第12話

 舗装された道に沿ってトボトボと歩く。

 暑い。

 ただひたすらに。

 目的地に辿り着いた事に気がついた私は地面から目を離して、上を向く。

 ……すると、眼前には大きな球場があった。


「なんか、緊張するなぁ。私が出場する訳じゃないんだけど……」


 脳内に浮かぶのは一つのスレッド。

 国内屈指の不良校である塵芥じんかい高校に入学した一人の少年が甲子園優勝を目指して頑張る様子を書き連ねたスレだ。

 数日前にこれを発見してからというもの、スレ主やその仲間たちの事ばかり考えてしまう。

 その愛が高じた私は、塵芥じんかい高校の試合を見るために球場に足を運んだのだ。

 ……私は野球が好き。

 見るのも、そしてプレーするのも。

 だがしかし、社交的な性格ではない私は基本的に一人ぼっちで、野球チームに入る勇気もなく、中学校の授業が終わった瞬間に教室を出て、爆速で家に帰ってはひたすらに壁当てに励んでいる。

 そんな私だからこそ、スレッドに登場するスレ主達が輝かしく思えた。

 私が今後の人生で体験することのない青い春を無我夢中で楽しんでいるように見えたから。


「う……人、多い……」


 人混みは苦手だ。

 満員電車のような、人が密集している空間に入るだけで呼吸が乱れ、動悸が激しくなる。

 観客の数はまばらではあるものの、決して少なくない人数が観客席に集まっていた。

 予め目星をつけていた席は取られていたため、失意のまま私は近くの席に座る。

 ここは見やすい代わりに日差しがよく当たる。

 好き好んで座ろうとする変人は私以外にいない。

 そう、高を括っていた。


「隣、いい?」


「あっ……はっ、い!」


 だがしかし、変人は私以外にもいた。

 親と教師以外の人間と面と向かって会話するのなんて、久しぶりだ。

 どうにも声が上擦り、吃ってしまう。


「ありがとう。それでは遠慮なく」


 私に話しかけた声の主の姿をチラリと横目で確認する。

 肩まで伸ばした薄紫の髪。

 切れ長で綺麗な形をした紫色の瞳。

 表情の変化に乏しいものの、顔立ちは極めて整っていて背は低い。

 その凛とした出立ちは、深層のお嬢様のような気品を感じさせる。

 恐らく、年齢は私と同じくらいだろうか。

 顔面偏差値は天と地ほどの差があるけれど。

 ……何処かで見たような気がするが、その既視感を鮮明に思い返すことは出来ない。

 だけど、思い出した所で何かが起きたりする事はないと断言できる。

 この美少女は私なんかと関わる機会のない存在であると、すぐに理解したから。

 無象無象の内の一人である私とは違って、この人は特別な人間っぽい雰囲気がぷんぷんするのだ。

 けれども、こうやって隣の席にいると、どうしても意識してしまう。

 挙動不審な人だと思われたくないので、試合中は絶対に口を開かずに体も動かさない。


「もうそろそろ始まる。楽しみ」


「はははい。そうえすねっ」


 そう心に決めた矢先に話しかけられる。

 どうやら、この人は無表情そうに見えて、案外気さくな人だったみたいだ……。



 塵芥高校と神皇帝ゴッドエンペラー学園の試合が幕を開ける。

 両チームのスコアボードには0が並べられていくが、その内容は大きく異なっていた。

 塵芥高校の打線は一年生ながらに全国の注目を集めている天才、神原かんばら鶴音つるねに封じ込められている。

 MAX149キロのストレート、そして何十種類もある変化球のコンビネーションによって狙い玉が絞れず、三振の山を築き上げていくのみ。

 塵芥側はとある作戦を講じているものの、それが効力を発揮しているようには見えない。

 少なくとも私には、塵芥高校の面々が神原さんから点を取るビジョンが浮かばなかった。


 それに対して、神皇帝学園の打線は最初こそ脇谷わきや久菜ひさなの独特なフォーム、サブマリンに翻弄されていたものの、段々と球筋に適応していく。

 スレ主、もとい大川さんの組み立ては巧みだった。

 脇谷さんの持ち味であるコントロールの良さを活かして、高低や内角と外角を出し入れして、バッターに配球を読ませない。

 大川さんのリードの上手さと脇谷さんの勝負強さが相まって、何とかピンチを乗り切っている。

 だがしかし、今の均衡が崩されるのも時間の問題のように見えた。


「なるほど。この局面で……」


 隣に座る美少女ちゃんは独り言を口にしながら、使い古されたノートに何かを書き込んでいる。

 それも凄まじい速度で。

 試合を見ながら、手だけ動かす時もあった。

 後で見返して分かるような字でしっかりと書けているのだろうか……?

 

「貴女はこの試合、どっちが勝つと思う?」


 不意に話しかけられる。

 全身にピリリと緊張が走るが、何度も同じ失敗をする私ではない。

 話しかけられた時の心構えは出来ている。


「は……あっあっごっ、神皇帝ゴッドエンペラー学園が勝つとお、思いますっ」


 90点ってとこかな?

 私にしては上出来だろう。

 こんなにもしっかりと他人と会話できるなんて、自分を褒めてあげたいくらいだ。


「ふむ。その理由は?」


 まさか、ここまで突っ込まれるなんて……だけど、これしきでへこたれる私ではない。

 私にもこの試合を見て、考えたことがある。

 ほぼ間違いなく、目の前の美少女ちゃんと話すのはこの試合限りだ。

 それならば、恥や憂いを捨て去って、自分の考えを思いっきりぶつけてみよう。


「神原さんの投げる球はどれも精度が極めて高く、ストレートには球威があり、変化球は曲がりの幅が大きい。また、球種が豊富な事もあり、狙い球を絞るのは不可能に近いです。そこで、塵芥側が考えたのは球種を絞るのではなく、コースを絞ること。目付けをする上での二者択一をストレートと変化球ではなく、高めと低めにしたんです。具体的に言うと、塵芥の打撃陣がやっているのは低めの球を捨てて、高めの球を狙い打つ戦法ということです」


「ふむ」


「低めのストレートは球威が凄まじいため、打ってもヒットにはなりません。そして、低めに投げられる変化球は比較的ボールになる球が多く、振っても当たらない可能性が高いです。しかし、高めのストレートや変化球は見分けやすく、低めに比べると与し易いです。なにより、当たったら飛びます。上記の理由から、私は塵芥側が高めを狙い撃つ作戦を採用したと考えました。神原さんはスタミナに優れているけどコントロールはそこまで。そのため、待球作戦で自滅を待つよりも、高めに浮いた球を狙い打った方が点が取れる確率が高いという理由もありますしね」


「ふむ」


「もちろん、神皇帝学園サイドもその作戦を見切っていますが、すべての球が低めに集まっていません。その要因として考えられるのはスピードを乗せたり、変化量を重視した球は低めにコントロールするのが難しいからです。塵芥の下位打線を相手にするときは適当に低めに球を置けばいいんです。そうすれば勝手に見逃してくれるか、焦って手を出してくれるので。しかし、上位打線はそうはいきません。バッティングセンスがある彼らは高めを狙いつつも置きにくる低めの球も打つという芸当ができるため、力のある球を低めに放る必要があります。すると、神原さんの唯一の弱点である制球力の低さが悪さをしてしまう。どうしても、1.2球は真ん中或いは高めに浮いてしまうんです」


「…………」


「この特性を理解して、高めを狙い打つ作戦を考えた塵芥サイドは頭が良いと思います。けれども、実際問題点は取れていない。その最たる要因として、神皇帝学園の守備の堅牢さが挙げられます。特にセンターを守るニンニ……服部さんの守備力には目を見張るものがあります。彼を中心とした守備陣はとにかく守備範囲が広いため、普通の高校ならばヒット性となる打球も容易くアウトにしてしまいます。そのため、塵芥側は思うようにチャンスを広げることが出来ていません。それに対して、神皇帝学園の打線は塵芥の先発である脇谷さんを攻略しつつあります。上手い具合に控え投手である和服美……望月さんと交代できなければ、失点してしまうのは時間の問題でしょう。仮に一点でも許してしまえば、塵芥の負けです。神皇帝学園は神原さんを最後まで投げさせれば、失点することは無いと思うので……以上の理由から、私は神皇帝学園が勝つと思います」


「貴女、野球の話になると饒舌になるね」


「う、ぐうっ」


 表情筋を動かすことなく、美少女ちゃんは淡々とそう告げる。

 その言葉は私の胸にぐさりと刺さった。

 私のような陰気な奴にとって、一番効くセリフを言われてしまったのだ。

 ああもう死にたい消えたい……。

 生まれ変わったら、何も考えずに海中を漂うプランクトンになりたい……。


「とても親近感が湧く。私も貴女と同じタイプだから……話の筋は通ってるし、着眼点も悪くない。それでも、40点」


「……え?」


「この試合は塵芥が勝つ。断言してもいい」


 美少女ちゃんがそう告げた瞬間。


《xbig》「ワアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」《/xbig》


 球場に歓声が響き渡る。

 視線を移すと、外野にボールが転々と転がっており、ランナーが次々とホームベースに帰っていた。

 待望の先制点をもぎ取ったのは神皇帝学園。

 3番打者のニンニン、もとい服部さんがタイムリースリーベースヒットを放ったのだ。

 続いて、ピッチャーでありながら4番バッターでもある神原さんもツーベースヒット。


「……ッ」


 神原さんは口には出さないものの、内心は喜んでいるのか小さくガッツポーズをする。

 そんな彼女に対して、マウンドに立つ脇谷さんは俯いており、塵芥のベンチの雰囲気も暗い。

 その上、スコアは3-0。

 ……私は塵芥高校の、あのスレのファンだ。

 だから、勝ってほしいと思う。

 だがしかし、覆すことのできない実力差というものは確かに存在している。

 その後、脇谷さんはスパッと後続を断ち切った。

 それでも、塵芥ナインの士気が上がることはなく、重そうな足取りでベンチに下がっていく。

 これで5回の裏が終了したため、グラウンド整備が始まる。


「6回の表の攻撃は1番から始まる。正に理想的な状況。これはもう勝ったも当然」


 どことなく嬉しそうな美少女ちゃん。

 この口ぶりからして、今の状況でも塵芥高校が勝つと信じて疑っていないのだろうか。


「うん。疑ってないよ。この試合は塵芥が勝つ」


 私は疑問を一切口に出していない。

 恐らく、表情から判断したのだろう。

 自分で言うのも何だが、私は気持ちが表情に出てしまうタイプの人間だから。


「貴女は神原がこのまま投げ切ると思っているみたいだけど、それはない。神皇帝学園の監督は間違いなく、リリーフを出すよ」


「……なんで、ですか?」


「神皇帝学園はこの試合に勝てばいいって訳ではないから。この先も勝ち続けなければいけないから」


 全くもって、ピンとこない。

 この先も勝ち続けなければならない……ってどういう意味なのだろう。


「悪いけど、これ以上は詳しく語らない。つらつらと色々喋って、グラウンド整備後に神原が出てきたら……私、恥ずかしくて死んじゃう」


 美少女ちゃんはぷいとそっぽを向いてしまう。

 そして、ノートに何かを書き込み始めた。

 そうする事で、私と話したくない意思を示しているのだろう。

 不快には思わない。

 一種の照れ隠しであると理解したから。

 この時、私は少女に対して親近感のようなものを覚えた。

 アニメや漫画に出てきそうな美少女であっても、中身は私とそんなに変わらないのではないかと思ったのだ。

 ……だけど、それは違った。


「あ……」


 グラウンド整備が終わり、試合が再開する。

 そして6回の表、塵芥高校の攻撃の際にマウンドに上がったのは……控え投手の佐伯さんだった。

 神皇帝学園は神原さんを降ろしたのだ。

 ……美少女ちゃんが言った通りに。


「これで終わり……ふふ、ふふふふっ」


 美少女ちゃんは笑っていた。

 心の底から楽しそうに。


「ふふふっ。やっぱり、私の先輩は凄い……けれど、ずるい、羨ましい……その才能が欲しい」


 涼しげな雰囲気は立ち消え、形容し難い不気味さが顔を覗かせる。

 先程まで、私と喋っていた美少女ちゃんは居なくなってしまった……そんな感覚を覚えた。


「私も早く塵芥高校に入りたい。そして、先輩の全てを私だけの物に……」


 そう呟く美少女ちゃんの瞳は幼子のようにキラキラと輝いていながら、何かに取り憑かれているかのようにドロドロと濁っている部分もあって。

 本能的に恐怖を覚える。

 けれど、そんな彼女に興味を抱き、惹かれつつある自分がいるのも、また事実だった。

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