冬の恋物語

@ajisai_24

 涙は雪解けの味


 雪に溶け込む水が涙だと知ったのはあの時が私の髪を撫でたから。



  3月の昼下がり、由美は街を一人でに歩いていた。


茶色いダッフルコートと白いマフラーで体を包み薄く見える息を吐き出す。


コートのポケットに差した手が冷たさに痛む。


 ふと辺りを見渡せば数台の車が通るばかりで人の気配も感じない。


通りすがりに現れるレトロなカフェや八百屋、肉屋などは昔ながらのという感じ

で古臭い。 


 ショッピングモールすら出来ないこの小さな町は別段に町興しに力を入れているわけでもなく昔ながらの穏やかなこの町を大切にしています、とどこか安心しているようなそんな腑抜けた町だ。


 さびしい街にいるなと自分を俯瞰して見れば何度目かのため息を吐いていた。


 そんな景色にも慣れて、冬の終わりを目の前に、変わらず薄暗くなった世界を由美はただひたすらに歩いていく。


しばらくすると目的の場所が見えてきた。


 小さなアパートから出発して一本道を真っ直ぐ歩けば寂れた町から断絶されたように人知れず存在する小高い丘がある。


頂上に立てば大きな海が見えた。

 

 丘から少し見下ろすと黒のフェンスが海の形に沿って連なり、その奥に海岸ブロックで埋め尽くされた砂浜が控えめに見える。そして、真っ直ぐ前を向けば青白い海と遠くの霞んだ貿易船が一望できる。


そんな場所に由美は辿り着いた。密かな穴場であった。


ここに立つとなぜか決まって世の果てをイメージしてしまう。

 

 きっと何かしらの災いが降りかかった日には海岸ブロックはこの町にあふれた家や店の残骸を意味し、自分が立っている場所は最後の生き残りの島になるのではないかと想像して悲しくなる。


 ニット帽からはみ出た短い黒髪が海風に吹かれてサラサラと揺れる。


由美は手をコートのポケットに入れたままぎゅっと握る。湿った手のひらが温かいのか冷たいのか分からなかった。


昨日、初めて付き合った彼氏と別れたのだ。


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 由美は大学三年生で彼氏は一つ上のサークルの先輩だった。一緒に軽音楽サークルに入ろうと誘ってくれたのがきっかけでその時はものすごく嬉しかった。


 彼は大学内でも少し名の知れた有名人で顔もスタイルも良くて特に演奏会でエレキギターを使いこなす姿は心が震えた。


 告白は彼からだった。その時の私はつまらない大学二年間に嫌気がさしていたが軽音楽サークルにいる時だけは、憧れの彼といる時間だけは心の底から楽しいと思ったし、同時に好きという感情も抱いていた。


 そんな矢先に告白をされたのだから即答だった。しかし、心の中ではどうして私なのだろうと不安になった。


 正直、好きではあったけど直接話しかけられたり、彼を含めたグループで遊びに行くこともなかった。


だから、なおさらあの告白が変であると・・・私は思っていれば良かったのだ。


 しかし、憧れと好意が同質に膨れ上がることもある。だから、毎日のドキドキが実ったと感じた時には体を重ねていた。


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 海の上でトンビが飢えたようにか細く高い鳴き声を響かせる。

少しの間でも過去を思い出そうとすると涙が出てきてしまう。

寒さと孤独が胸を痛めつける。


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 彼と付き合って一年が経つと関係はより濃密になった。このまま結婚までするのではと女友達に言われ始めた頃だった。


 その日は春が早足に通り過ぎて桜も散ってしまった6月の半ば。まだ過ごしやすい気候の日で彼と何度目かのデートをする予定だった。


 柄にもなく薄ピンクのワンピースに白のシアーシャツを羽織って出かけた。


 いつもは男物っぽいラフな服を着るのだがこの日は特別だった。


「今日は、何の日かな?」

「ん?何だっけ」

「付き合って二年目の記念日だよ」


 私がそう言うと彼はあー思い出したとまるで取り繕ったような笑顔を見せた。

あまり元気がないのかと思ったが考え込む癖のある彼には良くあることでデート中に元気になると思って忘れないでよとおどけて見せる。


 私が好きな彼はこんなだったけと湧き上がった思いに静かに蓋をした。


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 気づけば丘の上で膝をつき泣いていた。


みっともないことは百も承知。


 もう成人を迎えた立派な大人である。それでも失恋は時を止めるように悲しみを消してくれない。


 こんな薄暗い冬の真下で寂しい町の片隅だからこそ私は泣いている。


ポケットで温めたつもりの手は北風に触れて冷たくなっている。


その手で顔を覆いとめどなく溢れる涙を拭いている。


 彼が別れを告げたのはちょうどこんな3月の冬だった。


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 誕生日に彼からもらった白いマフラーで街を歩いていた時だった。彼は何の脈絡もなく「別れよう」と言った。


 初めて聞く言葉のように耳が言葉を拾えなかった。だから、もう一回言ってと聞き返したら次ははっきりと別れようと目と目を合わせて言ってきた。


 それで、はっきりと言葉の意味を理解した。


 私はどうしてと声に出せていたか分からないぐらいの小さな声を出した。

 それが彼に聞こえたのか、ごめん。俺は音楽の道に進みたくて。その声は言いにくそうに苦しそうに言葉を探していた。


 彼には音楽がある。私はきっとそれについていけない。彼が遠い存在になる。

彼はそう私が思うことを避けて早いうちに別れを告げたのだ。


 確かに彼には音楽の才能があった。


私が彼と付き合う前のことだった。


 軽音楽サークルで野外で演奏を披露した時、偶然見ていた客の中に大手音楽事務所の音楽プロデューサーがいた。


 プロデューサーは当時企画していたらしいプロジェクトのバンドメンバーの

募集をしていてた。後日その人に彼はスカウトされたらしかった。


 その後の彼の活躍は知らなかった。


 聞くのが怖かった。


それでも彼の様子は変わらず、むしろ機嫌が良くなってすらいた。


 だから、順調に話が進んでいると嫌でも分かってしまった。


 彼は今後、音楽の道に本格的に足を踏み入れてどんどん進んでいくだろう。


そんな彼を見ていたから別れ際に私は「頑張って」と、はにかんで見せた。


そう見せるしか出来なかった。


 彼と別れたその日、一人暮らしのアパートのベッドに潜り込んだ。


 彼との別れを納得するためにあらゆる解釈やしょうもない私の勘違いストーリーを何度も作り出しては目の前の現実に引き戻されて、嫌だ嫌だと記憶から払って、払って、払って、でももう彼を止められないし彼の考えが変わらないと思い

至って諦めた。


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 そんな過去の話を丘の上で思い出して改めて振り返ると私にも彼を止める手段があったのかもしれない。

 

 行かないでとすがり、私はどこまでもついていくとはっきり言えば良かったのか。


 そんな小説のヒロインのように強かしたたに覚悟を持って言えばもしかしたら今でも。でも、私は小説のヒロインなんかじゃない。


 どこまでいってもあの時に黙って受け入れて嘘の笑顔を貼り付けてまで彼と別れた私こそが由美という人物の選択でしかなかったのだ。


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 不意にある時、私が彼の前で泣いたことを思い出した。その時はなぜ自分が泣いているのかすら自覚できずにいたとき。


彼は泣き崩れた私の頭に手を乗せて静かに撫でてくれた。


 彼のそれは悔しいほどに優しく、湧き上がった自分の感情がどうしようもない不安であると知った。


 その不安の種が彼にあることも知らずに彼のただただ優しいあの手で私の短い髪を撫で付け、寒いだろとマフラーをかけ直してくれた。


彼は私をどこまで愛していたのだろう。


どうしたら私は彼と一緒になる未来を描けたのだろう。


 その日は雪が降っていた。灰色だった景色が空から降る真っ白な綿のような

冷たい雪が銀世界へと染まっていく。


こぼれ落ちた私の涙が雪の上に落ちるとだんだんと雪と同化していく。


いずれ固まり、弱々しい光を反射させてキラキラと輝き出した。


冬と恋が結びつく私だけの思い出だった。


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丘の上で立ち上がりポケットに湿った手を突っ込む。


今は静かに目を瞑って海の音を聴こう。


いつか凪ぐその時まで。


 ごめん。過去のわたし。


強い私じゃなくて。でもきっと次の恋は強い私でいるから。


 どうか、今は弱い私のまま。


この悲しい冬に身を任せていて。


           次の恋が始まるまで。





 

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