Sea you / 立花 莉都 作

名古屋市立大学文藝部

Sea you 第一話

 僕は明日、自分の人生に自らの手で終止符を打とうと思う。

 だがその前に一つ、僕にはどうしてもやりたいことがあった。

 世間で聞く「死ぬ前にやりたいこと」なんて、僕にはないとずっと思っていた。ところが、いざ死のうとした時、突然頭の中にいつか見た写真が浮かんできてどうしても離れなくなったのだ。

 いつ、どこで見た写真なのか、上手く思い出せない。だが、僕はそこに行かなければいけないのだと直感して、最後にその場所へと行くことにしたのだった。

 本当にこれが死ぬ前にするべき最後のことなのか、自分でもよく分からない。でもだからといって、他にしたいこともするべきことも思いつかなかった。別れを告げたい人も、最後に会いたいと思える人も僕には特にいないし、死ぬ前にやっておくべきだと思ったことは、もうしっかりと済ませたつもりであった。

 この世に未練など一つもない。そうだったはずなのだが、僕には今一つだけ未練のようなものができてしまっている。

 まあ、他の人から見ればそんなことが最後でいいのかと思えることを、死ぬ前最後にするのも悪くはないか。そんなことを考えながら、僕は電車に揺られて目的地へと向かっていた。

 電車の中で、自分の人生について今一度考えてみる。

 僕の二十三年の人生は、実際の年月よりもさらに重く、長く感じられるようなものであった。そして、そんな僕の人生は、はたから見れば壮絶だと言えるようなものであると思う。

 昔は自分でもそう思って、自分の人生を悲観し、自らの境遇を恨んだりもしていた。でも今では、正直そんなことはどうでもよかった。慣れてしまえば、日常となってしまえば、もう何も感じなくなっていた。

 そして今、僕が命を絶とうとしている理由も、仕事上の悩みだとか、誰かから深刻ないじめを受けているとかそういうものではなく、自らの境遇のせいである。

 だが僕は自分の人生や境遇に絶望を感じて、命を絶とうとしているわけではない。自分の人生を、自分が今まで必死に生きて紡いできた日々を肯定したいからこそ、これ以上誰にも自分の人生を振り回されたくないからこそ、僕は自分で自分の人生を終わらせようとしているのだ。

 そう、僕が死ぬのは、決してあの人たちなんかのためでもせいでもなく、自分のためであり、自分のせいであるのだ。だから今の僕に、何の迷いも躊躇ためらいもあるはずなんかないのだ。

 自ら命を絶とうと決めてから、何度自分に言い聞かせるように言ったかも分からない、この呪文のような言葉たちを僕はまた心の中で唱えたのだった。

 そんなふうに色々と考え事をしていると、いつの間にか乗っている電車が目的の駅へと着いていたのに気が付いた。ちらほらと降りていく人々に続いて、僕は電車から急いで降りた。

 電車から降りると、僕は駅のホームに一つだけ置かれたベンチに腰かけた。ベンチに座って一息つきながら、スマートフォンで目的地までのルートを今一度確認する。ここに来る前にも何度もルートを確認してきたつもりであったが、初めての土地であるという事実がどうにも僕を不安にさせた。

 何度も何度も、スマートフォン上に映し出された地図の上をなぞって確認して、やっと不安も和らいできた頃、僕はまたあの写真について考え出していた。

 マンションの屋上から飛び降りようとしたまさにその時に、突然頭に浮かんできたあの写真。何故だか、死ぬ前最後にその写真が撮られた場所に行かねばならないのだと僕は思った。そしてその場所に行こうと決心したものの、いつ、どこで見たかも覚えていない写真からその場所を特定するなんて、当初の僕は無理だと思っていたし、何を無謀なことを考えてしまったのだと思っていた。だが、奇跡的に、特徴となるような建物である、灯台が対岸に写りこんでいたのを思い出したおかげで、そう苦労することなく目的の場所を見つけることができ、今こうやって実際に来ることができていた。

 今考えても、本当に運が良かったなぁと思う。もし全然見つからなかったら、それこそ新たな未練ができ上がってしまうところだった。それだけは絶対に避けたかったから、本当に良かった。そう思って僕はその場で大きく息を吐き出した。

 その他にも色々と考え事をしたい気分ではあったが、駅のベンチでこれ以上時間を無駄にするわけにはいかないため、僕は出発することにした。

 いつもとは仕様が違う駅の改札を、少しだけ緊張しながら無事通過すると、僕は一度大きく息を吸い込んで吐いた。そしてそれっぽく「やっぱり都会よりも空気が美味しいな」なんて言ってみる。言ってみて何だが、あまりにもその言葉は今の自分には似つかわしくない気がして、僕は思わず苦笑してしまった。

 そんな駅でのくだらない一幕が終わった後、今度こそ僕は目的地を目指し、駅を出発することにした。駅から数歩出て、周りの風景を見渡してみただけで、来たことのない初めての土地の雰囲気に僕はまれてしまっていた。何度も行き方を確認して不安を無くしてきたつもりであったが、実際の地に足を踏み入れただけで、僕はだいぶ心細くなっていた。だが、ここまで来てこんな弱気になっていてはいけない。そう思って、なんとか自分を奮い立たせると、スマートフォンの地図と実際の風景とを何度も慎重に見比べてゆっくりと目的地へと向かった。

 余計なことを考えている余裕なんかないはずなのに、目標の地まで歩いている間に、僕はいつの間にかまた考え事をし始めていた。

 あの写真を、僕はいつ、どこで見たのだろう。なぜ僕は、あの場所に行かなければいけないと思ったのだろう。必死に何か思い出せないかと考えてみるが、頭がズキズキと痛んでくるだけで、全く何も浮かんでこない。

 そうやって必死に考えて、結論が出ないうちに、ルートの終わりが近づいていた。まあ、そこに着いてみれば何かを思い出すだろう。そう思って僕は思考を放棄すると、とりあえず目的地まで行ってみようとそのまま歩を進めた。

 少し歩いたその先に、目標としている場所である海岸はあった。僕は思わず海岸の方へと駆け寄っていく。

 眼前に広がる光景は、いつかに見た写真とほぼ同じで、思わず感嘆の声が漏れた。僕は写真が撮られたと思しき場所で立ち止まると、目の前の景色だけに意識を集中させた。

 僕の目の前に広がる海は、太陽の光を反射してまるで宝石のようにキラキラと輝いており、その水は青緑色に透き通っていてとても綺麗だった。

 でも、それだけだった。

 ここじゃなくたってそんな海はどこかにはあるだろうし、何もここにこだわるような理由は無いように思われた。ここに来てみれば何か思い出すと思ったのに、余計に自分がここに強くかれた理由が分からなくなってしまった。

 ああ、無駄足を踏んだなあ。そう思って帰ろうとした時、ふと海の中に人影があるのに気が付いた。僕が驚いて見つめている間にも、人影はどんどんと小さくなっていた。

 どうしようかと考えるより前に、僕は無我夢中でその人物の元へと走り出していた。途中、砂浜で足を取られそうになりながらも、僕は急いでその人の元へと向かった。

 太陽の光がまぶしすぎてきちんとは分からないが、着ている服などから見て、海へと入っていっているのはどうやら老婆のようだった。

 僕は急いで老婆に追いつくと、「何してるんですか!」と声を荒らげながらその腕を思いっきりつかんだ。

 老婆は僕が腕を掴んだのに気づくと弱々しい力でそれを振り払おうとした。

「放してくれ。もう死なせてくれよ」

 僕は思わず固まった。

 ただの認知症か何かかと思っていたら、まさかこの老婆も自分と同じく自殺を望んでいたとは。

 僕は一瞬躊躇いながらも、結局老婆の自殺を阻止することにした。

 これから自殺をしようとしている男が、これから自殺をしようとしている人間を止めるなんて、滑稽こっけいな話だとは思うが、それでもどうしても止めずにはいられなかった。

 僕は老婆を無理やり海から引き戻すと、とりあえず砂浜にあった流木へと座らせた。

「あなた何してるんですか?! なんで自殺なんてしようとしてたんですか?!」

 僕は半ば怒鳴りつけるようにして、そう問いかけていた。

 僕の問いかけに、老婆は答えなかった。ただ「なんで止めたんだ」とぼそぼそとつぶやくばかりであった。

 やっぱり認知症か何かなのだろうか。僕がそんなふうに考えていると、老婆の独り言のような言葉がふと耳に入ってきた。

「ごめんねぇ、助けてあげられなくて。私はここで待っていることしかできなくて、ごめんねぇ」

 僕は思わず目を見開いた。僕ではない誰かに向けられたであろう言葉なのに、僕の心は大きく揺さぶられていた。なんで……。

 僕が自分の心の変化に戸惑っていると、老婆が再び口を開いた。

「私は何もできなかった。ただ見ていることしかできなかったんだよ。あの子と一緒に来ようって約束したのに。私が連れ出してやるって言ったのに。私は何一つあの子にしてやれなかったんだよ」

 老婆のその言葉を聞いた瞬間、僕の頭が再び激しく痛んできた。

 ズキズキ、ガンガンと痛む頭を押さえながら、僕は目を閉じる。その時、僕の頭の中にいつ見たかも思い出せない光景が次々と浮かんできた。あと少し、もう少しで何か大切なことを思い出せる気がする。そう思った瞬間、僕の口は自然に動き出していた。

「いいんだよ、フミ婆。だって今、僕はここに来られてるんだから」

 思い出した。僕がここにどうしても来たかった理由。それはこの老婆、フミ婆と約束したからだった。両親から逃げ出して、見事自由になれたなら、一緒にあの写真の景色を見に行こうって、僕たちは約束したのだった。

 なんで今まで忘れてしまっていたのだろう。僕の人生に希望をくれた人だったのに。僕を絶望から救い出してくれた人だったのに。

 僕は、今まで忘れてしまっていたフミ婆との記憶をゆっくりと思い起こした。

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