昔話

木春

昔話

 寧楽ならの都が紅い光に包まれている。その都の奥の方にある大きな屋敷とさらに大きな宮殿の間、一本の桜の木の下に少年が一人、少女が一人。

「どうだったかな」

「何がです?」

 少年は俯き恥ずかしがりながら、少女はその少年を優しく見つめながら、こっそり話し込んでいた。

「今日のあれだよ………ほら」

「あぁ、舞のことですの?」

「そう!上手くできてたかな……」

「それはもう。素晴らしかったですわ。まるで光を纏っているみたいで」

 少女はその瞬間を思い出したのか、目を柔らかく細めて笑む。今日この屋敷では新たに建物を改築するとか増築するとかで、それに合わせて宴会が行われていた。そこで少年は舞を披露することとなり、それを少女は見ていたということらしい。少年はそんな少女を見て安心したように微笑む。

「良かった…。たくさん練習したんだ!その、媛も見ると思って」

「とっても伝わって来ましたわ。父上も大層御喜びになられてましたし」

「君は?」

「とっても素敵でした。見直しましたわ〜」

「そうか!」

 少年は満足げな表情を浮かべると、やっぱり照れ臭くなったのか頭を掻いて少女から目線を逸らした。

「それはそうと、まだここに居ても大丈夫なんですの?もう戻られた方がいいんじゃ」

「少しくらい大丈夫だと思っているんだけど………。どうせ隣だし」

「まぁ隣ですわね」

「あっ。でも君の兄は少々厳しすぎると思うんだ。“狩りばっかりしてないで学問もしろ“って」

「立派な天皇おおきみになるには必要なことでは?」

「うっ。でも武芸だって大切だろう?」

「"皇子様みこさまにとって"は、大事ですわね」

 少年と少女が仲良く話しているうちに日は落ち、二人の気付かぬ合間に宵闇が彼らの周りを切り取っていった。二人の間で交わされる言の葉もだんだんと減り、淋しげな風に揺れる葉の音が流れて行く。

「………また、きっと、必ず来るから、君も早く来てほしいな」

「えぇ、もちろん」

「それじゃあ、また」

「もう暗いから、お気をつけて」

「うん。じゃあね」




 〜それからしばらく後〜

 寧楽の都が紅い光に包まれている。娘は何気なく桜の木を見ていた。以前とは打って変わってそこには垣根ができ、隣の屋敷とは明確な境が生まれている。だんだんと暗くなっていく中でその娘は見ていてもしょうがないと屋敷の中へ戻ろうとしているようだった。

「媛!」

「皇子様?」

 後ろから小さくともはっきり聞こえる声で呼ばれた娘は振り返り、桜を見た。垣と桜の間から息を潜めながら手を振る青年が一人。娘は垣へと近付いてその青年と目を合わせた。

「聞いてくれ。今日、佐為に会った!僕の教育係になるらしい」

「佐為………あぁ!葛城の兄様の!」

「そう!葛城の弟の、つまり君の兄だろう?」

 娘が近付くなりその手を握ってよほど嬉しそうに喋る青年を娘は相変わらず優しい眼差しで見つめていた。青年が嬉しそうに話す理由は、どうやらなかなか会えない娘の兄に会ったかららしい。

「えぇ、えぇ。そうですわ。母上が佐為の兄様はとても物知りで、風流なお方で、大層歌もお上手なお方だと言っていたような覚えがあります」

「じゃあそういうことなんだろうな………。君の兄は怖い。いや佐為の方でなく武智麻呂の方だけど。僕を本気で東宮から出さないようにするつもりらしい………」

 急にしょんぼりしだした青年は娘の手をさすりながら俯いた。

「しっかり座学もなされば、きっと狩もたまには許してくださいますわ」

「たまには?」

「たまには」

「うーん、許すかなぁ」

「お疑いですの?じゃあ………」

「えっあ、なに」

 娘は青年の耳にそっと手を翳す。青年はくすぐったそうに顔を赤くした。

「きっとそうでなければこんなことできてませんわ」

「…………もしかしてバレてる?」

「もう、ほんと変なところが抜けているのは変わってないんですのね」

「うそー!」

 青年の赤い顔は忽ち青くなり、青くなったかと思うと今度は唸りながらまた赤くなった。娘はそんな青年の肩を笑いを堪えながら叩いて

「ほんとです」

 と至極真面目そうな顔で言う。耳まで赤くなった彼を見て娘はつい笑い出した。そんな彼女を見て青年も笑いだす。見え見えな照れを隠そうとしながらも調子を取り戻したのだろうか、ため息の後に続く言葉は穏やかな口調に戻っていた。

「そうか………。でも、じゃあ、息抜きすることは許してくれてるんだね」

「ああ見えて意外とちゃんと気を使える兄上ですのよ?」

「そっか。うん。じゃあこれくらいにして今日はもう戻るよ」

「それがいいですわ。長く居すぎるのは兄上も許さないと思いますし」

「また、来る」

「はい」

 青年はすっかり暗くなった庭の中へ帰っていき、娘はしばらくそこで蹲っていた。




 〜それから何十年後〜

「という感じで、毎日のように隣の不比等父上の屋敷と東宮との境目にこっそり会いに来るものだからそれはもう可愛くて可愛くて」

「まぁ!父帝様おとうさまにもそんな時代があったなんて意外」

 寧楽の都が紅い光に包まれている。その温かい光と同じくらい明るい娘とその母の声に誘われて帝はここに来た。来た、が、現状一番赤くなっているのはその帝だ。

「ちょっ、媛、あんまりそんな昔のことを語らなくとも」

「良いじゃありませんか。減るものじゃありませんし」

「むしろ美味しいですし」

「美味しいってどういう意味なんだ阿倍」

「それはそうと、母后様おかあさま、私、舞の話を聞きたかったんですけれど」

「あっ、ごめんなさいね!丁度いいわ、ここに居るならあなたからお話になって?あなたの方が詳しいでしょうし」

「そうですわ!さ、父帝様、詳しくお話になって?」

「良いけれど」

「良いんですのね!では早速どんな気持ちで母后様のところに夜這ってたのか詳しく……」

「夜這ってないよ!というかそっちの話なのか?阿倍?!」

「まぁ!私も聞きたいですわ」

「君まで乗らないで!」

 こうして天平の豪華で厄介でネタに尽きない面白い家族の夕暮れは過ぎていった。

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昔話 木春 @tsubakinohana12

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