さんにしなかったのだろう。

 それは、ギリギリの投手戦になる事を防ぐため。

 最後の最後まで神原さんが投げ切ってしまうと、塵芥側に打つ手はない。

 否応なしに消耗戦を強いられて、最終的には地力で勝る神皇帝学園に敗北してしまう。

 だから、敢えて打たせた。

 塵芥のエースである望月さんより能力が劣る脇谷さんを登板させる事で。


「3点差もあれば、神原がいなくても何とかなる」


 神原さんを温存したいと考える神皇帝学園の監督の思考を先読みして、リリーフピッチャーを引き摺り出す事に成功した。

 ……いや、違う。

 先読みしたのではない。

 わざと点を取られる……という不条理を基盤に天秤を作り上げ、監督の思考を誘導したのだ。


「すげぇ、また打ったぞ!」


「やっちまえ、ゴリチン〜!」

 

 スレ民と思わしき観客が声援を送る。

 ……一方的な攻撃だった。

 2番打者の大川さんがヒットを放ち、3番打者の脇谷さんも後に続く。

 これで1点。

 ノーアウト1.3塁。

 そして、4番打者の佐々海さんがツーベースヒットを打つ。

 2点目が追加されて、ノーアウト2.3塁。

 最後に5番打者の望月さんが走者一掃の長打を打ってお終い。

 スコアは4-3。

 いとも容易く逆転してしまったのだ。

 彼らが狙い打ったのは、佐伯さんのウイニングショットである縦のスライダーや氷のエフェクトを纏った魔球ではなく、カウント球であるチェンジアップと至極平凡なストレート。

 中学生レベルで考えると、佐伯さんは良い投手であると思う。

 緩急を使えるし、決め球も持っている。

 けれども、高校生である現在だと、そこら辺のチームにいる並のピッチャーよりも多少は優れている程度。

 魔球と決め球で思うように仕留められない事もあり、塵芥打線に打ち崩されてしまった。

 ……美少女ちゃんの発言は本当だった。

 塵芥高校が狙っていたのは控え投手である佐伯さんで、先発投手である神原さんの事はハナから相手にしていなかったのだ。


 その後、神皇帝学園が魔球を投げれるピッチャーを救援に送った事で後続は仕留められた。

 しかし、6回の裏で望月さんが登板する。

 不規則に変化するナックルボールの前に、神皇帝学園打線はきりきり舞い。

 死に物狂いで3番打者の服部さんが出塁するも後が続かない。

 本来の4番打者である神原さんがベンチに引っ込んでいる事もあり、数少ないチャンスをモノにすることが出来ないのだ。

 ……勝負は決した。

 この試合は塵芥高校が勝利するだろう。

 

 何故、塵芥打線は佐伯さんを打ち崩す事が出来たのだろうか。


「佐伯の事をとことん研究してたから。球種とか、決め球とか。それにキャッチャーの配球のパターンはある程度読めていたし、何よりも神原のストレートや変化球を相手にした後だったから。神原と比較するとストレートの球威も変化球のキレも劣っているので、塵芥打線にとって打ちやすかったと思う」


 他にも控え投手は沢山いるのに、何故佐伯さんが出てくると分かったのか。


「佐伯はシニアの時に神原と同じチームで、神原が試合を作ったら佐伯が締めるという必勝パターンを確立していたから。あの監督はとことんリスクを避けている。そのため、既に確立されているパターンをわざわざ放棄するような真似はしない」


 私はあの監督がリスクを背負っているものだと考えていた。


「あの監督はリスクを避けている。本気で勝ちたいのならば、神原を途中で降ろすべきでは無かった。そして、次の試合でも投げさせるべきだった。それをしなかったのは、投手を酷使したのにも関わらず、2回戦で敗北した無能という烙印を押されたくなかったから。神皇帝学園の野球部を設立するにあたって、多額の金が動いている。多額の金が動けば動くほど、比例するように監督の責任も重くなる。だから、あの人は徹底的にリスクを避けていた。一回戦で負けるのは嫌だ。でも、2回戦で負けるのも嫌。更に選手を酷使して非難されるのも嫌。そんな中途半端な思考の人間が指揮するチームには勝利の女神は微笑まない」


 神原さんが5回で降板したのは何故か。上位打線を仕留めてから降ろせば良かったのではないか。


「神原の球数はあの時点で75。球数がこんなに多い理由は、コントロールが難しい低めのコースに投げていた事でボール球が多くなったのと、捕手のキャッチングがお粗末だったから。どんなにコーナーをついていても捕手がミットを動かしたらボールになってしまう。それに、塵芥の上位打線が粘りに粘っていたというのもある。高めに来た上でストライクかボールか判断に困ったら取り敢えず手を出した。そうする事で、空振りを取られたり凡打になる事もあるけど、ファールも増えた。この事から、神皇帝学園の監督は塵芥の作戦は高めの球を狙い打つだけでなく、神原のスタミナを削って失投させようとする作戦も兼ねていると考えて、早めに降ろしたんだと思う。それに塵芥の上位打線に球数を稼がれて、次の試合の登板の時に神原に疲労が残っていたら、交代する意味が無くなる」


 神皇帝学園の監督が、打ち込まれている佐伯さんを交代しなかった理由は。


「貴女も知ってると思うけど、野球のルールにはこんなものがある。【魔球を投げられる投手は1試合に2人しか登板できない。しかし、3点取られた場合には魔球を投げられる投手の交代枠が1つ増える】というものが。神原が降板して、佐伯が登板した時点で魔球を投げられる投手の交代枠は使い切ってしまった。そのため、打ち込まれている佐伯の救援が出来るのは魔球を投げられない投手だけ。リスクを避けたい神皇帝学園の監督に魔球という必殺技を持たない投手をピンチに送れる勇気はない。だから、打ち崩される佐伯を見殺しにした」


 ピンチの際、佐伯さんは魔球を多投しなかったが、それは何故か。


「もっと魔球を投げればこのピンチは凌げたかもしれない。でも、このピンチを魔球で凌いだら、次はどうしようもなくなる。佐伯が打ち込まれたのは6回。試合が続けば最低でも一回は上位打線に回ってくるのに、後先考えずにポンポンと魔球を投げることなんてできない。佐伯自身も自分の後にピッチャーがいない事は理解していたと思うし」


 美少女ちゃんは私の質問に嫌がる事なく答えてくれた。

 試合には興味をなくしているみたいで、使い古したノートには何も書き込んでいない。

 代わりに、彼女の瞳は試合に出場している一人の青年を捉えて離さなかった。

 その青年の名前は大川アキラ。

 恐らく、美少女ちゃんが「先輩」と呼んでいるのは彼の事なのだろう。

 そして、神皇帝学園に勝つための作戦を考案したのも彼。

 ……とても、興味が湧いた。

 あのスレッドでの立ち振る舞いと、データに基づいた戦術で相手を追い詰める彼の姿が全くもって一致しないから。

 大川アキラがどんな人間であるのか、気になってしょうがないのだ。


「ぐううううう……私と勝負しなさいよ、この頭脳派!へっぽこアキラ!」


「まぁまぁ、神原殿。少し落ち着いて……」


「まんまとしてやられたわ……悔しい悔しい悔しい悔しいっ!次は、次に戦うときは絶対に天才たる私が率いる神皇帝学園が勝つんだから!」


 悔しがる神原さんの声はこちらに聞こえてくるほどに大きい。

 結局、試合がひっくり返る事はなく、順当に塵芥高校が勝利を収めた。


「まさか、神皇帝学園に勝てるなんて……皆さん、ミーティングが終わったら焼肉を食べに行きましょう。私の父が奢ります」


「えっ、本当ですか!?やったー!俺、焼肉なんて食うの初めて!」


「うおおおおお!!テンション上がるぜぇ!!」


「いや、流石にそれはお前の親父さんが可哀想なのです……」


 塵芥ナインは和気藹々とした様子で公式戦初勝利を喜んでいる。

 その輪の中には大川アキラもいた。


「勝てたのはアキラくんの作戦のお陰っすね」


「いや、久菜ちゃんが粘ってくれたお陰だよ……損な役回りを任せちゃって、ごめん」


「全然気にしてないっすよ。私はアキラくんが思う通りに事が運べば、それでいいんで」


 大川アキラはにこやかに振る舞う。

 そんな彼に反して、美少女ちゃんはどんよりとした暗い表情を浮かべていた。


「ああ、先輩。私以外の女にそんな顔を晒すだなんて……ショック、悲しい、胸が痛い……」


 古びたノートを両手で抱えて、大袈裟に悲しむ美少女ちゃん。

 彼女の名前は紫藤しどう静香しずか

 全国大会三連覇を成し遂げた光ヶ丘ガンバーズの1番打者で、昨年のU-15の日本代表に中学2年生ながらとして選出された天才。

 初めて姿を見た時に既視感を覚える訳だ。

 だって、U-15の特集の時にテレビで見た姿と全く同じなのだから。

 私なんかとは到底釣り合わない有名人。

 それは分かっている。

 でも、溢れ出る衝動を止める事は出来ない。


「あ、あああ、あの……よっ良ければ連絡先を交換してもらっても良いですか?」


「いいよ。これからも野球の話をしよう」


 あっさりと受け入れられて、ホッとする。

 勇気を振り絞った甲斐があった。

 親の名前しかないメッセージアプリの一覧に紫藤ちゃんの名前が追加される。

 これから沢山やりとりしよう。

 一緒に試合を見に行こう。

 そうする事で、今の私には無い彼女の思考を、大川アキラの思考をインストールする。

 今日は本当に楽しかった。

 私が知らなかった新しい野球の概念が脳みそにぶち込まれて、これ以上ないほどに幸せだった。

 この幸福を味わってしまったら、もう元には戻れない。

 私も塵芥高校の野球部に入る、と心に誓う。

 チームで練習した事も、実戦経験もないけれど。

 こんなにも楽しい野球を見せられたら、今までのようにスレッドを指を咥えて見ることなんて出来そうに無かった。

 目標も希望も何もなく、漫然と壁当てする生活には戻れっこない。

 そして、何よりも……私は大川アキラの事がもっと知りたい。

 あの紫藤ちゃんをここまで狂わせて、他人を潰すことにも躊躇を見せない彼の本性はどんな物なのか。

 それが気になって気になってしょうがないのだ。

 

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