100億円契約の勇者と復讐の帝国 ~現代人、異世界で憎しみの連鎖を断つ~

アンギットゥ

第1章 契約、そして戦闘編

第1話 仙石空人、異世界に召喚される




 一昔前は、十一月になると街が白いベールに覆われていた札幌。しかし最近は、十二月半ばにならないと銀世界を拝めなくなった。


 北の大地の中心地であるこの都市も、三月の半ばになると道路がほぼ雪解けして、自転車やバイクが走れるようになる。かつて四月でも雪が残っていた頃に比べると、随分と過ごしやすくなったものだ。


 その札幌の街中を、仙石空人はバイクで走っていた。


 バイクの後部には、ブルーの保温機能付きバッグが固定されている。北欧発のフードデリバリーサービス「ウォルバーイーツ」の配達員として、空人はAIから指示された店で商品をピックアップし、目的地へ向かっていた。


 以前は自転車で配達していたが、効率を追求してバイクに切り替えてひと月。疲労が軽減され、配達効率が格段に上がったことで収入も増えた。唯一の欠点といえば、自転車特有の自由な楽しさを失ったことだろう。


「ちょっと寂しい気持ちもあるけどな」


 自転車のあの楽しさは実際に体験してみないとわからない。

 札幌という場所は冬で雪が降ったら自転車もバイクも役立たずだから変わりはないが、冬が来るまでに荒稼ぎしておきたいのでバイクにした。


 やりたいことが沢山あって金が必要なのと、シングルマザーになった妹の息子――つまり自分の甥っ子の将来のために金を稼ぎたい。

 

「さて、そろそろ目的地かな」


 ナビに導かれながら、東区のトンネルが視界に入る。

 トンネルに入った瞬間、視界が閉じた。

 すぐに視界が開いたので、気の所為かと考える。


 あるいは疲れているのかもしれない。

 数日様子を見て、悪ければ病院に向かおう。

 そんなことを考えているうちに、トンネルを抜けた。

 その瞬間、空人は目を疑った。

 目の前に広がるのは、街の景色ではなく、鬱蒼とした森だった。


「な、なんだこれ……?」


 思わずそんな言葉が出た。

 呆然と立ち尽くし、後ろを振り返る。そこにあるはずのトンネルは、影も形もない。


 それなのにいま自分は森のなかにいる。

 生い茂る木々が目の前に広がっている。

 幻覚を見ていると思いたいが、草木の落ち着く香りは森だと知らせてくれる。


 後ろを見れば、トンネルはいつの間にか消えている。

 悪い夢でも見ているのか?

 あるいは拉致されて、森に解き放たれたのか?


「幻覚か……? いや、それにしてはリアルすぎる」


 自分の手元に目を落とし、さらに驚愕する。手の甲から腕までを覆うのは青いアーマー。バイク用のグローブではない。触感は自分の手そのものだが、外見はまるでSF映画に出てくるような装備だ。


 水の流れる音が聞こえたのでバイクを降りて、そちらに歩いてみる。

 流れる水面で自分の今の姿を確認する。


「なっ、なんだこりゃぁ!?」


 空人は思わず叫んでいた。


 全身を覆うのは漆黒のスーツで、その上に直線的なデザインの青いアーマーが施されている。縁には黄色いラインが走り、腰には二本の日本刀が携えられていた。


「パワードスーツを着ているぞ? どうなっているんだこれは!?」


 自分の疑問には誰も答えてくれない。

 ヘルメットを脱げるか、両手で持ち上げてみたが動かない。

 ぴったりと固定されている。

 

 パワードスーツを脱ごうとしてみても、駄目だった。

 体のどこかに脱ぐボタンがあるかと探してみても、見つからない。


 バイクに跨がってみた。


「とりあえずバイクに跨がっているな」

 

 当たり前だが、なんの変化もない。 

 とりあえずバイクを降りて、押し歩きをしてみた。

 ここがどこかわからないが、ひとがいるところに出ようと思った。


 歩いて数分後。

 人の声が聞こえてきた。

 ただ怒号と悲鳴、そして聞き慣れない音――これは銃声か?


 逃げればいいのに、空人は音の方にバイクを押しながら走り出す。


 自分から厄介ごとに突っ込むタイプではない。

 むしろ逃げるのを身上にしている。

 ただなんとなく体が動いてしまった。


 音が聞こえてきたのは、森の開けた場所だ。

 そこに空人は駆け寄って、ヘルメットのしたで眉をひそめた。


 迷彩服を着用した小さい人が何人もいた。

 露出した肌は緑色で、醜悪な顔をしている。まるで漫画やラノベでおなじみのゴブリンだ。


 そのゴブリンがソ連製のアサルトライフル、AK47を少女に向けている。


 しかも少女の周りには騎士みたい格好をしたものたちが複数、倒れて動かない。

 手には西洋剣と盾を握っていた。

 全身の鎧には無惨な穴が空き、血が流れている。

 遠目からも絶命しているのがわかる。

 

 幻か、夢のなかか?

 あるいは自分は死んだのだろうか?


 答えの出ない疑問を振り払うように、バイクに跨がり、右手のアクセルをひねる。

 バイクを急加速、ゴブリンを弾き飛ばした。


 左手でブレーキを掛けて急停止。


「大丈夫か?」


 そう空人は少女に手を差し出した。


「ありがとうございます」


 少女は感謝の言葉を震えた唇で伝えてきた。

 無理もない、銃口を向けられて怖くないはずがない。


 体のすぐ側を銃弾が通り過ぎて、空気が破裂するような音が耳に届く。


 複数のゴブリンがAKを手に走りながら、銃弾を撃ってきている。

 不幸中の幸いなのは、AKの命中精度はあまり高くはない。

 走りながら撃つので弾はさらに当たらない。


 だがこのままここにいれば、いずれ当たるだろう。

 空人は少女を右手で引き、左手でバイクのハンドルを握りながら走り出した。

 状況を考えればバイクは捨てるべきだ。だがデリバリロイドとして、お客様にお届けする商品を置いたまま逃げたくはなかった。 


 それに――気のせいか、バイクが空気のように軽い。

 身に纏っているパワードスーツのおかげなのだろうか?


 木々のなかに飛び込めば、遮蔽物となって自分たちを守ってくれる。


 銃声とゴブリンの怒声が聞こえてくるが、構わず走り続けた。

 十五分ほど逃げ回った末、ようやくゴブリンたちを振り切ることに成功する。


「腹減ったな」

 

 こんな状況でも腹が減るんだな、と我ながら感心する。


 空人はバイクの後部に固定したデリバリーバック。

 その外側のポケットからアンパンをふたつ取り出す。


 フードデリバリーの配達員は補給食を持ち歩く。


 普通の人が食事をするお昼や夕飯のときはピークタイムと呼ばれ、デリバリーの配達員の稼ぎ時だ。しかし配達員も腹が減る。だから移動しながら空腹を満たせられる補給食を持ち歩くのだ。


「食べるか?」

「これは――なんでしょうか?」

「アンパンっていう、食べ物なんだが。まあ食べ方がわからないか。このヘルメット――おっ、外せた」


 空人はアンパンを脇に挟んで、両手でヘルメットを持ち上げてみせる。

 ヘルメットのバイザー越しではなく、肉眼で周囲を見渡す。

 肉眼とバイザー越しの視界は、寸分も変わらない。


 空人はヘルメットをバイクのシートに置いて、脇に挟んだアンパンを口に運ぶ。口に広がる甘すぎないパンと、胡桃が混ぜられた餡子が絶妙なハーモニーを醸し出している。


 端的に言って、美味い。

 胡桃のしゃきしゃきの食感と甘すぎない絶妙な餡子が口の中に混ざり合い、疲れを癒やす。

 

「やはり、ドンドンどんぐり―ズのくるみさんは美味いな」


 空人は満足げにため息を吐く。


「毒なんて入っていないから食べてみてくれ。口に合うかはわからないけどさ」

「はい……」


 少女は恐る恐る、アンパンを口に入れた。


「おいしぃ……」


 少女の目が輝く。

 その口からこぼれた言葉は、ほんとうに美味しいものを口にしたときに放たれるものだった。二口目を口に含む。


 ゆっくりと噛みしめるように、しかしどこか上品な仕草は彼女が高い教育を受けていることをうかがわせる。


 そんな少女の様子を見ながら、空人もくるみさんを食べた。

 自分が渡した食べ物を美味しそうに食べてくれるのを見ると、嬉しくなる。

 大事な補給食だが、分け与えてよかったなと思う。

 

 くるみさんを食べ終わり、空人はヘルメットを被る。

 素肌を晒していると肌が少し痛い気がしたからだ。


「ありがとうございます。私はセティヤ・フェッテ。フィウーネ王国の第三王女です。ちなみに一八歳です」

「仙石空人。三十二歳。デリバリーヒーローさ」

「デリバリーヒーローとは?」

「まあ困っている人たちに食べ物をお届けしてする仕事かな。俺たちがいるから飲食店が助かっているし、外出もままならない人たちや子育てで忙しい主婦にも感謝されているんだぜ」

「凄いですね、人々の役に立っているってことですかっ」


 セティヤは感嘆の声を上げた。

 こういう反応をされると少し恥ずかしい。

 世間では厳しい目も向けられる商売だが、こういう反応は嬉しいものだ。


「しかしまあ、フィウーネ王国か? 聞いたことないな」

「そうでしょう。あなたはエルデから来られたのですから」

「はっ? エルデ?」

「これは失礼しました。エルデとはあなたたちの地球のことを、我々は『エルデ』と呼んでいます」

「エルデねぇ」

 

 確かドイツ語だった気がしたが、はっきりとは覚えていない。

 問題は「あなたたちの地球」という言葉だ。

 薄々、察してはいたがここは自分が知る地球ではない。

 ゴブリンが存在して、AKをぶっ放すなど世界観が滅茶苦茶だ。


「あなたは召喚された勇者様です。ようこそ、エルデの剣士」


 セティヤは真面目な顔でいう。

 空人は思考を放棄したくなる。

 目の前の少女は自分が召喚された勇者だという。

 そして彼女は王女とのことだ。

 彼女のことを改めて見直す。


 一目でわかるファーストファッションとは格の違う豪華な黄色いドレス。

 高級品は一目でわかるものだ。


 そのドレスに見劣りしない整った容姿をしている。

 作り物かと錯覚するような上品で美しい少女だった。


 腰まで伸びた長い銀髪。はっきりした上品な目鼻立ちをしている。意志の強さを宿した黒い瞳は、忠誠を誓いたいと錯覚を覚えさせられるほど魅力的だ。頭を振るうことで正気を保つ。


 服のうえからでもわかるすらりと伸びた肢体。

 胸も下品な大きさではなく、かといって小さくもない。

 

 ――ひょっとして、人形なのではないか?


 そんなことを考えるが、人形には王族が纏うオーラみたいなものはないだろうなと考え直して、人間だと改める。


「この姿はその召喚された関係か?」

「はい。異世界召喚は別次元から世界を救える素質のある方をお連れする行為です。ですが次元間の移動は生身の人間には耐えられません。原子レベルで分解され、命を落としてしまいます。


 空人さまのその姿は、次元間の移動に耐えるための強化服であり、勇者としてこの世界で戦うための装備でもあるのです」

「原子レベルで分解とかサラッと怖いことを言うな。どうやってわかったんだ?」

「色々と試しまして」


 セティヤは苦笑する。

 それ以上は聞かない方がいい気がした。

 とりあえず、この姿の理由はわかった。


「脱げないのか?」

「この世界にある大気には魔素と呼ばれるものが含まれています。別次元の方の体には魔素が合わないらしく、長時間触れていると苦しみながら死にます」

「わかった、着ているさ」


 ヘルメットを脱いだあとに、肌がピリピリした理由がわかった。

 

「ちなみにスーツは一定の時間が経過すると、形態が変化します。例えば、初代勇者様は赤い手甲に変わりました。魔素から装着者を守る機能はそのままです」

「なぜ手甲に?」

「打撃技が多いかただったので手甲に変わったらしいです。こちらの世界に長期間いれば、魔素に体が耐えられるようになりますのでご安心ください」

「別に長期間いたくないけどな」


 すぐにでも元の世界に帰りたい。

 明日、ヤングジャンプにキングダムが掲載される。

 それまでには帰りたいが――多分無理だろうな。


「こちらの世界からあなた方の世界に移動する場合は、生身でも平気なんですけどね」

「それはどういう理屈なんだ?」

「この世界は大気中に魔力が満ちているので、エルデのかたは魔力に耐えられないようです。逆にこちらからエルデに行っても、なんの問題もありません」

「それも試したのか?」

「ええ」


 セティヤはまた苦笑した。

 秘密の多そうなお嬢さんだ。


「つまりこれは流行りの異世界召喚って奴か」

「流行りかどうかはわかりませんが、この世界を救っていただきたく召喚させていただきました」

「そうか……まあ話はわかった」





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