世界樹と蜂蜜
あげあげぱん
第1話 出会いのフレンチトースト
大きなハチの巣の欠片を持ったクマさんが私のことを見下ろしていた。
「どうしたんだ金髪。怪我をしているじゃないか」
よく見るとクマさんは古い魔法使いのようなとんがり帽子を被っていた。そう思うと彼の黒い毛皮は全身を包むローブのようにも思えた。
「腹に穴が開いているぞ。治癒魔法を使わないと死ぬんじゃないか?」
「そうね。でも、私は治癒魔法が使えないから……」
「エルフなのにか?」
「残念ながら……」
そして私は死にかけていた。ドジを踏んだのだ。巨大な魔蜂に腹を貫かれて、貫通した穴からはどくどくと血液気が流れ続けている。今は腹を貫かれた時の痛みは薄れて、とにかく寒かった。
「仕方ない」
クマさんがため息をついた……ように思えた。そこで私の視界は暗転し、意識を手放してしまった。
次に目が覚めた時、私は見知らぬ毛布の上に寝かされていた。見知らぬ褐色の天蓋は何かの生物の革から作られているようで、どうやらここは大きなテントの中らしい。
ここは……天国ではないだろう。そう考えながら、横になったまま視界を泳がせていると、視界の隅にクマさんの姿が映った。トンガリ帽子を被っていて、その体毛はカラスの羽のように黒かった。
「……私、生きてる?」
「おう、起きたか。治癒魔法をかけておいてやった。ここは世界樹ダンジョンの中にある俺のキャンプだ。お前が死にかけてた地点からそれほど離れてはいない」
「あなたが助けてくれたのね。ありがとう。でも……」
「でも?」
「私の体が目的なの?」
そう訊くとクマさんは呆気にとられたような顔をした。そしてこちらを小馬鹿にするかのような調子で笑い出す。
「お前の体に? よせよ。そんな貧相な体に興味はない。食っても不味そうだしな」
小馬鹿にされたのが恥ずかしかったのと、私だけ勝手にハレンチなことを考えていたという事実に耳が熱くなっていくのを感じられる。
黙ったままの私を無視するかのように、クマさんは独り言めいて呟いた。
「まあ、世の中は不味い物ばかりだが」
彼が何気なくつぶやいたその言葉は、私には聞き捨てならないものだった。私はさっきまで死にかけていたのも忘れて毛布の上から跳ね起きた。
「世の中が不味い物ばかり!? 冗談でしょう?」
頭に血がのぼって跳ね起きたせいか、次の瞬間にふらついてしまった。だけれど、私はなんとか踏みとどまって倒れることはなかった。
「もう起き上がるほどの元気があったか。しかし、怒らせてしまったかな?」
余裕を崩すことなく、笑みを浮かべながら尋ねてくるクマさんに私はしっかりと頷いて答える。
「あなたは私の命を助けてくれたようだけど、聞き捨てならないことを言ったわ。世の中には美味しいものが沢山ある。それを、あなたに教えてあげる」
「教えるってどうやって?」
「私の鞄があったでしょう? その中にあるものを使って料理を作ってあげるわ!」
「俺はお前の料理に興味なんてないんだが……」
そう言ったクマさんのお腹がぐうぅと鳴った。料理を作るには丁度良い時間みたい。
「ここはあなたのキャンプって言ってたわよね。ということは、当然調理をする場所はあるんでしょう?」
「まあな」
「助けてもらったお礼もしたいわ。あなたのために料理を作らせて」
「……分かったよ。ついてこい。それと荷物はお前の背中側に置いてあるから、必要な物を勝手に持ってこい」
クマさんはため息をつき、私をテントの外へ案内する。私はすぐ後ろに置いてあった鞄を肩にかけ、促されるままに外へ。
目に移った光景は人が乗れるほどに大きな枝が幾重にも連なる場所。枝から生える葉はひとつひとつが淡い光を放ち、遠くに見える木の壁はどこまでも高い。大陸の東の地には世界樹があり、その中はこのようなダンジョンになっている。
「ほら、かまどはこっちだ」
クマさんに言われてそちらへ向かう。そこには確かに、小さなかまどが用意されていた。私が使うにはちょうど良い大きさだけど。彼が使うにはちょっと小さいんじゃないだろうか。
「それで、何を作るんだ?」
クマさんの質問に、私はひとつの料理の名前を口にする。彼に食べさせたかったし、今の私はそれを食べたい気分だった。
「フレンチトーストを作るわ」
「フレンチトースト?」
「ええ、材料の心配はいらないわよ。私の鞄に必要な物は入ってる。私はこのダンジョンを冒険しながら、食材を集めたり、それを使って商人と取引したりしているのよ」
「ふぅん」
早速、私は鞄から必要な食材を取り出していく。まずは金ガチョウの卵……ああ、良かった。頑丈な卵だけど、実は割れて無いかちょっとだけ心配してた。
それから牛乳と砂糖。どちらも瓶に入れていたけど、こちらも大丈夫。ドワーフの作る瓶は頑丈だから、流石の信頼性ね。
バターもあった。
最後に、フレンチトーストに欠かせないパン。昨日商人から買ったばかりの食パンを使う。これで食材は揃った。
どんどん必要な物を取り出していく。食器や調理器具なども取り出して準備は完了だ。
「それじゃあ、調理を始めましょうか」
「俺は手伝わないからな」
「大丈夫よ。必要ないから」
「そうかい」
すまし顔のクマさんは気にせず調理を始める。まず、食パンをまな板の上に乗せ、包丁で四等分に切る。
卵を割って中身をボウルに入れる。牛乳と砂糖も居れて、泡だて器でよくかき混ぜる。
調理用バットに食パンを置き、ボウルの中の液体を流し込む。
「このまま十分ほど漬け込むわ」
そう言って私はクマさんに腕時計を見せつけた。彼はそれを不思議そうに眺める。
「最近、そういうものを腕に着けている者を見ることがあるが、いったいなんだんだ?」
「これは腕時計よ。クマさん。あなたダンジョンの外の事情には疎いのかしら?」
「ここ数百年。ダンジョンの外には出ていない。それと、俺の名前はヴァルだ」
「それはどうもヴァル。ちなみに私の名前はエルシーよ」
クマのヴァルはふんと鼻を鳴らした。そうして彼は言う。
「トーストを作るなら、薪が居るだろう? 時間もあるようだし、用意しよう」
「あら、料理を手伝ってはくれないんじゃなかったの?」
「お前が料理を作っているのを見て少し興味がわいた。それだけだ」
「そう、ありがと」
ヴァルは薪や枝を用意してくれた。私はマッチを使って火を起こす。彼はそれを不思議そうに見つめながら「生活魔法があればこんなもの要らないだろうに」と呟いていた。彼は本当にこのダンジョンに何百年もこもっているらしい。生活魔法なんて、そもそも魔法なんて必要とされる時代ではないだろうに。
調理は順調だ。中火で熱したフライパンにバターを入れて溶かす。そこへ充分に液体に漬け込んだ食パンを置いて焼く。焼き色がつくまで。そして、裏返して蓋をした。
「あとは弱火で二分ほど。それで完成ね」
「ふぅん。お前はなかなかの料理人のようだな」
「普通よ。普通」
もしくは、彼にとって料理というものは数百年前の時代で止まっているのかもしれない。彼は腕時計やマッチをよく知らなかったように、古い時代に置いて行かれているのだろう。そう思うと、少し彼が可愛そうに見えた。
考え事をしているうちに二分が経ち、フライパンに乗っていた蓋を開ける。すると、中から甘い香りが漂い、そこには黄色くふわふわした質感のトーストがあった。
「さ、完成よ」
「それじゃあ、ひとつ頂いてみようか」
「あ、ちょっと――まだ盛りつけが――」
私の抗議もむなしく、彼はフレンチトーストの四分の一を手でひょいと摘まんで食べてしまった。そして。
「ほぅ」
ヴァルの顔が幸せそうにほころんだのを私は見逃さなかった。
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