念慮
念慮
テレビってケバい編集多いよね
大したこと言ってないのにBGMで無意味に感動的にしてみたり
へーってサンプラー駆使して感想を誘導したり
無駄な編集やナレーションが多いせいで、内容も薄っぺらいしね
スタジオで映像見てる人の感想を一定以上使わなきゃいけないっていう制約もあるだろうし
でもそのくせ尺はきっちり決まってるし
面白いものや内容の濃いものは、よっぽど容量いい人じゃないと作れないって気がしちゃうわ
だからこういう小手先の、しょうもない編集で誤魔化してる番組が多くなっちゃうんだろうね
内容で全然勝負できてない、枠を埋めることで精一杯みたいな
だから勿論見るわけないです
罪悪感をいかに感じないようにするかを探りながら生きてるところはある
幸せとか楽しいとかじゃなくて
罪悪感のない人生が、涼しくて過ごしやすい人生だと思う
やることのある人生は気持ちが落ち込まない
たとえそれがマッチポンプのゼロサムゲームだったとしても
やることをやっている感覚というのは疲弊した心を救い、満たす
やることがないという不幸の理由がある
やることがないという死ぬ理由がある
結果的に毎日行うことは苦じゃないのに
頭から毎日やるぞと意気込むと辛くて続かない
言葉の魔力は侮れない
役に立たんただのご意見番(笑)と一緒に漫画を作りたいなんて一ミリも思わん
口出しされてもストレスなだけで、ひとっつも役に立ってませんから、やめてください
自分にできることとか探さなくていいので、やめてください
あなたにできることはないので、やめてください
役立たずでもサラリーはもらえるんだからいいでしょ
クリエイター気取んなや
コンテンツは好きだけど
そのコンテンツを作ってる人たちは別に好きじゃないから、つか知らんし
だからその衰退したコンテンツの復興を手伝おうとは思わん
実際に仕事をしていく中で付き合って行かなくちゃならないのは、ファンはもちろんだが、それ以上にその中の人たちだからね
その中の人たちのことを知らないのに手伝いたいなんて思わないよね普通
職場は人間関係が命っていうじゃないですか
つかそういう意味じゃ、面接も情報の非対称性の典型例かもね
面接官は品定めできるけど、受ける側は職場の人間と合うかどうか判断できないもんね
期待されても、期待させてもらえないっていう
結局、どんな形であれ、期待された役割を全うすることを求められるんだ
一般書を読めるようになるために高校までの勉強はあると思っている
基礎づくり
気になってるわけじゃないんだよなー
哀れんで楽しんでるだけなんだよなー
めんどくさいけど楽しいって理解できない
本来かけなくてもいい手間、自分が納得できていない手間をかけることは、なんら楽しくない
その作業を楽しいと思えるのは、あなたが納得してやっているからでしょう
私は別に納得してないんです
押し付けないでくださいよ
もっと多角的に見てください
高いキーが出ることや、ピッチがあっていること、声質が良い事を、往々にして「歌が上手い」と表現しがち
実際はそれだけじゃないと思いつつも、表現力とか言われてもよくわかんねえしなとも思う
それに一般人はカラオケでその如何を判断されることの方が多いので、
そりゃバーに外れないように歌ってる人の方が、
「視覚的には」歌が上手く見えるよね
最近のゲームのほとんどが多様性を扱うのに失敗しているように見受けられる
ある特定の思想を持った人々の意見を尊重することが多様性ではない
そんな浅い議論ではないはず
特定の思想を押し付けて、押し通して気持ちよくなっているような浅ましく、卑しい人々のためのものであってはならない
もっと有意義な方へ発展していって欲しいと思う
まず先に実際に動いてからじゃないと、学びの必要性に気付かないし、効果的な学びにならない
学びだけやっても身につくことはないから
結局実際に動いた後に足りないことに気づいて、学び直しをすることになる
勿体ないじゃないか、せっかく頑張って得た知識なのに
動いてから足りない部分を知る、足りないなと切に感じる
それがないと学びは身に付かない
フットワーク軽く、まずは行動
出来なさそうだと思ったら
すぐ帰ってきて、学びをして
完璧じゃなくていい、行動する中で仕上げを行えばいい
だから、ある程度わかったらまた行動に出て
で、また足りないこと気づいて、戻ってきて
行ったり来たりを繰り返すのがいい
そしてそのスタート、はじめの一歩は
実際に行動することから、身体動かすことから
これは絶対
新陳代謝の回転早く
たくさん動いて、たくさん学んで
超スピードで、超成長していこう
本人が喋ってるからってそれが全て真実だとは限らない
特に感情や意図なんてものは本人が一番わかっているようでわかってないから、語ってることの信憑性は低い
後付けも多々ある、信じすぎることのないように
こだわりはこだわらないこと
下手であること
負けてること
上手くなろうとしちゃいけない
上手くなろうと思っても上手くなれるものではないから
考えるのやめて別のことにリソース割くのがよい
考えても仕方のないことを考えるのをやめる
考えたところで向上しない、良くならないことを考えるのをやめる
上手く描けないんだから上手く描こうとするなよ
出来もしないのに謎にハードル上げるなよ
そんなハードル埋めとけ埋めとけ
やったやつが偉いんだよ
目標高く設定しようがやらなきゃ意味ない
やったやつが勝ちなんだよ
フェーズが違うんだよね
プロットやセリフ、ネームまでは一気にやる
この段階では勢いが求められてる、勢いで一気に走るのが合ってる
一方、それ以降の作業、下書きやペン入れ、仕上げに求められるのは、コツコツやる根気強さ
理由は単純で、作業量が勢いでは押し切れないほど膨大だから
それぞれの段階で、求められてる気持ちの準備、心構えが違う
それを勘違いすると簡単に停滞する
そして次第に停滞してることにイラつき、焦り、お決まりのパターンへ迷い込む
違う段階に入ったのだということをちゃんと認識しないとダメだね
二次元をそのまま実写に落とすと
いろんな言葉にはできない大切だったはずのものがごっそり抜け落ちていくね
リアルに成形するのは大変だ
ストーリーって流れだと思うから
要所要所の、ぶつ切りの感動的なセリフや、シーン見せられても
ストーリーがいいとはならないかなあ
感情移入もできないし、あーそっすか、になっちゃうどんなことも
時間制限嫌
静かじゃないと集中できない
うるさいと一度思い出したら止まらないタイプなので
しかも怒りの沸点も低いですから
気になるしキレるしで、もうものづくりどころじゃなくなる
考えがまとまらなくなってきてる
同じような内容繰り返す長文になってきてる
頭がそろそろ眠たくなってきたな
オフが近づいている証拠
やっぱ1日休めば調子出てくるもんだね
読書力というか、許容量?キャパ?
流し読み飛ばし読みしてるとも言えるけど
スピードが戻ってくると嬉しくなるね
よっしゃ調子出てきたって肩回したくなる
なんかアスリートって気分
やっぱり自国語の小説は走るように読めるからいいね
翻訳本だとこうはいかない
記憶力?興味力が一度に許容する量は三つまで
概念としてのまとまり三つまで
自分にとって適当な無理のないまとまり
(たとえば、シリーズものの本を数冊一気に読むことを一つと捉えたり、逆に同じ作品でも下書きとペン入れにわけて、それぞれ一つのまとまりとして捉えるなど)
それ以上はただの言葉の羅列
気持ちが入ってないので、予定に組み込んだところで、瓦礫に押しつぶされて、あったやる気も圧死する
とりあえずなんでも書き留める
思いついたら言葉にして、絵にして書き留める
考えるのはそこから
メモするのに相応しいかどうかなんて判断するくらいだったら自動的に書き留めとけ
あとで見て精査すればいい、生かすも殺すも後付けでいいから
とにかく思いついたらメモ、反射的にメモ
そのメモの数が鬱陶しく思えることもあるかもしれないけどメモ
意味ないなと、ただの有名人の言説の反復だなと、アイデアになってないメモは消す、どんどん消す
メモを圧縮し、その中から気が向いたもの、目に留まったものをピックアップする
ものを作るのは楽しいけど
それに付随する人たちとは関わりたくない
だから広くあろうとは微塵も思わない
人を信用できない嘆いてるけど信用しない方がいい
信用すると暴走するから
神のごとく崇め奉ってしまうから
自分で勝手に、盲目の信者になっちゃうからほんとにだめ
信頼を寄せすぎると碌なことにならないことを嫌と言うほど学びました
裏切られるしね
だから、人との距離感には敏感です
時間が勿体ないからって
何でもかんでもながらにする必要ない
別に聞きたくもない、見たくもないものを流す必要ないでしょ
何しようかなって興味ない中探す時間こそ無駄
お米をうまくかき混ぜられない
水をつけてもお米がくっつく
無駄にしてない感は楽しい
普通でなくとも特別ではない
終わりを想像できてしまったら、もう終わり
たとえ事が済んでいなかったとしても、気持ちはもう終わってしまう
賢くはないでしょ
飲酒に喫煙にポテチ毎日バリバリ食ってる
アウトでしょ普通に
風呂の水が詰まって、流れ終わるまで暇だから
しゃがみながら、足で水溜り踏みながら白い床見てたらさ
なんか視界の一部が時々黄色く見えて
汚れかなとか思って覗き込むと消えて
と思ったらまた現れて、光の角度かなと思ったけどそうじゃなくて
周期的に視界の中央が黄緑になっては消えて
なんじゃこりゃと思った
左目に起こった
左目疲れてたからそれかなー?ストレスなのか?疾患なのかわからぬ
1日の活動の絶対量が少ないのだから
迷っている暇はない
真面目に読む必要も理解する必要もない
大して変わらん
心臓の鼓動がはやまって、早く打って
血圧上げて、起きろと心臓に言われるから起きる
育ててもらおうとかいう魂胆がまずダメ
自分で育てよ
はなから他人を当てにしてるから足下見られるし
そこに情熱がない
たとえ雇ってもらえても、その関係は歪な上下関係
常に阿って、その人の好きなように書くしかなくなる、気に入るように書くのが当たり前になる
そいつが通してくれなきゃダメだから仕方ないっていう風にどんどん良くない方に落ちていく
そうなる前に門前払いされてよかった
その自分の危険な態度に気づけてよかった
才能なくて本当によかった
人を狂わせるという点においては、
否定よりもむしろ、肯定、とりわけ全肯定の言葉の方が罪深いよね
図に乗るな、調子に乗るな、天狗に乗るなという方が無理だもんな
没って言葉の持つ全否定感
結構暴力的だよね
とてもじゃないが耐えられない
内弁慶オブ内弁慶
しょうがないよそう見えても
文句は全部終わって振り返った時に出てくるし
わざわざ反論して戦うこともないだろ正面切って
それで得られるものは、今後はしないようにしようって反省くらいだよ
内輪で思いつくだけの悪口文句全部吐き出して
黙って関係切る方がいい
不満が溜まるってことはどのみちこの人とは一緒に仕事できない、もの作れないってことなんだから
合わないという感覚は大事にしたい
ちゃんと切れるだけの健全さを持っていたい、心がけたい
ストレス溜めながら不満の中でその人とわざわざ付き合う必要ない
他にも人は掃いて捨てるほどいるから
たった一つのゴミにそこまで拘泥することはないさ
文字通り掃いて捨てて、次のゴミ探しな
ゴミが価値に変わるまでゴミ拾い続けることだ
ゴミ拾いしてれば必然的に、自分の世界は綺麗になるしいいだろう
そう無駄なことでもない
このままやったら終わるなーこのペースなら
って思ったら、意図してペースを崩す
周期を破壊する
機械的にならぬよう、意図的に揺らぎを生むようにする
ってな風にして刺激を与えていなければ
今のこの作業期間は良くても
その負担が次の作業の時にのしかかって来て
次の作業の効率が、モチベが落ちる羽目になる
寝れなかったら寝れなかったでいい
割り切って受け入れる
明日ちゃんと寝れればいいから
明日の自分に期待
アンバランスな欲求を楽しめ
取り返しのつかないよりも
取り替えのつく方がいい
思っていたほどというか
思っていた方が面白かった
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