第21話 メナート・ベルナルド。
僕にはアニエス嬢の事はそこまで良く分かりませんが、アレは。
『アレは完全に不安になっていそうだけれど』
《あぁ、俺もそう思う》
苛立ち、怒りを滲ませて。
らしくないですね。
『アーチュウ』
《俺は、そんなに信用が無いんだろうか》
『アーチュウ、それとコレとは別だと思いますよ、彼女は下世話な事についてもそれなりに詳しい。男の弱さ、女の狡賢さを理解しているからこそ、葛藤しているんだと思いますよ』
《下世話な事》
『ルージュとジハールご子息の件で、ですよ』
《あぁ》
『そんなに溜まって苛立つ位なら誰かで発散なさった方が宜しいですよ、練習にでも』
《メナート》
『ほら、冷静では無いからこそ落ち着いて下さいと言っているんです、それこそ信用問題だけで済まないのが色恋沙汰。友情や仲間意識とは違う複雑さが有るんですし、それにアナタもアナタでアニエス嬢を信用なさっていないじゃないですか、本当に体調が悪くて去っただけかも知れないと言うのに』
《すまない》
『いえ』
《はぁ》
『どうやら本当にウブだそうですし、だからこ、ですから睨まないで下さい。アナタがこうして激情に駆られている、なら情欲に駆られるかも知れないと不安でらっしゃるのかも知れない、下世話な事について話した際に抱いた感想です。良いですか、子女は身を守る為に男は獣だと教え込まれているんです、その延長線上でアナタをも情欲に弱いのかも知れないと思っていても、仕方が無いとは思えませんか』
《あぁ、だが、どうすれば》
『騎士爵だからこそ、近衛だからこそ状況を利用する気で居て下さい。少なくともアニエス嬢は少しは気を向けているからこそ、今回の件で困惑している可能性が高いんですから』
《だが、俺自身の問題も》
『僕の事を波及させてすみませんでした、確かにシャルロット様に付き纏っていますけど、未だに単なる執着なのか好意なのかは定かでは無いんです。それこそ振り向かれた瞬間、熱が冷めるかも知れませんが、冷めないかも知れない。その結果は相手を傷付ける可能性は十分に有りますけど、僕はそこも含めて受け入れて欲しいと思っています』
《我儘だな》
『はい、僕もそう思います。でも抑えられないんです、邪険にされる事すら嬉しい、構って欲しくて堪らない。それに、出来れば自身でも冷めたくはないとは思っていますが、冷める時は冷めるんですよ。急に、気持ちが冷たくなり、夢から醒めたる様に目が覚めてしまう。きっと、アニエス嬢もそうした恋の相談も含めてされてらっしゃるからこそ、悩まれているのかも知れませんよ』
《どうして、冷めるのか》
『自分が相手を得たと確信出来た時だと思います、思い返せば、ですけれどね。好きになりたくて好きになる事は有っても、冷めたくて冷める方は殆どいらっしゃらないかと』
《そんなに経験が有るのか》
『まぁ、アナタよりは有りますよ、清廉潔白な騎士になりたいとも思っていませんでしたから』
経験が有っても大して良い事は無いだろう、とは思っていたんですが、こうした事がアーチュウの役に立てる事は嬉しい。
ですが、経験してしまった事で、得られない事も出来てしまった。
多分、シャルロット様を得られる事は無いでしょうね。
全く、勝ち筋が見えませんから。
それこそ何かが起こらない限り。
《メナート、俺は愚か者だ》
『どうして急にそうなるんでしょうか』
《楽な、容易い女だったらと》
『なら僕が頂くだけですけど、それはそれで。睨むなら言わないで下さい、アナタの露払いだってこなしてるんですから。それより良い案が浮かびましたよ、かなりの愚策ですが、もしかすればあの方が気に入るかも知れません』
《それは、一体》
『僕とシャルロット嬢の事です、先ずはあの方に相談してからにしますね、アナタに教えますね』
《どうして言わない》
『僕の事よりアニエス嬢の事を考えて差し上げて下さい、では』
アニエス様は真っ青になって帰って来られ、そのまま部屋に籠ってしまわれた。
私、どうすれば。
《あの、メアリーさん、私に、何か出来る事は無いのでしょうか》
『ルージュさん、体調が悪いか機嫌が悪いか、若しくは何か思い付いた時にこうなるので。正直、私達も困っているの、こう、あまり構われるのも嫌でしょう?』
《確かに、1人になりたいと思った事は少し有りますけれど。あの、私が尋ねるのは》
『尋ねてみる位なら、多分。あ、机に向かってらっしゃったら何か思い付いて書き留めてらっしゃる時だから、その時は直ぐにお部屋を出てあげて頂戴ね』
《はい、分かりましたわ》
『取り敢えず、お菓子とハーブティーを差し入れてみましょう』
アニエス様は溜め込み、我慢なさってしまう。
ミラ様にも言われ、私もお茶会での事で十分に理解したのですけれど。
未だに、どう、接する事がアニエス様にとって1番なのか。
《失礼致します》
あ、お布団に籠ってらっしゃいますわ。
体調が宜しくないのでしたら。
「あ、ルージュさん、丁度良かった」
《はい?》
「この本、読んで下さっても良いですかね?」
《本?本を読んでらっしゃいましたの?》
「はい、嫌な事が有ったら本を読めば楽になるので」
あぁ、確かに良く読んでらっしゃいましたけれど。
《何が嫌だったんですの?》
「こう、可能性について、ですね」
《可能性》
「その、大変心苦しいのですが、メナート様についてどう思われてらっしゃるのかお聞きしたいのですが」
《尊敬出来る優しお兄様、と思っていたのですけれど。こう、私の知らないお兄様の面も有るのだと、改めて思い知らされ》
メナートお兄様も、アーチュウお兄様も男性でらっしゃる。
いつかはご結婚なさって、家族を作り、私も私で結婚し子を成す。
分かっていたのですけれど、お兄様達はそんな事はしない、清いままの筈だと。
かくあるべきだ、と理想を押し付けてしまっていました、そんな事は寧ろ貴族としては不適格で有ると知っていたにも関わらず。
私は、理想を優先させてしまいました。
「私は、その次の段階の事で悩んでいるとも言えまして。こう、浮気なさる方って、男女共にいらっしゃるのです。体だけ、心だけ、又はその両方。偶々その時だけ、逆に一時の筈が心を奪われ続けたまま、様々な相談を耳にしてしまい。それは稀な事、本には素敵な恋がいっぱいよと、お母様に言って頂いてもいるのですが」
《それで、読んでらっしゃったのですね》
「私の中でそうして良い事でいっぱいにして、稀な事、全ての男性がそうでは無いと思おうと。ですけれど、信じているのに、不安に思ってしまって」
《私に、その悪しき見本を教えて下さいませんか?》
「ですけど」
《お兄様達に当て嵌まるかどうかは勿論、私も知りたいんです、本当の男性について》
「結構、私でも嫌になる事も含んでしまいますよ?」
《だからこそです、もしかすれば私が見ていたお兄様達こそ偽者かも知れない、逆にとても良いお兄様だと思うかも知れないですし。いつか、いずれ知る事でしたら、今のウチに知りたいのですけれど、ダメでしょうか?》
「全ての男性がこうではない、そうきちんと理解して聞いて下さいね?」
《はい、勿論ですわ》
ですけれど、どうしてアニエス様が念を押したのか、聞いて真に理解いたしました。
『あぁ、それは不安に思われても仕方無いかと』
《全く、どうして贈り物でどうにかしようなどと、誤魔化そうにも限度が有りますわ》
『そうですね、捥げて死ねば良いと私も思います』
《シャルロット様も、何か嫌な思いを?》
元は誤解と言えど、私はアナタが大好きでらっしゃるメナートが大嫌いだ、等と言える筈も無く。
『少し、ですね、知り合いに非常に淫奔な者がおりまして。幸いにも病気は無いそうですが、正直、嫌悪しか有りません』
《まぁ、そんな方が、本当にいらっしゃいますのね》
『はい、しかも端から見ればそうは思えない者が。ですので、だからこそ私の憧れはベルナルド様、本当に清廉潔白な方ですから』
《私もお兄様を信じてはおりますけれど、その、男性は経験が無い、と偽れるのでしょう?》
『残念ながらそれは女性もなのです、私の様に激しく動く者は、時に何もせずとも失ってしまいますので。入隊時に検査をし、異変が有れば報告する決まりとなっているのです、私自身を守る為に』
《まぁ、そんなに大変でらっしゃるのに、どうして女騎士になられたのですか?》
『守りたいと思ったから、ですね』
その発端すらも、実は誤解だった。
けれども騎士を辞める事は考えにも無い、それこそ事が起きる前からベルナルド様が目標だったからこそ、今でも女性として役に立ち続けたいと思っている。
《私も、アニエス様を、家族を守りたいのですけれど》
『私は少し他とは違う守り方ですが、分かります、身近な者を守りたいと思いこの道に進みましたから』
以前はミラ様、そして今は侍女兼護衛としてアニエス様のお傍に。
守りたい、女性を、女性として。
《ですけれど、どうすれば》
『敵を攻めるには先ずは情報収集ですが、私とルージュ嬢の情報の限りでは、ベルナルド様は潔白です』
《それはアニエス様も知ってらっしゃいますが、それでも不安を抱いてらっしゃいますし》
『その新たな要素、クラルティ嬢について私達もアニエス様も知りません、そこを知るべきかと』
《確かに、そうですわね》
『ですので私が情報収集に参ろうかと』
《お願い致しますわ、ありがとうございますシャルロット様》
ルージュ嬢は劇的に変わられた。
アニエス様の優しさ、貴族と庶民の良い所を集められた様な柔軟性、私が男性だったとしても求婚していただろう。
真面目でお優しいアニエス様に、清廉潔白なベルナルド様。
私にも、真面目で清廉潔白な婚約者が居る。
だからこそなのか、この違和感は一体、何なのだろう。
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