第2話

 それからしばらくして、ぼくは城に召喚された。

 第一王子が王太子に決まったようだ。父は母を一番気にいっていたから、まぁ順当に行けばそうなるとは考えていた。

 あれから何年経ったのか。

 兄が父のように側近に仕事を任せて後宮に入り浸らなければいいけれど。

 ちなみに兄の婚約者は決まっている。兄が王太子になるには、どうしてもこちらの国の純粋な人間でなければならなかった。

 母が隣国の姫様だからね。仕方ないね。

 ぼくは廃嫡される。廃嫡された王子は王家が所有している何処かの封地を貰ってそこで暮らさなければならない決まりだ。

 王子は十四人、王女は十三人いる。

 側室の方々にはなるべく手を付けないといけないのが王の決まりだ。これは側室の家の位と上下が関係しているので王に拒否権は無い。

 王にならずとも王との子があれば貴族としての対面を強く保つことができる。王族の血筋があれば、遠い未来で王になることだってありえる。だから貴族は積極的に側室を送り込むし、王家に側室として迎えられることは貴族にとって大変名誉なことなのだと聞いた。

 血筋なんて馬鹿らしいとぼくは考えてしまうけれど、大切に考える人達もいるのだ。それをぼくが簡単に否定してしまって済む問題ではない。

 ぼくはともかくメイリアは一度家に帰してあげないといけないかもしれない。

 彼女は曲りなりにも侯爵家の人間だし、彼女には二人の姉がいると聞いた。

 彼女はぼくの使用人として待機するつもりだったみたいだけれど、親に呼ばれて侯爵家の三女として参加することになっている。

 王太子決定パーティは一日では終わらず、三日ぐらい続くとの事。

 ぼくは何日か王都に滞在しなければいけない。そののち封地を渡されてそこで一生を終える。

 残念だけれどこれに例外はない。もしかしたら外の世界を一生知れないかもしれない。

 まぁ王都まで数時間なんだけど。

 王城まではメイリアと一緒になった。ちなみにぼくは素行がアレだったため、獣車には鍵がかけられてまるで犯罪者のように王城へ連行されてしまった。獣車の中にはシートベルトがあった。マジか。シートベルトがあるとは……と感心した。

 ちなみに獣車(じゅうしゃ)というのは所謂馬車だよ。

 マジデジマ。

 中からカーテンで遮れるので普通に彼女と寄り添っていた。

 道が整っていないし土の道だから凸凹もある。水溜まりもあるから時たま体が浮いて天井に頭をぶつけた。痛がる頭を彼女が笑いながら撫でてくれた。

 あーこのためのシートベルトかと納得した。座る所がフカフカじゃなかったら即死だった。

 城についたらぼくはママ親とかティティ親に挨拶しなければいけない。ばっちゃんも存命だし、先代の王も存命だしね。兄への挨拶もある。ちゃんにぃーだからね。仕方ないね。血縁的にはね。ちなみに王は隠居するとこれまた封地を貰って引っ込むことになる。これは王に対して先代が猛威を振るわないためなのだとか。そして当然王妃やそれに連なる側室なども封地へ移動することになる。次期が来れば王家は一新される。まぁでもあと王太子が決まっても王が王を引退しない限りはそうはならない。

 メイリアと別れるのはちょっと嫌だけど、姉二人と会うらしいから邪魔するわけにもいかない。姉との仲が良いようだ。

 街中を馬車の中から見たけれど、石造りの家が多かった。王城だから基本住民の住居もいざという時のために頑丈に設計されているのだろう。

 やっぱりスラムみたいな場所もあるのかな……。思うところはあるよ。

 人の不満を解消するのに、もっと不幸な人を用意するのは有効な手段だ。たぶん。

 城の側で鍵が解かれて外へ出る。体中が痛いぞなもし。そんなぼくの体を彼女が気遣ってくれて、ほんと、なんていうか、申し訳ないよ。ぼくが気遣うべきだぞ。

「ご機嫌よう。王子」

「やっほー。こんにちは」

「やっやっほ?」

 声をかけて来た人達がいて、手を挙げて挨拶した。フレンドリィ過ぎて若干引かれていた。やべぇな。

「あの、従者の方……かしら? 王子はどちらに?」

「第六王子の方です」

「え⁉ しっ失礼しました」

「いいよー」

 メイリアが駆け寄って――。

「メイリア!?」

 二人の姉と思われる人達が驚いていた。

「貴方……随分。本当にメイリアなの?」

 二人の前で喜び飛び跳ねるメイリアは本当に嬉しそうだった。

 メイリアの二人の姉は順当に美人だ。化粧が無くともある程度整っているのがわかる。地金がいいと言うのか元がいいと言うのか。

 侯爵家は貴族としてはかなり位が高い。この先苦労するだろうことを考えて、今のうちにお姉さん達と団欒を堪能したほうがいいだろう。ぼくも挨拶あるしね。王子だからね。仕方ないね。

「ご令嬢方、メイリア。ぼくは挨拶に行くよ。家族でゆっくりしていいから」

「王子……ありがとうございます」

「ご心配、痛み入ります」

 姉二人にそう言われて頭を下げられて、でもぼくは王子なので頭を下げられなかった。王族だからね。貴族に頭を下げられないんよ。すまんね。

 メイリアがこちらを向き、手を握って来た。恋人握りで指の間に指を入れてニギニギしてくる。

「粗相をする人はいないと思うし、お姉さん達が一緒だから、大丈夫だと思うけれど、気を付けてね」

 メイリアと手を離すと、手を離すのが名残惜しいと思わないばかりの動作をされてぼくも離れがたい。

 でも少し離れるのは心のスパイスになっていいかもしれない。

 第六王子なんて肩書はあるけれど、ずっと離れにいたし、ぼくに声をかけてくるものなど誰もいなかった。衛兵たちも他の貴族達も、ぼくを見て訝しんだり、あれは誰だと噂したり、ほんとすまんね。

 大広間に出るとパーティは始まっていて、社交に花が咲いていた。夜が本番だけれど、次代の王を告げる催しだからか、沢山の人がいて、当然と言えば当然かと納得もする。

 人には聞こえない音量で堂々と喋る。それが社交なのね。


 わかりやすい正面奥の王座にティティ親が、隣にはママ親が座っていてびっくりした。ティティ親の隣には見せつけぬばかりに兄が立っている。次代の王だからね。

 ママ親の席、そこは王妃の席やろうがいと頭を掻く。王妃を探したけれど、姿は見当たらなかった。政変に負けてしまったのか。

 ティティ親の前には挨拶をする貴族が並んでいる。そこへ並ぶ――。

「おや、ご令嬢。大変失礼とは思うけれど、どちらの方かな?」

 前に並んでいた男の人が話しかけてきた。

「王子の方です」

「っこっこれは失礼した。王子はこの並びに並ばなくとも良いはずですが」

「そうなのですか?」

「えぇそうですよ?」

「教えて頂き、ありがとうございます」

「……もしや貴方は、第六王子様ではございませんか?」

「そうですね」

「やはりっそうでしたか。私はウェルデールホンカインツロウ。メイリアの父親です」

「おー。貴方がお父さまですか」

「ふふふっ。お父さまですか。変わった方だ。いや、王族の方に対して無礼な口を聞いてしまったかな」

「気にしないでください。噂通りの放蕩王子ですから」

 カインツロウ侯爵家。メイリアホンカインツロウがメイリアの本来の名前なのだろう。

 メイリアのティティ親は長身でブロンドの優しそうなおじさんだった。

「メイリアが大変にお世話になっております王子。王子もお元気そうで、こうしてお目にかかれて光栄に存じます」

「こちらこそ。大切なご令嬢を預けて頂き、大変感謝しております」

「ありがたきお言葉。娘はどうですか? 上手にお世話できていますか?」

「はい。娘さんには大変お世話になっております。彼女を授かって頂き、本当に感謝しています」

 なんか変な言葉使ったかもしらん。

「そうですか。そうですか。早くにあの子の母を亡くし、あの子には苦労をかけました。あの子は魔術が使えないので貴族社会ではこれからも苦労が絶えません。これからも娘をよろしくお願いします」

 まかせろ。バリバリ。

「そうなのですね。私にできる事でしたら、力の限り行うと約束します」

 そーだったのね。母親を亡くしていたのね。知らなかった。

「もっとお話ししていたいのですが、先に王陛下にご挨拶なさったほうがいいでしょう」

「そうですね。途中で大変申し訳ないですが、失礼させていただきます」

「はい。またのちほど」

 いいお父さんだ。

 列から離れて貴族の先頭隣に立つ――ティティ親の目がぼくを追っており、隣に立った貴族が少し驚いている様子だった。

「王陛下、大変お久しゅうございます。第六王子でございます」

 膝を折り、頭を垂れる。

「あぁ、久しい。久しいな。こちらへ寄りもっと顔を良く見せなさい」

 立ち上がり、頭を垂れながら王の近くへ移動する。いや、多分ティティ親はおいらが第六王子って言わなかったら第六王子と判断できなかったと察する。

「良い良い。顔を上げなさい」

 顔を上げるとティティ親が前にいた。こうしてティティ親と面と向かって話すのは初めてかもしれない。

「何も変わっていないな。お前は。いや、悪い意味ではない」

 王が手を伸ばして来て頭を撫でられる。魔力を込めたナデナデだ。ガードしていなかったら吐いていて笑いものだっただろうな。

「いまだに背中にトカゲを入れらたのを思い出す」

「……当時は失礼いたしました。まだ子供だったゆえの児戯と……」

「良い良い。思えば、子らの中でお前にだけには構ってやれていなかった。王より前に、父として至らなかった。この父を許してはくれまいか」

 じゃあまず魔力込めるのをやめろ。

「恐れ多い事でございます。王陛下」

「父とは呼んでくれぬか」

「よろしいのですか?」

「かまわぬ」

「光栄にございます。父上」

「良い」

 王の家系は体格に恵まれている。荘厳な赤と黒で彩られた装いが父の赤黒い髪に良く似合っていた。ぼくの髪も赤黒く、これは王家特有の遺伝だ。ぼくの血は父の血が強い事を意味している。実際に父はぼくよりもぼくの髪を撫でていた。ぼくではなく血筋を愛しているのだ。

 継いで隣に立つ兄に挨拶をする。父はまだ王だからね。まだ兄は王の前では座れない。

「王太子殿下。お久しゅうございます」

「うむ。我が弟よ。しばらくぶりだ。息災か?」

「はい。この通り、病気一つせず」

「今までは忙しく、兄として接することができなかった事を申し訳なく思う。これからは血の繋がった兄弟として、至らぬ兄を支えてくれ」

「恐れ多いことでございます。王太子殿下」

「兄で良い」

「王太子‼ それはいけません‼」

「母上。今まで私達は弟を蔑ろにしてきました。血の繋がった弟をこれ以上蔑ろにしたくはないのです」

「例え兄弟であっても上下の区別はしっかり行わなくてはなりません」

「母上……」

「いいえ、殿下、母上の言う通りでございます」

「ふっ。母上等と……気色悪い」

「これ、お腹を痛めて産んだ子に何と言う事を言う。半分は世の血筋であるぞ。それを気色悪いと言うか」

「ちっ違うのです。王陛下……」

 なかなか複雑な家系なのだ。正直言ってママ親の性格はクソ悪い。どれぐらい悪いかって言うと、う〇こ食べろって言うぐらいに悪い。見た目に関しては、この世界での絶世の美女と言われているけれど、おいらの趣味ではない。ティティ親がゾッコンなのだから、美人なのだろうなとは感じる。

「良いのです。王陛下。王太子殿下。時間をあまり取らせてしまっては、他の方に失礼と存じます。これにてお目汚しを失礼させていただきたく」

「うむ。すまないな……」

 最後にもう一度ティティ親に頭を撫でられ、兄に頬を指で撫でられた。

 だから魔力を込めるのをやめなさい。ちゃんにーまで魔力を込めて来るけれど、反撃してもし王太子がその場で吐きでもしたら、おいらは王太子殺害未遂の罪で牢獄行だ。やったぜ。

 後継が決まったからか、それとも性的に枯れて来たのかティティ親が穏やかでびっくりした。

 その場を離れて王妃を探す。いや、王妃には挨拶しとかないといけないのだ。

 この場においておいらより上の人が四人いる。ティティ親とママ親とちゃんにーと王妃だ。だから王妃にも挨拶しとかないとダメだ。

「王妃様はどちらに?」

 通りすがりの給仕係に声をかける。給仕係と言ってもこの人達も貴族だ。貴族の三男とか四女とかだ。すみませんとか失礼とかそう言う言葉を使うのはダメなのだ。

「王妃様はあちらでございます」

 ありがとうも言っちゃダメなんよね。すまんね。給仕係はペコリとお辞儀したので言われた方向へ向かう。中庭だった。この中庭は王族しか入れない。ママ親があそこに座っている以上、王妃のプライドがズタズタなのは避けられない。

 王妃はこちらに気づいて視線を向けて来た。

 整った容姿、薄いクリーム色の髪、雪のように白い肌。だけれど少し疲れたような表情をしていた。隣には第二王子。母親を労わっているのだろう。

 第二王子の髪はオレンジ色。ティティとママの半分の色だ。だから王位から遠ざけられた。とぼくは考えている。

「王妃様」

 近づいて膝を折る。

 そうは言っても王妃がこの国の王妃である事に代わりはない。ぼくよりは偉い。

 ため息が聞こえた。王妃のため息だ。

「貴方は?」

 あーおいらの事わからんか。

「母上。第六王子ですよ」

 第二王子とは面識あるからね。

「まぁ……ごめんなさいね。その髪の色で気づくべきでした。立って顔を上げなさい」

「失礼いたします」

「ここには王族とそれに連なる者しかおりません。かしこまらずとも構いません」

 王妃を正面から見る。

「お久しぶりでございます」

「久しぶりね。貴方は……」

「離れに移されていたのですよ。母上」

「そうでした。王陛下にはご挨拶なさったの?」

「はい」

「……私の元になど来て、何がなさりたいの?」

 王子の顔を見る。王子の顔も疲れていた。争いに敗れた人達の顔は、みんなこんな顔なのかもしれない。目が合うと王子は少し苦笑いした。察してって話ね。

「王妃様。私の事を疎ましく思うかもしれません。ですが私にとって貴方が国母であることに変わりはありません。どうか伏す事をお許しください」

「……わかったわ」

 差し出された手。普通なら跪いてキスするところだけれど、跪いて王妃の手を取り額へ当てた。五秒ほど当てたら手を放して離れる。

 立ち上がり、お辞儀。

「王妃様、兄上。ご心労お察ししますと私の口から言えば、嫌味に聞こえるかもしれません。私も封地を頂き遠くへ赴く身、どうかこの先も末永く息災であることを願っています」

「……そうね。ごめんなさいね。思えば、国母として貴方に接したことはなかったわね」

 王妃が立ち上がり、抱きしめて来た。いい匂いだし柔らかいし最高かよ。シルクのような手触りの手袋で頬を撫でられ、目をじっと眺められた。

「もっと早く、貴方とお話していればよかったわね。ごめんなさいね」

「いいえ王妃様。その言葉だけで十分にございます。心のわだかまりも解けるほど、嬉しく思います」

 兄が肩に手を添えて来て、目を見合わせれば、お互い苦労する身なのは察せられた。

 王妃様は純粋培養で性格も血筋もいい。おいらのママ親と交換して欲しいぐらいだ。

 王妃様が離れたので、【依存して】を発動して王子と王妃の手を取る。

「どうか心穏やかにお過ごしください」

 王妃と王子の目の色に、力が戻ってくるのを感じた。

「あぁ」

 第二王子に頭を撫でられてしまった。

 これで挨拶は終わりだわっしょい。と考えていたけれど、第一寵姫と第二寵姫、その息子たちに少し絡まれた。嫌味か何か言われるかと心の中で身構えていたけれど、これから仲良くしてね、とか、今まで申し訳なかったと頭を下げられた。

「私は、血が繋がっているだけですから」

 そう言うと、彼らはもっと申し訳なさそうな顔をして、一人ずつ抱きしめてくれた。別に同情されたかったわけではなく、ぼくは血族ではあるけれど、貴方達を脅かすような力はありませんよと言ったつもりだった。

 王子達から子供の頃の心境を少し聞いた。親が何時もピリピリしており、敵視していたからあんな行動をとってしまったと謝罪された。子供の頃ってそういうことあるよね。上辺では許すけど心の中では許してないからね。

 第一王女にも会った。王女は隣国の第二王子に嫁ぐことが決まっている。封地を貰うと言ったけれど、それは男児のみだ。女性は嫁に出されてしまう。彼女達の嫁ぎ先を彼女達が決めることはできない。

 第一王女は王妃の娘。家で一番年上の姉だ。色香の強い女性だなと言う印象を受けた。正妃の容姿を持った男らしい父を真逆にした女性らしい性格と体格の女性。そう言う印象を受けた。

 身長も高い。ぼくは抱えられてペットのように膝の上で頭を撫でられたり、顔を胸に押し付けられたりした。色々柔らかい。自信と色香にあふれた抱擁。いくら嗅いでも嫌にならない良い匂い。普通なら嬉しいところだけれどなぜか怖かった。

「元気だった?」

「はい」

「調子はいいの?」

「そうですね」

「いい子ね。いい子いい子」

「姉上。ぼくはそんないい子って言われる年じゃありません」

「今夜、お部屋を開けておくわね。お姉ちゃんと一緒に、おねんねしましょうね」

「姉上……それはさすがに良くないです」

 初対面ではないにしろ、そこまで親しくはない。と言うより接点が今までほとんどなかったのに、何が原因なのだろうか。

「大丈夫よ。お姉ちゃんが優しくしてあげるから。ね?」

 何を優しくしてあげるのか、色々よろしくないので隙を見て逃げた。よっぽど隣国に嫁ぎたくないのかもしれない。残念ながらこの国の王女の行く末なんてほとんどの場合、酷だ。

 隣国に嫁ぐか公爵家に嫁ぐか降嫁されるかのいずれかだ。


 夜まで用意された部屋で待機するために、かつての自分の部屋へ向かう。

 長年使っていなかったけれど、ぼくの部屋はそのままの状態で残っていた。ベッドにダイブ。しばらくぼんやりしていた。血が繋がっていなかったら姉さんの誘いに乗っていたかもしれない。ぼくは自分が浮気性なのだと気が付いた。父の血筋だから仕方ないのかもしれない。

 メイリアに会いたくなってしまった。ここにメイリアがいれば、頭なでなでしたり、ほっぺナデナデしたり、お凸にキスしたりするのに、人肌寂しい。

 実感が欲しい。ぼくは彼女のものだって強力に縛られたい。迷いがうるさい。

 メイリアに会いたい。

 メイリアを探そうかと……じゃあ、メイリアが他の男に誘惑されて、それを受けたらどうなんよと自分に問われて、ひどく傷つく自分がいた。そうなったらぼくは苦しくて死んでしまうかもしれない。

 メイリアに会いたい。

 会って抱きしめて安心したかった。

 半径50mぐらいの人の有無は判別できるべきかと、自分を解析して人と分類する項目を探す。分析ではなく解析である事にはおそらく意味がある。ただ見るのではなく、答えを探して欲しいとそう言う事なのではないだろうかとぼくは勝手に女神の意向を思案する。

 そして【クレアボヤンス】を開発した。

【クレアボヤンス】は半径50m似内のおおよそ人と分類される生物を、壁を通り抜けて可視化できるようにする魔術だ。

 丁度扉の前に人がいて、ノックしようか迷っていて、うろうろして、ノックしようとして、うろうろしていた。というかメイリアだった。ドレスを着ている。白を基調としたほんのり黄色なドレスだ。心臓がびりびりするのを感じた。あんなに一緒にいたのに、どうしてこんなにビリビリするのか戸惑ってしまう。

 扉をゆっくり開けると彼女は目を丸くしてこちらを見ていた。その目がぼくを視認してゆっくり笑みへと変わっていくのが堪らなく心地よかった。ぼくを見て笑ってくれるのがとにかく嬉しくて直視できない。

 大輪の花。太陽のような女性。そう感じずにはいられなかった。温もりが可視化されているような気すらする。

「ドレス……きっ綺麗だね」

 柔らかく掴まれる指の痕、擦れ合う手、平が彼女の頬にある。彼女の頬はとても温かかった。口の形に添って歪む頬とその弾力を受ける手の平。それを許容してもらえる喜び。

 徐々に縮まる距離と、その距離を理解してお互いがお互いを理解し近づく共感。

 ふわふわのドレスの柔らかい感触と、その内にある彼女の体温に心臓が柔らかく波打つ。閉じた目の中で脳裏に映る彼女の姿。開いた目の先には想像と同じ姿がある。良く似合っている。ひまわりのようだった。

 満天の太陽と麦わら帽子、蝉の鳴き声でも聞こえてきそうで。

 ドアが閉まり、離れて見つめ合う目と目。優しく、反らさず、柔らかく、包み込まれる、許容されている視線。

 彼女の手から手袋を取り素肌を口に咥えていた。手に唇を寄せ唇だけで何度も柔らかく噛む。

 愛しているとか。好きとか。傍にいて欲しいとか。もう一時も離れたくないとか。そんな言葉が喉から出かかって、それを言ってはいけないと彼女の指を甘噛みしていた。

 息が荒くてしょうがない。好きって言いたかった。でも言えない。絶対に言ってはダメだ。

 お断りされる可能性なんて一割以下だと考えている自分が最悪すぎる。

 その言葉を王族であるぼくが決して言ってはいけない。彼女はその言葉に逆らえない立場にある。それに、彼女の未来にぼくがいてはいけない。責任がとれない。

 彼女の指が舌の上で動いていた。歯の裏を撫で、頬の裏を撫でてくる。見知った味の指。絡まる唾液すら許容されている。

「あのえ……」

 ダメだ。言ったらだめだ。フラれる可能性はある。それ以上にそんな簡単に告げて責任を取れるのかと息が荒くなる。

 腫物扱いで婚約者はいないし、封地に送られる。喉が渇いて嫌になる。

 口から離れた指、彼女が両手でスカートをたくし上げてくる。

 なんでスカートをたくし上げているの。視線を避けたくて目が痙攣してぴくぴくする。

 露わになっていく足、純白の下着が露出し否が応でも視界に入って来る。

「あの……」

 メイリアは笑みを浮かべていた。笑みを浮かべながら近づいてくる。下がるぼくを追い詰めるように壁に押し付けて、触れて擦れて。触れてはいけないのに。

「うー……」

 見上げるように喉を舐められ、嬉しそうにぼくを見ていた。

「これから発表あるから……」

 背中に回って来る手の感触。全身をすり合わせるようにくっつけてくる。体が擦り合うのが妙に気持ち良くて、心地良いとも言えた。心音が混ざりあうと呼吸までも呼応して荒くなっていく。二人して犬みたいに口を開いて、過呼吸みたいになって見つめ合って。

 苦しいのに離れたくない。苦しいのにもっともっとと求めてしまう。このままでいたい。

「うー……」

 何にも言えずに唸ってしまう。

 ゆっくりと指の間に通る指が交差し彼女の力に合わせて、力を緩めたり強めたり、お互いで倒れない力の量を気遣いあっている。なにこれ。

 唇を寄せあって、体勢を崩してベッドへ倒れ込んでいた。

 跳ねる体。手を握りながら見つめ合っていた。

 服と服の擦れる音。服よりも感触のある素足が体に触れて来る感触。

 掛布団のように覆われて、いい匂いがした。

 手が。

「えっ‼」

 気が付いたら脱がされていた。普段とは違う彼女の様子に驚いてしまった。馬乗りになった彼女のスカートで、ぼくの半分は隠されていた。

「あの……」

 舐め合いはあったけれど……それは。

 戦慄する。

 閉じていくスカートと。

「いや、あのっ。ダメッダメダメダメ‼」

 手で彼女を封殺しようと試みる。手で手を抑えられて、いて、不思議そうにしていた。男女の体は確かに交われるようになっているし、ぼくは男で彼女は女性だ。彼女にそういう知識はないはず。

 よくよく考えれば、ぼくは基本的に放任されていた。王族としての教養すら受けていない。ずっと離れに移されていた。それは彼女も一緒だ。もちろん彼女の方が年上ではあるけれど。

「ダメッ‼ それだけは‼ お願い‼ ダメッダメダメダメ‼ ダメ‼ だめえええ‼」

 ミチミチミチミチ。

 体が激しい痙攣に包まれていた。お尻に力を入れて腰が浮いていた。

 ミチミチと音が響いて、彼女は目を丸くしていた。

 呼吸が止まっていた。体中が脳の命令を遂行できなくなる。目を開けていられず、痙攣が治まらず、本能と生理現象が体を支配して離さない。

 ぼくのお尻が彼女の体重と一緒にベッドへ深く沈み込む。

 ぼくだけが異常な息の荒さに包まれて、痙攣は何時までもおさまらなかった。呼吸まで止まってしまって、自分の意思でそれを制御できない。

 止まっていた息が戻って来て、過呼吸が止まらない。

 彼女は血を流していた。

「……ダメって言ったのに」

 彼女の目が優しくなってゆく。唇の感触。子猫が鼻を寄せるみたいに。

 彼女は不思議そうな顔をしていた。【依存して】を発動して精神的な安定と彼女の負担の軽減を試みる。

 血は赤白く濁っていた。

「メイリア……それはダメって、言った」

 彼女がまたぼくの手を掴んで押し倒してきた。

「あのっあのっ」

 ごろりと回って、今度はぼくが上に。開いた股と犬のようなポーズ。ずらされた布地からは……。掴まれて、ここだと誘導されて。こんなの耐えられるわけが無い。

 入ってすぐに鐘が鳴り、時間が来てしまったことに絶望した。

 身なりを整えて、彼女の身なりを整える。彼女は力を込めていて妙な動作をしていた。

「……痛い?」

 そう言うと彼女は首を振って、きょろきょろと辺りを見渡し、飾りで置いてあったワインのボトルから栓を抜くと押さえていた。

「えっ……」

 そして服装を正しお風呂場でニーソックスかな。多分ニーソックスを脱いで石鹸で足の汚れを洗い落とす。

「そこも洗った方が」

 そう告げると彼女は首を振って拒否してきた。

「大丈夫なの?」

 そう言うと彼女は照れるように笑みを浮かべた。今の台詞の何処に照れる様子があるのか不思議に考えてしまう。

 ぼくも下半身だけ石鹸で洗って身なりを整えた。二人で会場へ。

 部屋を出る前に、彼女を柔らかく抱きしめた。軽いキスで済ませようと……結局結構キスしてしまった。とにかく体を労わってほしい。

 部屋を出ようとすると彼女が指を鳴らした。

 彼女が指を鳴らすと、ベッドの様相が整い、汚れが彼女の手の中へ納まって行く。

 知らない魔術だ。そんな魔術あるんだと感心してしまった。


 会場ではメイリアの姿勢がやけに良くて無理しているのがわかる。言葉では冷静を保ち、なんとか冷静を装っているけれど、ぼくの頭はメイリアの事でいっぱいだった。

 早く終らせたい。早く終ってほしいと会場では何も手がつかなかった。隣のメイリアを気遣いながら飲み物を飲んだり食べ物を軽く摘まんだりした。

 メイリアは周りから見ても綺麗なのか、男性から声をかけられ、ダンスに誘われていたけれど、言葉が喋れない事、ぼくのお世話係である事、現在少し体調が悪いことを伝えると、挨拶程度に済ませる人が多かった。

 そしてなぜかぼくもダンスに誘われる事が多かった。どこのご令嬢ですか。男装でも麗しいですね。とか意味不明な事を言われた。

「申し訳ありません。私は第六王子、男です」

 そう告げると苦笑いを浮かべたり後ずさりをしたり去って行った。

 ぼくが兄に比べてちんちくりんなのは確かだ。でも女性と間違えられるほどだろうか、兄と違って地味顔だ。髪を伸ばしているせいかもしれない。でも王族は髪を切ってはいけない仕来りになっている。切れるとしても前髪だけだ。後ろ髪の一部を先祖髪として生涯切らない。ぼくも例に漏れない。

 メイリアの姉と父が来て、談笑した。

「本当に、化粧を使っていないのね」

「羨ましい……」

 姉たちは現在のメイリアが化粧の類を一切使用していないのが心の底から羨ましそうだった。整っているのはメイリアのDNAの本来のポテンシャルを100%引き出しているからだと考察する。ぼくにとっては見慣れた顔でも彼女達にとっては神秘のようだ。【補修】と【再生】によって彼女の体がギリギリまで正常に矯正されているからだと考える。

 血縁関係にある姉たちのポテンシャルも100%引き出せればメイリアと同じになるだろうから、嫉妬しなくてもいいのに。

「お二人も十二分お美しいです。比べるまでもなく唯一無二です」

 そう告げながら姉二人の手を取って唇を添えると、姉二人は嬉しそうにしてくれメイリアの目も笑っていたが、その笑みが張り付いているような感じがしてなぜだか悪寒がした。

 メイリアの父親の名前が思い出せない。ほんとにごめんなさいチチ様。

「娘を大切にして頂き、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。メイリアがいてくれたから、今の私がいます。心から感謝しております」

「少し風に当たりませんかな?」

 そう言われてメイリアのチチ様とバルコニーへ出た。

 バルコニーにも人はいて、全然人がいないと言うわけではなかったけれど、談笑の渦で人の話しを盗み聞きできるような場所でもなかった。

「実は、あの子の母親は上の二人の母親とは違いましてね。上の二人の母親は正妻、メイリアの母親は側室なのです」

「そうなのですね」

 いや、そう言われてもそうなのですねとしか言えない。

「正直言うと上の姉たちと私に血の繋がりはありません。私が愛したのはメイリアの母親のみなのです。だから、あぁしてメイリアが幸せそうにする姿を見て、私はとても嬉しいですし、貴方に感謝の念を抱かずにはいられない。ありがとう」

 重い。重すぎる。つまり上の姉たちは正妻が浮気して作った娘と言う事になる。違うのかもしれない。元々契約上の結婚でありお互い好きな人は別にいた。こうなのかな。

「これからも娘の事をよろしくお願いします」

「……確実にはい……とは言えません。私の身分では。ですが私にできる限りの事はいたします」

 嘘じゃない。命ぐらいなら賭けてもいいし欠けてもいい。嘘偽りはない。

 そしてごめんなさいチチ様。貴方の大切な娘さんの純潔を奪ってしまってすみません。ほんとすみません。セクハラおじさんでほんと申し訳ありません。娘さんに欲情ばかりしていてほんとすみません。今、あの人のお腹の中にぼくの体液があるのが本当に申し訳なく。

 本当に申し訳なくて血の気が引いてきた。

 本当って言う人は大抵本当じゃないって話し。ぼくは最低だ。

 席に戻るとメイリアが第一王子、兄にダンスを誘われていた。

 兄はイケメンだ。ぼくより背も体格もいい。顔もぼくと比べて美麗だ。彼女が、メイリアが嬉しそうだったら嫌だな……。ただ彼女の表情は苦笑いだった。

 その苦笑いのメイリアとは対照的に、兄の目は優しそうに微笑んでいて、それが作りモノのようには見えなかった。

「兄上」

 そう呼ぶと、兄はぼくに振りかえり、メイリアはほっとしたような表情して、瞬きを二回するとメイリアは笑った。

「ここにいたんだね」

「改めてご挨拶申し上げます。王太子ご就任のほど、大変喜ばしく思います」

「ありがとう。弟よ」

「身に余る光栄にございます」

「大きくなったね。今まで構ってあげられなくて、申し訳なく思っているよ」

「幼い頃は悪戯が過ぎたゆえ、致し方ない判断かと思われます。お気遣いを頂き、光栄至極にございます」

「その悪戯も、母や父に相手をされなかったゆえの寂しさからだろう? 俺も相手をすることができなかった」

 兄に頭を撫でられるが、その手には魔力がこもっていた。だから攻撃するなよー。魔力を体の内側に展開してガードする。ガードしなければどうなっているかっておそらく嘔吐している。

「ありがたき幸せにございます。メイリア。兄上にご挨拶しなさい」

 メイリアはぼくにそう言われ、改めて兄の前でスカートを摘まみお辞儀した。

「こちらはメイリア。カインツロウ侯爵家のご令嬢にございます。離れにて共に暮らしている者にございます」

「侯爵家の……そうなのか。もう婚約はなされているのですか?」

 兄上がメイリアの手を取り、メイリアは笑顔を向けた。

「申し訳ありません兄上。メイリアは言葉が話せないのでございます。私が至らぬ故」

「王家の楔……王家の楔か。なるほど。弟が随分と世話になった。カインツロウ侯爵家には恩賞を与えよう。もちろん君にも。そうだ。ぼくの側室になると言うのはどうだろうか?」

 息が止まった。本当に止まった。時間が止まったような気がした。景色が曲がるような錯覚に囚われる。

「……兄上。そのような話を、ここで簡単に決めてはいけません」

「そうか、そうだな。ならばまず一曲踊ってはくれまいか?」

 メイリアの目は全く笑っていなかった。えっすごっメイリアのこんな冷たい血の気の引いた表情をはじめてみた。それでも冷静さを保とうと笑顔を作っている。ごめんね。ごめんね。助けてあげられない。同時に嬉しかった。不安が払しょくされたような気がした。メイリアは兄に一目惚れなどしていない。それが安堵となって身に染みる。側室の言葉を思い出して鈍い幻痛もした。美麗な音楽が今は目障りな雑音に聞こえる。

 なんだかメイリアの体の表面に薄い膜が見える。

 えっすごっ。メイリア……【ドッペル】を纏っていた。

「さぁ」

 王族に誘われて、第一王子に誘われてメイリアが断るのは難しい。と言うより無理だ。断らないで受けないとダメだと頷きたいけれど、それすら不敬になる。

 手を取った王子に連れられて、メイリアはダンスを踊りに連れていかれた。

 何もできない。何もできなかった。血の気が引いた。縮み上がっている。何も考えられず茫然とした。

「あら王子様」

 気が付いたら人気のない中庭を囲む通路にある長椅子に座り第一王女を膝枕して頭を撫でていた。

「……ごめんなさいね。ほら、わたくしって隣国に嫁ぐことがきまっているの。だから殿方に甘えるわけにはいなくて。本当はとても不安なの。兄弟は甘えさせてくれないし、母親に今更甘えるわけにも……」

「あっ……いえ、大丈夫です。姉上」

 落ち着けと自分を落ち着かせる。どうしようもない憤りがあった。【依存して】を発動して自分を落ち着かせる。冷静になって姉上の頭を撫でる。

「やはり不安ですか?」

「……そうね。だって絵でしか見たことない人の所に嫁ぐのよ? そういえば、貴方に婚約者はいるのかしら」

「いえ、ぼくは一度、あっいえ、私は一度破断になっていますので」

 一度どころじゃなかった。二度だった。三度だったかもしれない。四度だったっけ。

「子供の頃の貴方はワンパクだったという話しだものね。貴方に破断を申し上げたご令嬢、今日会場にいらしていたのよ」

「そうなのですね」

「……なんだか、貴方の傍にいると、とても落ち着くの。なぜかしら。ふふふっぼくでいいわよ。頑張っていたのね」

 なんだか姉さんが不憫になってきた。

【シストラム】を発動し、解析、展開された項目に【依存して】を継続的に発動する効果を付属する。エネルギーは等価だから持続時間を伸ばすために効果は控えめに。

 出来上がった【シストラム改】を、姉を解析して開いた記憶欄に一文として添える。

「姉さん」

「なぁに」

「もっと早く姉さんと会っていたら、もっと仲良くなれたかな」

「そうねぇ。でも難しかったと思うわ。姉さんも絶対にいい人ではなかったから。多分貴方と仲良くなっても保身のために裏切ったり突き落としたりしていたと思うわ」

 そうしなければ、自分はおろか周りの人間すら罰せられてしまうだろうから納得はできる。ぼくにはそんな難しい政治界隈の身の振り方は出来そうもない。

「そっか。姉さん【シストラム】って魔術で発動してみて?」

「えぇ? なぜ?」

「発動してみて」

「何の魔術か教えてくれたら発動するわ」

「可愛い動物を召喚する魔術なの」

「そうなの?」

 姉は半信半疑なのか、体を起こさず、片手間に魔術を発動していた。ちょっとだらしない姉さんなのかもしれない。

 無詠唱。姉が無詠唱で魔術を発動できることを察する。脳内で同じ文言を言っているわけなので無詠唱かと言えばそういうわけでもないけれど。

 現れた黒猫に姉は目を丸くし、起き上がると近づき抱えると抱きしめた。

「まぁかわいい。いい子ね。貴方、魔術が使えたのね」

「……作ることはできるってだけです」

「ふふふっ。内緒にしといてあげるわ。こんないい子を貰えるなんて。お姉ちゃんは幸せよ」

 なぜだか、姉とは気が合う気がした。

 猫を撫でながら、姉がまた寄りかかって来て、ため息を付くように顔を肩に乗せて来て、恋人と言うよりも、やっぱり姉弟と言う気がした。それにしても姉さん色々大きい。

 通路の向こうでキョロキョロしているメイリアを見つけた。縮んだ股間が痛い。それは別に逆立ったからというわけではなく、疲労したみたいに痛かった。

「姉さん。ぼくはそろそろ行くよ」

「最後の思い出に抱いてはくれないの?」

「姉さん。ぼく達は姉弟でしょ」

「あらあら? 抱きしめるのに、姉弟は関係あるのかしら? ふふふっ。おませさんなんだから……それに姉弟と言う前に、男女でしょ。ふふふっ。貴方の事、気に入っちゃったわ」

 この世界に近親相姦は禁忌という話しは無いらしい。まぁ王族なんて血の濃さが求められるから余計にね。髪を見ればわかるけれど。

 通路の向こうのメイリアと目がって、メイリアの表情がパッと笑顔になった後、隣の女性を見てスッと素面になった。

 目の前まで来ると、メイリアは姉の前で一礼する。

「姉さん。こちら、ぼくの世話をしてくれているメイリア」

 姉は体を起こしてメイリアを見た。メイリアの前まで歩き、足から頭の先までを品定めするように眺めていた。本当に舐めているみたいだ。

「そうのね。綺麗な子ね」

 姉はそう言ってメイリアの頭を撫でていた。

「太陽みたいで羨ましいわ。弟の事、ありがとうね」

 メイリアはもう一度頭を下げて、じっとぼくを見た。あっごめんね。一緒に行かないとダメだよね。言葉が無くともメイリアの事はなんとなくわかってしまう自分がいた。完璧にわかっているとはさすがに無い。

「姉さんはもう少しここにいるわね」

 手を振って姉とは別れる。なぜだか姉とはこれからも関わりが続きそうな予感がした。

 人気のいない場所――王城にあるペットシアターに行く。兄の見える位置にメイリアを置くのは不安だ。

 ペットシアターは城に献上された動物などが管理されている場所だ。さすがに無人というわけではなく、飼育員や見張りの衛兵などはいた。

 メイリアが手を繋いで来て、握り返すと思ったより強く手を握られてびっくりした。メイリアを見ると彼女は威嚇する犬のような顔でぼくを睨んでいた。

 この野郎って顔だ。ダンスから守れなくて申し訳ないよ。

 纏っていた【ドッペル】が解かれていることに気が付いた。そんなメイリアが可愛くて握った手を口元に持っていき口づけする。鼓動が高まって、それはメイリアも一緒のようだった。思えばメイリアの体でぼくが知らないのは体内ぐらいなものだ。メイリアにとってもそうだろう。混ざっていない部分がもはや内蔵ぐらいしか存在しない。汗も体液も唾液も全て交換済み。お互い舐めてない場所が肛門ぐらいしかない。

 もはや自分の半身と言っても過言じゃないかもしれない。

 高鳴る鼓動が心地良くて、身を任せて動物を見て回った。

 でもデートで動物園には来るべきじゃないとも体感する。

 まず匂いが独特だったからだ。雰囲気もぶち壊しだ。次にたまに交尾している個体がいてかなり気まずい。メイリアは嬉しそうだったけど。

 中庭のバラとペットシアターにいた蛇を連想して、【スペルスネークソーンバインド】という拘束魔術を作った。

 動物を見終わったら部屋に帰った。【クレアボヤンス】を発動しても別に見張りや何かがいるわけでもなかった。

 僅かに聞こえる音楽を聴きながら、部屋の中で踊った。密着して、見つめ合って、ゆっくりと踊った。メイリアが体を強く密着してきて、心の底から嬉しかった。

「あのね。今まで言わなかったけど……」

 不思議そうな顔をするメイリアは太陽みたいで温かった。

「……そのっ好き、です。ぼくじゃダメかもしれないけど」

 もう後には戻れない。責任がとれないじゃすまないところまで来ている。それに兄にとられるのは嫌だ。

 恥ずかしいのとフラれても自分を守るために変な言葉を付け足してしまった。男らしくない。ぼくは。

「違う。好きだ」

 メイリアは噴き出して笑っていた。そして何度かキスされた。

「チュッチュッ」

 二回音がして口づけされる。柔らかいメイリアの唇が心地良くて、蕩けるようになってしまう。鼻をすするような仕草をしてしまった。別に鼻水が出ているわけじゃないのに。

 それからぼくらはベッドで、ゆっくりと睦み合った。

 正直言うと、彼女がずらして栓を抜き、垂れて来たところで理性が吹っ飛んだ。

 獣みたいに睦み合った。お互い発情期の犬と言うよりは、散歩時の犬のように口を開けて過呼吸でそれを止められなかった。

 愛している。好き。ずっと一緒にいて。浮気しないで。一生愛して。

 しょうもない台詞ばかりを言った。

 自分に自信が無いのかもしれない。

 唇が離れるのが許せなかった。離れると求めた。

 気絶するように眠りについて、朝起きたら彼女はぼくの上で寝ていて、動いたら入っているのに気が付いて、布団をめくったら、ムワリと生々しい匂いがしてそれに興奮して朝から盛ってしまった。

 多分、彼女とぼくの匂いは全て一緒だ。

 彼女がまたワインの栓で蓋をしようとしたので、魔術【闇の蓋】を作った。タンポン状の先端が水分を吸収する闇を生成する魔術だ。

 ぼくはタンポンについて映像での記憶はもっていた。もしかして前世は女性だったのかもしれない。

【依存して】があるから生理痛については問題なかったので失念していた。これがあれば生理に対応もできるだろう。

 しかし彼女に【闇の蓋】を与えても彼女は使用しなかった。

 ただの【闇】を生成して蓋をしていた。

 下腹を撫でる彼女が幸せそうな表情をしていて、あぁ、ぼくの体液を撫でているのだとなってぼくってすごく気持ち悪い。

 一緒にお風呂に入る間も、くっついていた。メイリアが傍にいるのがとにかく嬉しかった。何度も頬にキスをして、体に触れて、耳にキスをして、裏を舐めて、泡立てた石鹸で体を洗い合う。

「……気持ちいい」

 思わず口走ってしまって。

 彼女が蓋を取ってまた泡の中で交わってしまった。

 浴槽にお湯を貯めて一緒に浸かり、また交わってしまった。もうサルどころじゃなかった。回復魔術が使えるだけにとめどなかった。

 愛されている。求められると心が蕩けそうだった。

 幸せにできないかもしれないけれど、良いか言おうと喉から出かかった言葉を飲み込む。

 貧乏でもいいか聞こうとするその言葉を飲み込んだ。

 それを彼女に同意させるのは卑怯だ。

 もし結ばれると言うのなら、命を削ってでも彼女を幸せにしなければいけないし、そうじゃなきゃダメだ。

 お風呂から上がって準備を終える。

 彼女が指を鳴らすとやっぱりベッドは綺麗になって、汚れが彼女の手の中へ納まった。そしてもう一度指を鳴らすと汚れは消える――何処へ消えたのか解析しても項目は出てこなかった。不思議な魔術だ。

 軽い朝食を取るために部屋から出て、階段を下りているところで兄と会った。

「一緒に朝食を食べないか?」

 そう言われてため息が漏れそうになるのを押し殺した。悪い予感もした。拒否できないことは兄が一番わかっているだろうから。

 メイリアはもうドレスを着てはいない。いつものメイド服を着ていた。

「わかりました。ご一緒します兄上。メイリア、部屋に戻っていて」

「いや、いい。彼女も一緒でいいじゃないか」

「ですが彼女は……」

「かまわない。誰か? 彼女にドレスを着せてあげてくれ」

 そう言われて拒否できないことが、心臓に響いて痛かった。

 どうやら兄は、本気でメイリアに惚れてしまったようだ。

 使用人を使って呼び出さず、自分の足で来たことからそれがわかった。

 ふざけるなよ。俺の女だ。俺のただ一人愛する女だと、なぜかそう強く脳裏を過り、ぼくは、おれ、ぼくは、どっちなのか少し眩暈がした。

 自分の女を取られることほどイラつく事は無い――ぼく、誰なんだ。こんな時なのに、自分が別れてしまうような感覚に囚われて気持ち悪かった。

 ストレスかもしれない。ぼくはストレスをため込む方だ。ため込んだストレスが爆発すると俺になってしまうのかもしれない。

 正直メイリアには五十になってもぼくの子種で腹を満たして欲しかった。

 六十になっても行為の後で下腹をさすってほしいとすら考える。

 実際そんな年になったのなら、メイリアにとっては負担にしかならないのに、そんな気持ち悪い事を考えてしまう自分。絶対にこんな気持ちは他人には言えない。

 メイリアの事、何も考えていない。

 メイリアが望むなら、側室でも構わない。

 少なくともぼくといるよりは、幸せなのかもしれない。

 自分の独占欲が強いのを実感した。

 メイリアが望む通りにするのがぼくの出来ることだ。

 それはひどく苦しくて、あの女は俺のものだと心の内から湧き上がるどす黒い感情をいい子いい子と宥めている。

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