【完結済】異世界に来てまで働きたくないでござる症候群

明和里苳(Mehr Licht)

第1話 目覚めたら異世界でした

 土の香りがした。


 最近疲労が溜まって、いつの間にか寝落ちしていることがよくある。ただ、さすがに土の上で寝落ちしたことはない。まさか、仕事帰りに公園で寝落ちしたとか、そんなことはない、と思いたい。


「ここはどこ。」


 目を開くと、ここが公園ではないことは一目で分かった。鬱蒼とした森の中。


 いや、プロローグなんてどうでもいいんだ。みんななぜ私が森の中に倒れていたのか、私がどんな生い立ちで、どんなブラック企業に勤めていたのか、そんなのはどうでもいいに決まってる。私もどうでもいい。




 要は、ここは、異世界じゃないのか。


 私はなんらかのきっかけで、異世界に転移したのではないか。


 ラノベ脳な私がそう推測するのは必然と言えよう。


 ならば、口に出すセリフはたった一つ。


「ステータス、オープン」




 すると視界の右下に、青く透き通るウインドウが現れた。


---


ミドリ


種族 ヒューマン

称号 異世界からの転移者

レベル 1


HP 100

MP 100

POW 10

INT 10

AGI 10

DEX 10


スキル

・鑑定 LV 1

・空間魔法 LV 1


ユニークスキル

・ネット通販楽園 LV 1


---




「イヤッホオオウ!」


 森で一人叫ぶ危ないアラサーOL。


 これよ、これこれ。森に単独転移、鑑定に空間魔法にネット通販。


 これは良い異世界転移。


 これは良い異世界転移。


 大事なことなので二回言いました。


 異世界転移の物語は大好きで、ネットで見かけたら片っ端から読んでいた。緩い監獄のようなブラックな人生から、新しい世界で生まれ変わったように生きる。素晴らしいじゃないの。




 だけど私には、それらの物語に違和感を抱くことがあった。それは、


「スローライフと書いてある話ほど、スローライフじゃない」


 ということである。


 みんな、異世界に転移した途端、現代日本の知識を駆使して、それはもう働きに働きまくるのだ。


 何故?せっかく異世界に来たのに、来る前よりも働いてどうするの?


 みんな、働きたくないよね?


 私、働きたくないでござる。


 もうお腹いっぱい。一生分働いた。


 だから、異世界転移物語を読みながら、私ならこうやって「働かずに生きる」のになぁという妄想を、働かせてきた。


 働かせてきたのである。




 特にその、「働かずに生きる」のに一番適した能力と思われるのが、「鑑定」「空間魔法」「ネット通販」の3点セットで、まさにそれが、今目の前にある。


 これは良い異世界転移。


 これは良い異世界転移でござる。


「フオオオオオー!」


 誰も見ていないのを良いことに、私は拳を握って叫んだ。




 よろしい、ならば検証だ。


 鑑定、空間魔法、ネット通販という夢の3点セットが目の前にある。使ってみるしかあるまい。


「鑑定」


 口に出して唱えると、視界に無数の小型のウインドウ現れた。視覚がうるさい。見てらんない。


 解除、と口にして、改めて一本の木を見つめてから、「鑑定」と唱える。




---


スギ


異世界のスギ


---




 うん、スギだね。見たら分かる。しかも「異世界の」って何よ。雑やな。鑑定スキルレベルが低いからなのかもしれない。


 ちなみにMPは1回使うごとに1減ったが、1分ほどで回復した。そして、一度に鑑定する対象がいくつでも消費MPは1のようだ。対象ごとにいちいちMPが消費されていたら、ブッ倒れていたかもしれない。


 次は、空間魔法だ。空間魔法は、今のところ収納スキルのみ利用できるっぽい。


「収納」


 杉に向かって唱えると、杉の木が消えた。正確に言うと、杉があった場所の土がボコっと凹んでいる。ウィンドウでインベントリを確認してみると、持ち物にスギ(1)が確認できた。ちなみにMPは1減っていた。




 最後にネット通販楽園だ。


「ネット通販」


 すると、視界の端に出ていたウィンドウが大きくなって、まるで例の巨大ネットショッピングサイトのような画面になった。画面はタッチパネル式で操作できるみたい。タブレットのように、スッスッと画面をスクロールさせてみると、滑らかに動く。


 そういえば、売買はどうすればいいんだろうか。所持金とかどうなってるんだろう。


 サインアップした覚えはないのだが、サイトには最初から「ようこそ、ミドリさん」と表示されている。所持金は約30万円になっていた。これはほぼ銀行の残高と同じくらいでは。そういえば、家賃の引き落としとか、今月の給料とかどうなるんだろう。死亡扱いになるなら、死亡保険金とか…、それは両親が受け取るか。


 いやいや、これは夢かもしれないし、現実に異世界転移だとしても、いつか帰郷するかもしれない。今考えなくていいことは考えないでおこう。




 それでは早速、今収納したスギの木が売却できるか見てみよう。売却ボタンを押すと、持ち物が表示され、スギの木もちゃんとリストに上がっていた。選択して、売却を押すと、


「スギ 売却価格3,000円 これでよろしいですか?」


 えっちょっと待って、これ結構立派なスギの木だよ?私が抱えようとしても抱えられないくらい立派な木よ?3,000円ってどういうことよ。


 ネット通販のサイトが、そのままインターネットに繋がっていたので、検索サイトからスギの木の相場を調べてみたのだが、どうやらそんなもんらしい。林業って大変なのね。わかりました、持ってても仕方ないから、売却をポチッと。


 これで所持金が3,000円増えた。非常に、心許ない。なお、ネット通販の売買ではMPは消費されないようだ。


「まあ、木はいっぱい生えてるみたいだから、ちょっとくらい売っても構わないよね」


 謎の環境破壊宣言をして、その辺の木をチョチョッと売却させていただきました。ごめんね異世界。




 大体、半径10メートルほどの範囲、木を収納して、売却してみた。


 色々試して分かったことは、鑑定同様、収納も一度にまとめて収納すると、MPが1しか消費されないこと。排出する時にはMPは消費されないこと。そして、10万円分ほど売却した時に、レベルが上がったこと。




---


ミドリ


種族 ヒューマン

称号 異世界からの転移者

レベル 2


HP 200

MP 200

POW 20

INT 20

AGI 20

DEX 20


スキル

・鑑定 LV 2

・空間魔法 LV 2


ユニークスキル

・ネット通販楽園 LV 2


---




 何これ、一気にステータス倍増しましたが。私自身の身体能力は、飛躍的に上がったのだろうか。自分ではイマイチ分からない。


 そして、この世界では、今の私が強いのか弱いのかも分からない。まず、人類が住んでいるかどうかも分からない。さっきからこの周りでは、植物と、小さな虫くらいしか見かけていないが、他の生き物はどうなんだろう。存在するのだろうか。急に心細くなってきたのだが。


 まあ、存在するか分からないもののことを心配しても仕方ない。まだこの世界で気が付いてから、数時間しか経過していない。朝食もまだだったことを思い出し、ネットスーパーで恐る恐るあんぱんと牛乳を購入してみると、インベントリにあんぱんと牛乳が出現した。取り出してみると、ごくごく一般的なあんぱんと牛乳。美味しくいただきました。


 とりあえず、この辺の木を売って行けば、1日1本も売れば生きていけるのではないか。いや、多くを望まなければ、1本で2日くらい行けるかもしれない。しばらくして、慣れてから少し移動してみて、そうしたら薬草とか魚とか鉱石とか、もうちょっと高く売れるものが採れるかも知れない。うん、まだ希望はある。何とかなりそうだ。




 ひとまず考えなければならないのは、生活拠点だ。異世界ファンタジーでは魔物が付き物だが、この辺りに獣らしき存在は感じられない。まあ、日本の都会育ちの私には分からないだけなのかも知れないが。魔物がいないのなら、テントで寝泊まりしても行けるんじゃないだろうか。水はネットスーパーで買えばいいし。


 問題は、この、木を引っこ抜きまくってボコボコになった地面だ。木を収納すると根の部分まで綺麗に収納されて、後に残された土地は、どうしても凸凹になる。


 そこで思いついたんだが、この辺の地面を一旦収納して、もう一度ここに土をブチまけたら、平らになるのではないかと。土木のことは何も分からない、理系音痴の文系OLの思い付きだが、他に方法が分からないのだから仕方ない。


「収納」


 凸凹になったエリアの土を、大体深さ2メートル分ほどイメージして収納してみた。2メートルって深いのね。自分で収納しといて自分でびっくりした。そして、そんだけ収納しても平気で収納できることと、MPの消費が1で済むことにまたびっくりした。


 インベントリを確認すると、土だけじゃなくて、いろんなものが含まれているのが分かる。土の横の『+』ボタンを押すと、木の葉とか、枝とか、腐葉土とか、小石とか、岩とかに細かく分かれている。インベントリ優秀だな。


 とにかく無数に分類されているようだが、土カテゴリの中の無印の『土』だけを穴に戻してみる。すると、穴の半分くらいまで埋まった。後の石や岩や他の土はどうしよう。腐葉土は取っておいて、畑を作ってみてもいいかも知れない。




 そうだ、いいことを思いついた。ここに、石を落としては収納して、落としては収納すれば、土が固まるのではないだろうか。道路工事でも、ローラーで道を均すじゃない。我ながらいいアイデアだ。


 石を少し高いところに排出して、土の上に落とす。見た感じ、土が踏みしめられたように固まっているようだ。何度か繰り返す。よし、これでキャンプ地完成だ。ははは、我が領地にようこそ!


 穴の中央まで降りてみて、分かった。周りよりも低いところは、水はけがダメだ。穴の周りを見ると、地層になっていて、どうも粘土質の層のところから水分がじわじわ漏れている。このままでは、遅かれ早かれこの穴に水が溜まって行くだろう。失敗だ。


 ネットスーパーで脚立を買って、穴の外に上がり、再度土を収納する。今度は、穴の中央だけにこんもりと土を盛って、そこに石を落として、土を固めた。私の領地はまるでミニチュアの古墳のようになってしまったが、仕方ない。ここにキャンプを張ろう。初心者用のテントをポチって、古墳の上に我が最初の城を構えた。

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