不可侵魔法

 爆発的な魔力が広がった。


 広間を充溢させて尚、溢れでる魔力はまるで重力が増したかのように六人の身と心を圧迫していく。


 「あ……あぁ、あ……」


 言葉が、出ない。


 誰もが言葉を失い、圧迫される苦しさから僅かな声が漏れ出る。


 間欠泉の如く吹き出す魔力は尚も留まることを知らず、そのを次第に濃くしていく。


 「……い、ろ?」


 思わず漏れ出た麗奈の声。


 その声はあり得ない現象を前にして、戸惑いに畏怖を混ぜ込んだように震わせていた。


 本来なら不可視のはずの魔力。


 決して視覚として捉えることの出来ないはずの魔力が視界いっぱいに広がっているのだ。


 首を動かしてもつまらないジオラマのように当たり一体が青に呑まれていた。


 それは音が音符でみえてしまうかのように。


 それは色のついた臭いを目で追って辿るように。


 それは危機的直感が"!"ビックリマークとして視界の中に表れてしまうかのように。


 常人ではありえない出来事だった。


 しかし、感覚としてしか感じ取ることの出来ない魔力が今、確かに青い奔流となって瀧虎灰を覆い尽くしている。


 視覚化するほどに途方もない魔力量。


 それはこの世の魔術師クラスの探索者全てをかき集めたかのように濃密に過ぎた。


 寄生種の恐怖に怯えながらも立ち上がった麗奈達は今、それとは別の、より直接的な、物理的とも言える恐怖に今度こそ、うちのめされて膝を崩した。


 悲鳴を上げることすら出来ない、明確な上位者の威風。


 この圧力に気圧されているのは前の三人も同様だった。


 「ばけ、もの……」


 「どこまで猫被っていやがったよ……灰……!」


 「ここまで、ここまで突き離されていたのか……」


 三人はのしかかるその重圧に、膝を折らないよう堪えるのに必死だった。


 生物としての格が違う相手を前に、身を強張らせて死を受けいることしかできない小動物のようにピクリとも体が動いてくれないでいた。


 灰は身に纏う魔力を尚も濃くしていく。


 濃密な青に至った魔力は変化をそこで終わらせない。


 纏う魔力の所々に、赤が現れ舞い落ちていく。


 それは燃え上がった塵屑のように宙で燃え、床へと落ちて消えていく。


 それが魔力かどうかはわからない。


 炎の魔術を得意とする灰だからこその魔力反応だった。


 「大人しく、相賀周成の命を差し出せ。そうすればお前達の命は見逃してやる」


 告げられる最終通告。


 その言葉に後ろの三人も、京も抗うだけの気概を奪われてしまった。


 認めてしまう彼我の戦力差。


 比べるのも烏滸がましい程に、瀧虎灰の持つ力は超越的だった。


 「……く……そ、がっ」


 ズシッ。


 重い体を引きずるように一歩前へ出る偉助。


 物理的にも苦しい重圧と、逃げてしまいたい生物としての本能にも抗って歩を進める。


 体が悲鳴を上げようとも、本能が逃げろと叫ぼうとも、それらを意思一つでねじ伏せ、進んで見せる。


 死の淵に立つ親友を助けるため、そしてあの猫かぶりの戦友ばかを殴るため、偉助は屈しない。


 「お、前……」


 その偉助の姿に隣で力に屈した京が驚愕の表情を浮かべた。


 同じ重圧の中、確かに隣の少年は強い意志の元抗う姿を見せた。


 常に上位者に居た京にはより上の存在に抗うだけの術を知らず、立ち上がるという敗者の側の経験が無かった。


 だから常に敗者の側に立っていた少年の強さを知らなかった。


 それを見て、遂に京は剣を落として己が敗北した事を認めた。


 さらにその隣からも刀が床を叩く音が聞こえた。


 否、それは刀が床を突く音だった。


 「……帳?……お前っ」


 隣へ顔を向けた偉助が見たのは、自分の足の甲に切っ先を突き刺す帳の姿だった。


 じわりと広がる血に偉助が目を剥いた。


 「……気付けだ」


 「…………」


 「私もまだまだ未熟だな。たかが強者に怖気づくとはな」


 強引な手段で正気を取り戻した帳は、その獰猛な笑みを灰に向けた。


 「これは逆に好機と言えるだろう。圧倒的な強さを誇る敵が、こちらを殺すだけの気概を持ち合わせていないのだから。とことん手合わせを願おうじゃないか」


 その随分な物言いはしかし、灰の内心を的確に捉えていた。


 「そ、そうだな。最後まで食らいついて抵抗すりゃ、甘ちゃんなあいつならそのうち手を引くだろうさ。それにもう一発は殴らねーと気がすまねぇ」


 体は上手く動く気はしない。


 しかし、抵抗するだけの動きは望める。


 指を鳴らして強い意志を乗せた瞳が灰を見据えた。


 「……膝畳んでびびっときゃ可愛げがあんのにな」


 灰は偉助と帳がこれだけタフな精神力を持っているとは思わなかった。


 これで全員動けなくなった所で相賀に留めを刺すつもりだったが、予想以上の抵抗にもう何度目かの溜息をつく。


 もう少しかかりそうだ。


 灰が本格的に二人の体が動かなくなるまで戦闘を継続することを心に決めたその時、念話が届いた。


 『聞こえる?『弄炎』タイムリミットよ。逃げ出した『母なる寄生種マザーパラサイトが周りから応援を呼んだみたい。複数の探索者がこちらに駆けつけているわ。中には上級探索者も居るみたいね。面倒になるわ。早く切り上げなさい』』


 「あぁ、わかった」


 『優先順位は弁えなさいよ。良いわね?』


 「……わかってる」


 『……ふぅ。良い訳くらいは考えておきなさいよ』


 「悪い」


 突然、誰かと会話を始めた灰に、怪訝な様子で窺う偉助と帳。


 会話を終えた灰の様子に、戦闘の終わりが近いことを二人は察する。


 「状況が変わった。終わらせよう───」


 その言葉の直後、灰が魔術の詠唱を始めた。


 「────"炎の中に舞う無邪気な幼精、


人々を誘い、遊びを求める。


小さな火の粉を振りまきて、知らずに恐れを招く小さな幼精。


周りの人は遠ざかり、残されたのは灰燼と足跡のみ。


燻る葉の中で、孤独を知る。


だが人の子よ、火の子を見過ごすな。


その火種は、やがて大きな力を宿すのだから"」


 「これは……!?」


 それを知る帳が強い警戒を示した。


 しかし、時既に遅し。


 「『火の踊り子スパークフェアリー』」


 現れ、踊り狂う火の粉の群れ。


 それはあの時の火の粉とはまるで違った。


 灰の周りを覆い尽くし、じゃれつくように飛び回るそれの量は以前と比べ物にならない。


 さらには一つ一つの大きさもその赤の強みも一際違っていた。


 「あれですら、加減していたのか」


 どこまで底が知れないのか、帳は眼の前の少年に深く畏れのような感情を抱いた。


 同年代にしてこれまで差が開く、魔術師という存在はどれほど。


 眩い程の火の妖精に力の波濤の末を想像する。


 しかし、灰の詠唱は止まらない。


 継げられるのは真詠唱。


 人々に見捨てられた悲しい火の精達の末の姿。


 幾重にも重なる大小様々な魔法陣がその物語を紡いでいく。


 

 「"───神託を忘れた愚者の群れ


 ───寂寥に濡れるは火の幼精


 ───あの頃の無邪気な幼精はもういない


 ───拗ねるだけの幼子はもういない


 ───見るといい、立派な体躯の大火を


 ───背けず見よ、従える火の大きさの違う大精霊を


 ───精霊に触れるは世の禁忌、戯れるは世の終焉


 ───精霊の胸を刺した人類に滅びは遅れてやって来る


 ───昔日じゃくじつの精霊は小さな痛みを抱えて大火となりて大禍を成す


 ───覚えておけ、無視された火花は強大な炎を降り撒くと"───」

        

 「───『大きくなった火の子は大禍となり

て牙を剥く』《サラマンダー》」


 全ての魔法陣が一瞬にして赤く染まる。


 そして、この世の全てを煮溶かしたような炎が泥のようにどろりと湧き上がった。


 硬い表面を中の炎が焼き破ると同時に真っ赤な灼熱の炎が吹き上がる。


 その炎は全てを燃やし、灰燼と化す大精霊の権能。


 決して人が踏み入れることの出来ない領域。


 しかし、最後まで共にあった"灰"のみはそれを許された。


 人類で唯一の友である灰には、大精霊はその力を存分に貸し与える事を惜しまない。


 「ダンジョンが……」


 その炎にダンジョンですら耐えられない。


 ダンジョン程度が大精霊の炎を抑え込むことなど到底不可能なのだ。


 壁が溶け落ち、蒸発し、宙へと分子すら残さず消えていく。


 天井が熱され、壁同様にその姿を消却されていく。


 上の階へと燃え上がった炎は天井を突き抜けるや否や、燃え広がり、壁や天井に飽き足らず、その階層の魔物まで尽くを灰燼へと還した。


 数多の絶叫が響き渡り───静けさが訪れる。


 その熱の侵攻は留まることを知らず、更に上へ更に上へと、天井を突き破り、その階層の魔物達を飲み込むと、更に上へと牙を向けて突き進む。


 遂に10階層から上はすべてが消え去り吹き抜けとなった。


 ダンジョン10階層に居る自分たちの頭上に、月夜の空が広がっていた。


 全員がただ固まるしかできなかった。


 そのスケールの違う力に。


 上の魔物をすべて葬り、ダンジョンすらも焼き落としてしまった規格外の力を前に、これはただの夢だと、たちの悪い悪夢だと、そう言い聞かせるしかできないでいた。


 これには偉助も帳も口を開くことはできない。


 二年以上潜り続けたダンジョンがここから上、すべて消し飛んだのだから。


 戦意を完全に消失している四人は最早灰の眼中には無い。


 そして、ダンジョンの中で決して見ることの出来ない満月に、いや、見えてしまっている月夜の空に目を奪われた四人と偉助と帳は戦いから意識が離れてしまう。


 それを見逃すこと無く、灰が一瞬にして距離を詰めた。


 「な……っ!」


 灰の魔術が標的を違わず襲った。


 「『眠れよ乙女カウントシープ』」


 帳の腹に添えられた灰の掌が眠りの魔術を浸透させていく。


 「灰!お前!」


 意識を灰へと戻した偉助がその行動に驚きを見せた。


 魔力を開放した灰の魔術を抵抗できるわけもなく、戦いから意識の遠のいていた彼女の意識は一瞬にして眠りへと落ちていく。


 「瀧……と………ら」


 灰の腕の中でかくんと崩れる帳を抱き上げる。


 「まて、よ。相賀が優先じゃなかったのかよ……」


 相賀を手に掛けること無く、帳を抱きかかえる灰を見て京が声を振り絞る。


 「状況が変わった」


 「まてよ……!」


 京が足に力を入れてなんとか立ち上がる。


 もうそこに力は殆どない。


 これまで戦えていたのが奇跡に近かったのだ。


 「凛を、置いていけよ……!」


 「それはできない」


 「ふざけっ……くっ」


 体のダメージが大きいのに加え、今尚あたり一帯を支配する魔力が京に大きな制限を与えていた。


 全身が鉛になったかのように重い。


 「……なんだ?灰。やっぱ帳の事好きだったのか?」


 からかう様な偉助に灰は露骨に嫌な顔を浮かべて言い返す。


 「任務だ」


 帳を抱き抱えたまま吹き抜けになったダンジョンの中を浮上していく。


 「……まて、よ」


 力を振り絞る。


 されど体は動かない。


 力を寄越せと誰かに願う。


 神よ


 悪魔よ、と。


 果たしてどちらが応えたのか、京の体に力が流れ込んでいく。


 「あぁあああああぁああああああ!!!」


 全身を白く輝かせた京が『勇者』の力を存分に漲らせた。


 スキルを唱える事もなく、意識することもなく京の体は『』へと至る。


 その光り輝く体の所々に黒い斑点が生まれると同時にその力を爆発させた。


 地下から昇る一等星。


 その力はまさに星の如く。


 一瞬にして灰との距離は埋まり、あと僅かで帳へとその手が届く。


 「うっとおしい」


 払いのけるように炎が京を薙ぐ。


 帳まであと一寸の距離は永遠に届くことのない距離となった。


 炎に呑まれ、その身を焦がして落ちていく。


 崩れ落ちていく中も、帳へと手を伸ばす京。


 遠くなっていく帳の顔が京の網膜に焼き付いていく。


 灰の指から漏れ出た濡羽烏の髪の色。


 月明かりに照らされたあどけない寝顔。


 灰の腕の中で眠りに付くその姿は天女のように美しかった。


 月夜の空だというのに、その姿はまるで、太陽を目指して翼を焼かれて落ちるイカロスのようであった。


 「かっは……!」


 背中を叩きつけた瞬間、京を呼ぶ声が聞こえた。


 しかし、それに応えるような気持ちが浮いてこない。


 今はただ、天を見据え続けていたい。


 「悪いことは言わない。もう探索者なんて辞めろ」


 「り……ん」


 「灰!!!次あったら絶対にぶん殴る!!いいな!!!」


 偉助の声が夜空に響き渡る。


 ────次はない。


 言おうとした言葉は何故か口に出ることはなかった。


 足元に魔法陣が展開すると共に、灰はこの場から姿を消した。





 偉助、京、優美、麗奈、摩耶華。


 その五人はあらゆる感情を刻み込まれて、長い1日にようやく終わりを告げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る