敵を知る


 探索者育成学校から僅かに離れた小高い丘の上に少女が立っていた。


 人を遠ざける濃霧が届かない所から少女はダンジョンを見下ろす。


 月夜の明かりに銀糸を輝かせる、あどけなさの残る少女───シーカー・メイ・ドラインはこの世界の人間ではなかった。


 ドライン家に三女として生まれ、侍女としての修行を終えたシーカーは、その魔術の才能を買われ、数年の研鑽の末、勇者パーティーの世話役として抜擢されるまでに至る。


 抜擢後は勇者パーティーを侍女という立場の元で献身的に支え、その人類の悲願を叶えた英雄譚の一助となった。


 暖かく、懐かしい、少女の持つ輝かしい程の記憶。


 そして後に待つ悲劇に心狂わされた悲しい少女の人生。


 それに強く影響を受ける寄生種、魔物の進化系である『壊人』はこの記憶の少女の言動をなるべく再現して行動している。


 この記憶の影響下にある壊人は故に、主人である勇者の記憶を持つ寄生種の塵を求めて動いた。


 壊人としての意識を得て、手始めにダンジョンの中にいた探索者に自身の存在の一部を強引に植え付け、不完全な壊人へと強制進化を促してみた。


 それは細かい命令を受け付けるような知能は失うも、ある程度は少女の意図通りに動く人形となった。


 「あれももうだめだよね」


 自分が作ったもう一体の人形を思う。


 自分の力がどういうものかを確かめた少女は次に若い探索者に目をつけた。


 魔術師クラスであるにも関わらず、パーティーの盾のように扱われていた少年が魔物の魔術スキルを避けた時、偶然にも真後ろに立っていた斥候役の少女がその魔術を避けることができずに倒れてしまい、そこからパーティーは瓦解。


 パニックになるパーティーの中、ぽつんと佇む少年を面白く思った少女は微笑みを携えて少年の前に姿を見せた。


 大人の探索者と同様に、その体に自身の一部を強引に移植し、操り人形とした。


 前回とは違い上手くいった。


 自分の力の影響が大きすぎ、元の寄生種と競合した前の人形はエラーを起こして蝋のようになった。


 しかし、純粋なエネルギーとして元の寄生種を手助けして目覚めさせ、尚且つ手綱に繋ぐことに成功したのだ。


 少年の人格は裏へと押し込まれ、少女のような人としての記憶を持つ寄生種がその体の主導権を掌握してみせた。


 細かい命令も熟し、頭を使った戦闘のできる大駒を少女は手に入れたのだ。


 少年の体を得た壊人はパニックになるパーティーメンバーを皆殺しにした。


 そこからはしばらくダンジョンの中で力を蓄える日々。


 そこまでは良かった。


 ダンジョンから出た直後、そいつが現れた。


 仮面の男。


 仮面の男が自分たちがどういう存在かもしっており、すぐに少年を襲った。


 偶然、ダンジョンの出るタイミングがズレていたため少女は仮面の男に襲われることはなかったが、厄介な事に、その仮面の男は表出する寄生種の人格を削り、再び眠りにつかせてしまった。


 せっかく得た大駒がこんなすぐに失われるなど思ってもいなかった。


 もし目覚めた元の少年が自分の存在を明かせば矛先が向きかねない。


 だから、依然として繋がりのある少年の記憶を可能な限り魔術でいじり、仮面の男をアンチ・エクスプローラーの異常者だと言う記憶を植え付けた。


 目論見通り、少年は起きてからも仮面の男へと敵対行動を見せて、自分の事を話そうとはしなかった。


 そして彼の記憶から勇者らしき少年の情報を得ていた少女は繋がりを保つため、"侍女"として振る舞った。


 京 将暉という少年の寄生種が勇者の記憶を持つと確信できてからは心が踊るようだった。


 「イヴァンアス様……」


 愛しき人の名前を呼ぶ。


 しかし、その人物を眼の前にして、またもやあの男が現れた。


 勇者の寄生種だけ吸収できれば良い少女は相賀 周成を捨て駒にしてでもそれを狙うも、あと一歩の所で仮面の男に夢の成就を邪魔された。


 憎きあの男は非常に厄介だ。


 仮面の男の繰るあの炎は人知を越えているかも知れないと思う程に理不尽だった。


 少女の持つ幽世アイソレーションは空間に別空間を創造し、盾や槌とする魔術。


 そして少女が炎を防ぐ為に手に創り出した空間は優に小山一つ分の体積をその空間に内包していた。


 つまり、あの男は山ひとつ分の空間を一瞬で焼き払って見せてのだ。


 「ほんと厄介な奴」


 お陰で勇者を前にして、引かざる負えなくなってしまった。


 自分の力の回収も望めない。


 そう言えば、あの場には居なかったが、一人目の操り人形との戦闘時にいたあの少年も、火の魔術を使っていたように思うが……


 「まさかね」


 操る炎の位格がまるて違ったし、髪色なんかも違った。


 あの気の抜けたような少年があの男であるとは到底思えなかった。


 「だとしたらとんだ狸ね」


 「あら?女に言うならなら狸よりも狐が妥当じゃない?ほら、女狐って言うじゃない」


 突然背後に現れる女に少女は体をびくりと震わせた。


 「思ったより可愛い子ね。良かったわねガチャ大当たりで」


 「……今度は誰よ」


 振り返って初めに抱く印象は青だった。


 ボディラインが強調され、足元を大きく出したスリットが特徴的な衣装。


 ────チャイナドレスといっただろうか?


 この世界の情報はまだ覚束ないが、繋がった男からいくらかの情報は拾っており、その中に朧気ながらチャイナドレスのものも存在した。


 「はじめまして、貴女がビビって逃げた男の同僚よ。今はオペレーターをやってるの」


 戦闘員でもない女がなぜ。


 魔力もそう多くはない。


 「私今、あの男に大切な人との逢瀬を邪魔されたばかりなの。そんな人の前に仲間だって言って姿を表すだなんて────」


 少女の前に空間が想像される。


 人一人など容易に潰せる大質量の縮尺の違う大空間。


 「───間の悪い女ね!」


 それが目の前の妙齢の女を襲う。


 大型トラックやダンプカーなど比べ物にはならないほどの大質量を誇る幽世がたおやかな女性に直撃すればどうなるかなど考えずとも理解できる。


 それを知らない女は不思議な物を見るような目でそこから動かない。


 回避不可能な距離まで迫る。


 (なんだったの?この女)


 想像される結末に何の疑問も抱かずに既に終わった気でいる少女。


 しかしそれはすぐに裏切られる。


 ───ガァン!

 

 寺の鐘を打ち鳴らしたような音が丘に響き渡る。


 「───は!?」


 「面白い魔術ねぇ」


 大した構えも取ることも無く、払いのけるように裏拳で叩き落とされ地面を削りながら逸れていく。


 地面が大きく揺れるも、女の体幹を崩れない。


 「結界魔術による異空間の創造。陰陽道と自然魔術、それにカバラ数秘術を合わせれば再現できそうだけど、やっぱり知らない概念や独自の理論を上手く理解しないと難しそうね」


 戦いを仕掛けたにも関わらず、女は考察に耽るばかりで此方を見向きもしない。


 「くっ……」


 この世界に生まれてから、魔物相手にも非覚醒状態の探索者にも遅れを取ったことはない。


 にも関わらず、今日で既に二度目だ。


 必殺の魔術をこうも簡単にあしらう化け物は。


 「……あなた一体何者なの?そんな魔力量で……」


 「今時魔力量の多寡で魔術師の力量が決まるだなんて頭の固いおじいちゃん達でも言わないわよ。必要なのは確立された理論と理解する頭、そしてそれを扱うための技量───つまり魔力操作よ」


 そう言って女が魔力を開放。


 一瞬とてつもない広がりを見せた有色の魔力は、勢い良く、女に飲み込まれるようにそん存在を小さくした。


 圧迫されるような爆発的な魔力はなくなった。


 しかし、小さく凝縮された魔力は意識を奪われるような恒星のような引力を示威していた。


 本来なら魔力の一部を操作してそれを魔術へと変換して扱うのが一般的だ。


 故に操作をしない体から漏れ出る余剰分の魔力はゆらゆらと不規則な動きをして見せる。


 しかし、女はそれを纏めて一握し、己の中に閉じ込め、その濃度を極限まで高めている。


 そしてその色は青をさらに濃くしたこの夜空のような色をしていた。


 「こういうふうに────」


 女が消えた。


 「────ね!!」


 直感。


 背中を走る悪寒から逃げるように転がった少女の足元を女の拳が割る。


 大きな亀裂が走り、地が揺れる。


 「な……!?まさかテレポート!?」


 少女の世界でも高位に位置づく、一部の魔術市や高位の存在のみが扱える秘術。


 それを魔法陣や詠唱も無く扱うなど、あの世界でも人間にも不可能な芸当だった。


 「ごめんなさいね。流石にそれを扱えるだけの頭は持ち合わせていないのよ。だから凄く早く動いただけ。お姉さん、見た目よりも運動能力高いのよ?」


 「そっちの方がデタラメじゃない!?!?」


 魔術を使うでもなく、ただ拳を振り下ろしただけの女、故に追撃も容易だ。


 「幽世・アイソレーション二重強化デュアルエンハンス!」


 あの男の炎をも耐えた本気の魔術を行使。


 脳が揺れるような音の振動が大きく響く。


 これなら───


 「あっは!やっぱり楽しいわね!!久しぶりの戦いわ!!!」


 尚も力を込める女の拳に、遂に小さな異界は終わりの悲鳴を上げた。


 「なんでこうも簡単に!!」


 勢い良くその場から退く少女。


 逃げるのが少しでも遅れていれば一発でKOだっただろう。


 「あの変な仮面の男といいあんたといい本当に何者よ!」


 少女が怒声を向ける。


 少女の力はまだまだ全開の域ではない。


 力を失っているのもあるし、壊人としての成長過程の途中でもある。


 しかし、そうだとしても目の前の敵は強すぎた。


 異世界の基準ではとうに宮廷魔術師クラス。


 国家に数名しかいないレベルの偉人級だ。


 「自己紹介してあげるほど私、貴女達のこと好きではないの。だから大人しく死んでくれる?」


 女が一歩踏み出す。


 その恒星の歩みに空間が歪むように揺らされる。


 死が迫る。


 しかし。


 「少し、遅かったみたいねおばさん」


 戦闘に夢中になった女は気づかなかった。


 人払いの外にあるここに、探索者達が集まって来ていることに。


 既に何人かに囲まれている。


 「流石にこの人数は相手に出来ないでしょう?それにすぐに上級探索者もここまで来る。あなたも終わりよ」


 勝ち誇った顔をする少女は女の自棄を危惧し、防御の耐性に入る。


 しかし、戦闘による興奮状態にあった女は一転、冷静を取り戻し、どこかに連絡を取るようにボソボソと喋っている。


 そしてため息を吐くと視線を少女に戻す。


 「それで?」


 「なに?」


 「貴女達はそんな数で私に勝てると思ってるの?」


 「……強がりを」


 女の微笑に恐れも自棄も見えない。


 本当に歯牙にもかけていないような。


 「見てなさい。すぐに分かるわ。貴女達がどんな世界に喧嘩を売ってしまったのか」


 「なにを────!!??」


 それを感じ取った瞬間身が凍った。


 ダンジョンの中。


 その奥で、何かが爆発し、尚も膨らみ続けている。


 この魔力は───


 「うそ……」


 さっきまで対峙していた覚えのある魔力。


 態勢を整えたら、いずれ報復に出ようと思っていた相手。


 しかし、それは間違いだった。


 今も尚膨れ上がる魔力は既に宮廷魔術師などを優に凌駕していた。


 こんな人外な魔力、例え『勇者』や『大魔道士』であっても持ち得ない、人外な魔力量だった。


 「魔王……」


 これは少女の記憶に存在する最強の悪の名前。


 勇者パーティーの最後の戦い。


 それを離れた所から勝利と無事を祈っていた少女が遠くから感じた魔王の魔力に匹敵していた。


 「訂正するわ。魔力量で魔術師の優劣はつけられないって言ったけど、やっぱり何事も例外ってあるのよね」


 女はようやくかと言った様子で首を振っている。


 しかし、異変は止まらない。


 肌が焼かれるような錯覚を起こした。


 それは直感だったのかもしれない。


 次の瞬間────ダンジョンが消えた。


 雲の様に大きな炎が吹き上がると、ダンジョンを形成していた建物が瞬く間に蒸発したのだ。


 塵すら残さず消し飛んだ壊人の生まれ故郷。


 少女も、探索者も、すべてがその光景に呑まれて動けない。


 ────勝てない。勝てるはずもない。どれだけ探索者が集まろうと、どれだけ上級探索者達が集まろうと。


 それに勝てるのは勇者か魔王のどちらかだ。


 「……流石にやりすぎね。よっぽど溜まってたのね」


 女が吹き上がる炎にそう言うと、少女に向き直す。


 「今回は見逃してあげるわ。他の探索者を纏めて相手にするのも面倒だし、それに……すぐに情報操作に走らないといけないし」


 苛立ちを込めた女が懐からタバコを取り出して指先で火を付ける。


 魔術じゃない。摩擦だ。


 ぶん殴ってやると風に乗って微かに聞こえた。


 少女は絶望に駆られながらも走り出した。


 目の前の女も理外ではあるし、最悪まだ本気を出していない。


 しかし、それでもあの男は危険に過ぎる。


 あの男のあの炎。


 特に今見た、ダンジョンの半分を消し去ったあの炎は決して人間が扱って良いものでない。


 あんな危険物、我々の元いた世界では誰も扱わない。


 魔術師も、宮廷魔術師も、大魔道士も、


 勇者も魔王ですら。


 自分たちがどこに生まれて、誰を相手にしているのかを理解して、少女は駆ける。


 早めねばと。

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