第20話 助手と担当者と
四月二十五日山笠の住むマンションの屋上にある貯水槽の年一回の定期点検が九時に始まった。そして九時半に浅草署の丘頭警部のところへ業者から通報が入った。
清掃員がタンクの蓋を開けようとして鍵が壊されていることに気付いた。
不審に思いつつ蓋を開けて中を懐中電灯で照らして驚愕し危うく梯子から落ちそうになったと言う。
人が浮いていたのだ。
それで慌てて作業を中止し警察へ通報したのが九時半という訳だ。
丘頭が部下から聞かされた発見までの経緯は大体そう言ったものだったわ。
業者から借りた酸素マスクをした警官がタンクの中に入り、遺体をブルーシートで包んでロープを巻き付けてから頭を上にして引っ張り上げる。大人の男の肩はすぼめないと点検口は通らない。数人がかりでゆっくりと引き上げて行く。
それだけで一時間を超える作業となった。
見ていたらホントにゆっくりゆっくりで見ていていらいらするほどだったわ。
屋上に寝かせて検視官や鑑識の調べが始まる。
相当期間水に浸かっていたようで腐敗が進み、見慣れているはずの丘頭でさえ目を背けざるを得なかった。
……
現場での調べで、
特に外傷は無く溺死だろう事。
手の甲はタンクを叩いて誰かに知らせようとしたのだろう皮が剝けて血が出た痕跡がある事。
スマホは防水になっていたのだろう。「かつら」とだけ入力した状態で発見された事。
上着のポケットからちぎれたボタンがひとつ、繊維片が少々入っていた事。
などが丘頭に報告された。
翌日、解剖所見が届いた。鑑識の現場での見立てに間違いは無かった。
死亡推定時刻は、三週間からひと月前の間とされた。
行方不明になったのが三月三十日の夕刻以降だから、行方不明になった直後か数日以内だろうと丘頭は考えた。
山笠の部屋は捜索願が出た段階で調べ、赤井川創語著の「貯水槽殺人事件」が発見されていた。
今回、まさにその通りの事件が起きたのだった。
「初動捜査で、本の通りの事を想定してみるべきだった」捜査会議で丘頭はそう反省した。
すると一人の刑事が立ち上がって「申し訳ありません。自分あの時屋上まで上がってタンクの蓋まで見たんです。施錠されていませんでした。引いても開かなかったんで何か仕掛けでもあるのだろうと勝手に決めつけて、……開けていればその時に発見できていたはずなのに、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げた。
「そうすると、五日の日にはもう鍵は無かったんだな?」
「はい、そうであります」
「いや、それだけでも死亡推定時刻が絞られる。今一歩だったがその反省を次回は繰返さぬよう心して掛かれ、良いわね」丘頭はその刑事にそう言って全員の方へ向き直り「山笠は……」と続けた。
「山笠は釧路の事件でも配送業者へ遺体を運ぶよう依頼した女に化けていた可能性もある。ボウガン殺人事件でもその名前を容疑者は口にしている。赤井川創語の取材ノートには誘拐殺人事件の被害者らが居酒屋で密談しているのを聞いていたなど、事件との関りが疑われる。三月三十日赤井川宅を出たあとの足取りと山笠の交友関係、仕事上の関りなどから捜査対象者を洗い出して、それから絞り込んでいきたい。良いわね!」
刑事の勢いのある応答に心強くする丘頭であった。
山笠の足取りを追っていた刑事から、行方不明になった日赤井川宅から午後五時半出たところまでは間違いない、と言う報告が丘頭に届いたのは会議の二日後だった。
三十日の夜に山笠宅近くのコンビニの監視カメラに桂が写っていたと報告が続いた。
すぐに丘頭が部下を連れて桂のマンションを訪ねる。
室内に招き入れられてソファに対座する。
「今、山笠さんの代わりに赤井川創語さんの助手をなさってるんですね」
「えぇ会社に言われて」
「それで山笠さんが殺害されたのはご存知ですか?」
「えぇニュースで知ってびっくりしました」
「それで山笠さんが三月三十日赤井川さんの家を出た後、行方が分からなくなってるので皆さんにお聞きしてるんですが、その日山笠さんに会ってませんか?」
「ひと月も前の話なんで良く覚えていないんですが、僕は一時赤井川先生の出版社の担当者だったことがあってその時には先生のお宅で良く会ったけど、担当が佐久間に代わってしまって会う事は無くなったんですよねぇ。だから会うとしたら先生のお宅へ僕が何か用事を言いつかった時なんだけど、無かった気がします」
「そうですか、三十日は会社から帰宅された後、外出されました?」
「えぇ年度末の仕事がひと段落して飲みに出てますね」
「誰かと一緒ですか?」
「えぇ同僚と三、四人くらいで居酒屋へ行ってますね」
「お帰りは?」
「その日のうちには帰ったと思います。みんなと一緒に帰ったから訊いてみてよ」
「帰った後は?」
「もう寝ましたよ」
「そうですか。実はその辺はお友達に聞いていて午後十時には帰ったようなんです。で、午後十一時十二分にあなたの姿が浅草に住む山笠さんのアパートの近くにあるコンビニの監視カメラに写ってたんですがどういうことでしょう?」
「えっ知らないなぁ。別人じゃないの?」
「いえ、あなたの着ているジャケットが写ってたんです。ちょっとクローゼット開けて見せて貰えます?」
桂は嫌だとも言わずにもそもそと動き出してその戸を開けた。
丘頭が中を見てそのパステルグリーンのジャケットを見つける。
「あぁ写ってたのこれですよ」そう言って手袋して点検する。
袖口のボタンがひとつ縫い糸が千切れた状態で無くなっているし、そのボタン近くの布地が引っ掻かれたように繊維がささくれ立っていた。
丘頭はひと目でそれが山笠の上着に残されていたボタンと同じだと思い「鑑識呼んでくれる」部下に命じた。
「桂さん、このボタンね、亡くなった山笠さんのポケットにあったのと同じに見えるのよ、ひとつ引きちぎられてたんですねぇ。今鑑識呼んだので照合させてください。違えばあなたは無関係ということになるんだし、良いでしょう?」
桂は渋い顔をしたが頷いた。
三十分待たされ鑑識が来た。丘頭は令状を渡された。
丘頭はそれを桂に見せてから詳細に衣類を調べさせる。
作業を見ていた丘頭はふとメディアレコーダーに電源が入っていることに気付いて「桂さん何か見てたの?」と訊いた。
「えっ、いや、消します」慌てて桂が消そうとするので
「待てっ! あなた見てたんじゃないでしょうね」きつく言って桂の動きを制止し若い刑事に「ちょっと、何か見てたみたいだから確認して」
刑事が画面を切り替える。
「あーっ! 桂、あんたまだ見てたのかっ!」
思わず丘頭は桂を怒鳴りつけた。
「鑑識さん、DVD出して、その機械に記録されてたら証拠取って」
桂がばつの悪そうな顔をしている。
「この機械預からせてね。ほかにコピーとかしてないでしょうね!」丘頭は桂を睨みつけて言った。
「あぁそれだけだ。もう見ないよ」桂が残念そうに言うので「ばかやろーっ! これあんたが心美さんに暴行した証拠でもあるんだっ! 忘れんなよ!」丘頭は怒鳴り付けながらも媒体の回収が出来てホッとした。
鑑識の作業が終わって引き上げる
「結果が出たら知らせるけど、今日と明日出かける予定は有る?」
丘頭が言うと桂はかぶりを振った。
部屋を出た後、丘頭は部下に張込を命じて引き上げた。そして心美に知らせるべく優しいお母さんのような顔をして走った。
二日後、鑑識からボタンと繊維片が同一だと報告が入った。
丘頭は即逮捕状を取って桂を連行するよう命じた。
*
中野署の飯沼警部からもらった調書の写しに目を通した一心は、質問をペーパーにして静と美紗に渡し春奈のところへ訊きに行かせていた。
病室に現れた静に早速訊く。
「佐久間春奈の逮捕が目前だな。ただ、春奈はどうしてストーカー被害を受けていると警察に相談しなかったんだ?」
「へぇ、春奈さんはストーカされていない言うとりまんな」静がメモを見ながら言った。
「ふーん、どういう事だと思う? 近所の目撃もあるのに……」
「せやなぁ、越中ちゅうお方が直接は春奈はんにおうてないちゃうことかいな?」
「写真撮って、部屋を外から覗いて……だけど直接は何もしてない? そんなストーカーいるのか?」
「へぇ、あても疑問に思うて桃子はんに訊きに行ったんや。ほしたらな、あり得る言うとりました。そこまでする勇気が無い場合、玄関前まで行くんだけど、そこまでちゅうお人もおるんやて」
「なる、警部が言うならそうなんだろうな」一心は納得は出来ないが理由は分かった。
「だけど、指紋に監視カメラの映像だろう。それに服装なんかの証拠もあるのに何故否定するんだ?」
「それはな、春奈はんはしてないもんはしてない、言うとりまんな」
「ふふふ、苦し紛れに聞こえるがな。でも、確かに言う通りだ」
「へぇ、でな、変装道具をどないして捨てはらへんかったんかいなと訊いたらな、何年も着てるさかいて言うてましたわ」
「静、昔そのコート着て撮った写真送ってもらってくれ」
春奈の言う通りなら偽装の可能性がでるなと一心は思い描いていた。
……
静の携帯が受信音楽を奏でる。
「来ましたで、ほら」静が携帯を手に取って一心に見せる。一年程前に友人と遊園地に行ったときのもののようだ。
「なるほど、春奈の言う通りだ。ってことはだぞ、誰かが春奈に罪を着せようとしたんじゃないか?」
「えーとぉ、そうそう美紗がな春奈はんの監視カメラで写された映像とな歩く姿を動画に撮ってくれたら照合できるぞ、と言っとりましたな」
「おーそうだ。静それすぐ手配してくれ」一心はすっかりその手があるのを忘れていたのだった。
一心は中野署の飯沼警部にその旨連絡した。
次に一心は誘拐殺人事件の捜査資料に目を通した。
「静、果歩の周辺に赤井川以外で何か無かったか?」
「へぇ心美はんの周辺も一助に調べてもろうたんやけど、恋人も殺されて、桂はんとは一度きりやったようやし。そもそも心美はんは桂はんを嫌ってるようやて」
「ふーん、そう言えばトリカブトの山地は分かったのかな?」
「へぇ資料に書いておますで。えーっと、……八王子の高尾山周辺に生息するものですて。トリカブトでも《ヤマトリカブト》言う名前らしいで」静は資料を一枚一枚捲りながらその場所を探して言った。
「あれー、そういやぁ誰かが《高尾山》言ってたよなぁ。……」
……
「せや、赤井川せんせが徘徊するちゅうて山笠はんが事務所に来た時にな、始めに挨拶して色々話したときや、山笠はんが、 ’図体ばかりでかくてスポーツやってるように見えるけど、からきしで読書の方が好きなんやて、ただ山登りは好きでよう八王子の高尾山行く’言うてましたわ」
静が思い出してくれた。一心は取材ノートかネタ帳でそれを見たのだった。
「そうだ、つまり千図と海氷を毒殺したのは山笠という疑いが強い」
「果歩はんもでんな?」
「その可能性はあるがだ、じゃ、何で山笠がふたりの犯人を殺した? 果歩も殺す動機はあったのか? あーそこが問題だ」そう言って一心は頭を掻いた。
「なんや、シェークスピアみたいやな。ふふっ」
静が一心の好きな笑顔を浮かべた。何故か一心までにんまりしちゃうぜ。
「そういや、前に桂がボウガン殺人の犯人じゃないとしたらって言ったよな? それどうした?」
「へぇ行き詰っとります……あんはんは何か思いつかはったんかいな?」
「俺はな、山笠が桂に桃川心美のこと、若井のことを吹き込んだんじゃないかと思ってるんだ。そう考えると、桂が強情に否認する理由も浮かんでくる」
「あてらもそこまでは思いましたんや、しかしどす、何で山笠はんがそないなこと言わはったのか? そこですねん」
「だからそこを調べるんだろう?」
「せやけど、山笠はんと若井はんは何のつながりもおまへん。桂はんとも仕事上ちょっとの間だけ赤井川はんとこの仕事で関わっただけですがな。事件に繋がるようなトラブルはおまへんどしたえ」
「かもしれんが、山笠は釧路へも行ってるし、毒殺の可能性も高い、……そうだ、越中の事件で配達業者へ行ったの春奈じゃなくって山笠じゃないか調べてくれ。動画を美紗に照合させてな。至急だ!」
一心はもしそうなら殺人事件に何故か山笠が関わってる。そして山笠自身も殺されてしまった。
モヤモヤした中に微かに光が差し込んできた気がした。……いや、しただけかも……
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