S.S.No.6「Blessing rain」
私は雨男である。
思いたったが吉日という言葉があるが、私の吉日はいつも雨か雪。もしくは、いつも向かい風なのである。外出した際、行きも帰りも向かい風である原因は、今の私には分からない。
そういう運命の下に生まれたと言ってしまえばそれで終わりなのだが、終わりにしたくない私がいる。
そういえば私より雨に好かれてる人がいたっけ。
その人に会ったのは、雨降る日の話である。
その日、ふと買い物に行きたくなった私は、二年ほど使い続け、少し調子の悪くなってきた青い傘を持ち街へ出かけた。
わざわざ雨の日に買い物に行かなくても、と思われそうだが、
経験上、今日行かなければこれからも行かない事が分かっている。
ゆらゆらと揺れるバスの吊り革につかまり、私は湿気と人の熱気が、不快感を助長させるバスに運ばれて街中に来た。
バスを降りると、肺に溜まった湿った空気を吐き出し、所々錆びてしまった傘を開く。
柄を伝ってくる水滴が傘を持つ右手を濡らし、そういえば雨漏りするんだっけ、と今更ながら傘の寿命を私に再認識させる。
かといって買い換えるつもりはさらさらない。
不便ではあるが、それが私の日常の中に溶け込んでいる。そのため何も不自由に感じないのが買い換えない原因だと、私が一番よく分かっている。
まぁ別にいいか。そう思いながら傘を少しずらし空を見上げる。
冷たい雨が頬を伝う。私は雨から身を隠すと、ぶらぶらと街の中を歩き始めた。
買い物を終えた私は、ペットボトルに入った水を一口飲み、黒のショルダーバッグにそれと買った荷物を突っ込んだ。
そのまま帰路につき、今日のすべき事が終わったことに対するささやかな充実感を胸に抱きつつ歩いていると、不思議な光景に出くわした。
それは、一人の人間を避けるように周りの人の波が動いている様子である。特に変わった点は無いように思えるが、問題はただ避けているだけではなく、人々の目が彼を捉えていなかったところである。
一言目に奇妙という言葉が浮かぶその情景の中に、私は自然と引き寄せられていたのだろう。
気がついた時、彼に声をかけられていた。
「こんにちは」
至極普通である挨拶と、優しい声が聞こえてきた。
急に、世界には私と彼しかいないような、そんな静けさが私達を包み込む。周りの人々は、視線を遠くに向けたまま、私を避けるように歩き始める。
私は、先ほどの彼と同じく、人々の目に映っていないようだ。
「こんにちは」
挨拶を返したときに、初めて彼の服装の奇妙さに気づく。
彼は私の物より古く、所々破れて骨組みが見えた傘をさし、裾がボロボロになり、前が留まらなくなったレインコートを羽織っていた。
しかし、当の本人は何も気にしていないように、水が滴る長い前髪を払い、真っ直ぐこちらを見ている。
「あなたは雨に好かれているのですね」
唐突に彼は言葉を発する。
私が言葉の真意を図れずに首を傾げていると、彼はすいませんと言い、言葉を繋げる。
「あなたは雨男ですよね。それも重度の」
重度の言うな、という言葉を飲み込んだ私は問い返す。
「何故そうだと思うんですか」
彼はクスリと笑うと、呟くように言った。
「私と同じ雨男の匂いがしたもので」
あまり理由になっていない気がするが、何故だかすんなり受け入れられる私がいた。
おそらく、私の中の雨男としての心がそうさせたのだろう。
「つまりあなたも雨男なんですね」
「はい。致命傷なほどの」
笑顔で答える彼、その姿は自嘲しているようにも見える。
「致命傷とはどういう意味ですか」
「……驚かないでくださいね」
ふふふと楽しそうに彼は言う。
「私は晴れた空を見たことがありません」
私は困った。嘘つけ、とつっこみたい。しかし相手は初対面であり、見た感じ本当のことを言っているようだ。
この葛藤から生まれたものは沈黙である。しかしそれは幸いにも、彼の言葉を引き出す要因となった。
「嘘じゃありませんからね」
なおさら怪しく感じてしまった私であるが、そうなんですねと適当感が溢れるものの、相槌を打つことに成功した。
「信じられなくても無理はありません。証明する方法もありませんしね」
彼はふと空を見上げる。その目はどこか遠くを見つめているようであった。
「どうかしました」
いえ、と彼は答え、ただ昔のことを思い出しただけです、と付け加えた。
普段、人の昔話に興味のない私であるが、どこまでも存在が謎な彼の話を聞いてみたいと思った。
「私の身の上話ですか。構いませんよ」
あれは、ずいぶん昔の話になりますね。
「私には好きな人と言うか、大切な人がいました」
その人に初めて会ったのは、私が旅をしている途中に寄った、桜が綺麗なことで有名な町でした。
その日は小雨が降っていて、七分咲きの桜もどこか元気がなく、花弁を伝う雫が、桜が流す涙のように見える、そんな日でした。
その日は運悪く傘が壊れてしまい、やむなく一本の大きな桜の下で雨宿りをしていたんです。
そのときは風が強く、風が少しでも弱くなればと思い、木の幹に隠れるようにして、風が弱まるのを待っていました。
そのとき、幹の反対側からぴちゃぴちゃと、濡れた地面が跳ねる音が聞こえてきました。
誰がきたのだろうと、そっと幹から私が顔を覗かると、なんとそこには、桜よりも遥かに可憐で、美しい女性が立っていたのです。
それからの彼は、頬を赤く染めながら、彼女のことについて延々と語り続けた。よほど惚れていたようだ。
彼の言ったことを纏める。
一、彼女は極度の晴れ女で、彼とは対極に雨を見たことがなかったらしい。
二、数日間その町に滞在したとき、彼の雨男としての力が弱まったこと。これの原因としては、晴れ女の力による力の相殺が行われた可能性が考えられる。
三、彼女もまた旅をしており、彼と同様、人の目には捉えられないらしい。人に見えない理由は定かではない。しかし、霊感の無い私でも、彼が見えることから、幽霊の類ではなさそうだ。そもそも、初対面の人間を人から見えなくするなど、聞いたこともない。
彼は言葉を続ける。
「それからいろいろありました」
私達はしばらくの間、ともに世界を旅していました。彼女とともに傘をさして、ただ風の吹くまま、気の向くままに。
しかし、それにも終わりは近づいていました。彼女は慣れない雨降りの生活のためか、体を壊し、動けなくなってしまったのです。
偶然にも山中に小屋を見つけた私は、そこに彼女を寝かせ、彼女の具合が良くなるのを待つことにしました。
彼女が床に臥している間、外では常に大雨が降っていて、雨が屋根を叩く音が鳴り止むことはありませんでした。
そしてこのとき、一抹の不安が頭を過ぎったのです。
それは数日にわたる大雨が、土砂崩れが起こすといったものでした。
万が一、土砂崩れが起きれば、身動きのとれない彼女を危険にさらしてしまうため、危険があることを私は彼女に話すことにしました。
「そして彼女はこう言いました。私を置いていって、と」
雨が一段と強くなった気がした。
「それで、貴方はどうしたんですか」
彼は小さくため息をついて答える。
「最終的に、彼女に言いくるめられまして、旅を続けることにしました。彼女の身を危険にさらす訳にはいきませんでしたし」
どれだけ離れれば安全かも分からなかったので、戻ることも出来ませんでしたと、彼は弱々しく呟く。
「それで後悔している、と」
彼は、はい、と小さく頷く。
「しかし、この世界のどこかに彼女は居るはずなんです。そんな予感がします」
そういうと彼は空を見上げる。
「雨が強くなってきましたね。彼女と私の距離が離れたのでしょうか。彼女がいれば雨は弱まるはずですし」
そういうと彼はこうしちゃいられないと、私に一言またいつか、という言葉を残して、雲の薄い方角に去っていった。
本来の喧騒が私を包みこみ、人の流れは、意識的に私を避けて進んでいく。
「なんなんだ一体」
あちらから声をかけてきたと思えば、恋の話をしていきなり去っていった彼の後姿が消えたのを確認すると、変な人だったと私は再認識した。
しかし、彼は大切なことを見落としている気がする。
私のように雨男が存在するのだ。晴れ女や晴れ男が存在してもおかしくは無いのではないか。すると、雨が弱まっても、他人である可能性も……。
今、彼は一体誰を追いかけているのだろう。
もうこの事を伝えることはできないのだが、おそらく彼ならそんなこと気にもせず、ただ走って行きそうな気がした。
数日後、雨は上がり、空には虹がかかっていた。
「あの人は今頃何をしてるのかな」
雨が必ず降っているならば、天気予報を見れば良いのではないかと思ったが、そうした所で大した意味はないと思い止めた。
今日は晴れているが向かい風である。
散歩に出かけるだけでもこれとは、正直うんざりする。
私が人気の無い公園を横切ろうと足を踏み入れたとき、突如こんにちはと挨拶された。
人は居なかったはず、そしてなんだか、数日前と同じく、辺りが静寂に包まれている気がする。
声のした方を向くと、桜模様の着物を着た女性が立っていた。
私は自分の中で理解した。おそらく間違ってはいないだろう。
「彼なら先に行きましたよ」
私の言葉にそうですか、ありがとうございます、と言うと彼女は、全く世話が焼ける人ですね、と楽しそうに笑いながら話す。
そして、一礼すると彼女は、公園から姿を消した。
彼が彼女の事を好きになった理由が分かった気がする。
彼にとって、彼女は太陽だったのだろう。
雨の中で生きていては決して見ることの無い太陽。
それを彼は心から欲していたのかもしれない。
まぁ所詮、推測でしかないわけだが。
「逢えるといいな」
向かい風が吹く中、私は呟いた。
今日も空はどこまでも続いている。
虹の架け橋が繋ぐもの ~Blessing rain~ 終
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