日々の試み
芳岡 海
日記ではないエッセイ
エッセイというものは日本と欧米ではだいぶ違うものを指すという。
エッセイの語源は、フランス語の「エセー」であり、モンテーニュの著書「随想録」が始まりとされている。
その後アメリカで発展した「エッセイ」は現在では学校でも書き方を習うもので「論文」に近いものらしい。
松浦弥太郎さんは「日々の100」にて
「随筆とは、本当にあった出来事の見聞や感想を自由に描いたもの。エッセイとは、出来事の描写ではなく、書き手のパーソナルな心の様子を描いたもの、告白的なもの」
と書かれている。
日本に残る最古の随筆は枕草子とされている。
また随筆といえば吉田兼好の徒然草、
「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば」
を思い浮かべる人も多いだろう。
つーかこの一文のせいで自分語りに大義名分ができているとこない? タイトルもしくは説明文に「つれづれ」ってあるとそれっぽいコンテンツに見えてしまう。どうしてみんな自分のきょうのできごとを人が最後まで読んでくれる前提で書けるのか。読まれなくても良いという境地で書いているのか。
フランス語「エセー(Essais)」は試みという意味である。つれづれなるものとは違ったはず。
いや、巷に溢れたエッセイに物申したいとかではないんです。そういう随筆であるエッセイもいいんです。
フィクションではなく思ったことを書きたくて、それって出来事ではないから日記やブログとは違うんだよなあ。と考えていたとき、むしろそれが本来のエッセイに近いのでは、と思ってこれを作りました。たまに出来事も混ざります。結局自分語りではあります。
これはそんなエッセイです。論文でもない、散文です。
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