第5話 サイン会

 ちょっとわくわくした出来事があった翌日、山笠颯太は、朝から情報収集のために日を空けず訪れている警視庁で九年前に婦女暴行事件を起し七年前にその被害者の彼氏を殺害した犯人が、七年の刑期を終えて今日出所するという情報を得た。

その男の名は千図時明(せんず・ときあき)と海氷翔琉(かいひょう・しょうりゅう)という品川に住んでいたふたり。

山笠は早速取材ノートに記録し、加害者と同じ品川に住む被害者宅へ足を向けた。

暴行事件の被害者の父親が経営する《貝塚調剤薬局》の自宅玄関に回ってインターホンを押す。

作家の助手と名乗って「娘さんのお参りと、少しお話をお聞かせいただけませんか」と言ってみた。

数拍の間があって「どうぞ」

奥さんだろう女性がドアを開けてくれた。

供物を供えて手を合わせ言われるままに応接ソファに掛ける。

「突然、申し訳ありません」と前置きして。

「お父さんとお母さんの今のお気持ちを伺おうと思ってきました」

母親は遺影に視線を走らせて「訊いてどうするんですか? 小説にでも書くんですか?」

思い出したのか目頭を押さえている。

「いえ、事件を直接書くのではなく、心情を踏まえた上でそう言った場面での言葉や行動を考えるんです」

「そうなんですか。……あまり話したくはないんだけど、わざわざ来ていただいて、それにあの有名な作家さんの助手さんなら、……実は、私も主人も赤井川創語さんの小説は殆ど読むほどのファンなんです。主人はどう言うか分かりませんが、主人と私で思いは同じではありませんでした……」

恵美(えみ)という奥さんは思い出をしみじみと一時間近くに亘って話してくれた。

そこに見えたのは、悲しみ、苦しみ、寂しさ、未来を失った辛さなど内側に向いた沈む気持の数々だった。

「主人と交代しますね」涙を押さえながら立ち上がって店の方へ行った。

やや間があって、ご主人貞則(さだのり)が対座してくれた。

「俺は復讐しようとあれこれ考えたさ、本人へ、家族へ……だが、出来んかった。やっぱり娘の笑顔が瞼に浮かんで ’お父さん、復讐なんて止めて! 私は短いけど十分に幸せだったから、その思い出にお父さんが殺人者だなんて言う不幸を加えないで! ’そんな風に言ってるような気がしてねぇ……」

眼鏡を外して涙を拭う。

「すみません。辛い思い出をお聞きして」

「いや、赤井川創語さんの力になれるなんてこんな名誉はないので……あのー、あとで先生のサインを頂けないですか?」

「はい、そのくらいお安い御用です」

そう言うと父親が涙目のまま微笑んでくれた。

「それと、加害者のふたりが出所するようなんですが、ご存じで?」

言った途端に表情ががらり変わる。

「何! あのふたりが……」いきなり目も眉も吊り上げて鬼の形相となり、「いつ? いつなんです?」おぞましいような言い様に……。

「どうするんです? まさか復讐なんて考えてないですよね?」あまりの父親の変貌を見て山笠は心配になった。

「えっ、い、いや、そう言う訳では、で、何時?」山笠の問いかけで我に返ったのか憎しみを腹に収めて平常心を装って言ってると読み取れたが、どうせ自分が言わなくても簡単に調べられる話なので、

「えぇ今日です。もう出所したと思います」

父親はキッと柱時計に目を馳せ、とうに過ぎていることに気付いて肩を落とした。

「余計なことを言っちゃいましたかね。申し訳ありません。サインを必ず持ってきますから変な考えは止してくださいね、娘さんも喜びませんよ……」

山笠はかなり心配になった。

そこへ来客のようだ。店先で話し声がして話し主の男性が姿を見せる。

山笠が頭を下げると

「あなたが赤井川創語さんの助手の方ですか?」と訊いて来る。

そうだと頷くと「いやー僕もファンなもんでサインをお願いしてもいいでしょうか?」

自分が誰だとも名乗らずに言うので「あのーどちら様です?」

「あぁ済みません。焦っちゃって、僕は田畑時臣(たばた・ときおみ)といいます。彼の友人です。家族ぐるみで仲良くさせて貰ってます」その男性が愛想よくにこにこして言う。

「田畑さん、……」貝塚貞則が強めの声掛けをした。

田畑が、えっと顔を貝塚の方へ向けると「千図と海氷が今日出所したんだと」と告げた。

「あのー田畑さんていうと七年前にそのふたりに殺害された田畑康介さんの……」山笠が遠慮がちに言うと

「そうです。あの鬼畜生に殺された康介の父親です」そう言って貝塚と並んで山笠に対座した。

「そうだ赤井川さんの助手さんなら警察が掴めなかった事件の背後にあるものを聞いてください」

田畑と言う男、本当に何かやらかしそうな雰囲気があるなぁ……山笠はそう感じた。

「事件の背後ですか?」

「えぇ奴らが娘を何故襲ったかと言う理由です」

「何か特別なものがあったという事なんでしょうか?」

「えぇそうなんです。田畑さんの息子の康介くんが殺害された事件を捜査していた警察が、滋賀果歩(しが・かほ)が加わっている悪仲間のふたりの犯行だと突き止めて逮捕したときに、家宅捜査で咲良(さくら)の持ち物が見つかって、DNA鑑定の結果そのふたりが暴行犯だったことが明らかになったんです。しかしその動機をたまたまそこにいたから狙ったとしか言わなかったため果歩にまで捜査の手が及ばなかったんです。そうじゃないことを咲良の友人の証言として警察に訴えたんですが、結局証拠がなくて事情聴取くらいで終わってしまったんです。ふざけやがって……」

貝塚は眼鏡を掛け直してそのレンズの奥から憎しみの籠った煮えたぎるような眼差しを山笠に向けた。

「果歩は暴行事件の後康介くんに言い寄ったらしいけど、にべもなく断られたんです。それを康介と仲の良かった友達が教えてくれました」田畑も拳を固くして膝の上で震わしている。

貝塚は唇を噛んで血を滲ませじっと田畑の話しに頷いている。

「いやぁ僕が来たばかりにおふたりに嫌な思いさせちゃって申し訳ありません」

山笠は聞取りに来たはずが情報を提供してしまったことで、ふたりの父親の怒りに火をつけてしまったようで助手としての仕事に失敗しただけじゃなく、下手すると事件を誘発させてしまうかもしれないと悔いた。

ふたりは何やら目で言葉を交わして

「いえ、いずれ分かることですから気にしないで下さい。それよりもサインの方宜しくお願いします」

田畑はそう言い残して腰をあげた。

山笠も潮時を感じて立つ。

何となくふたりに復讐の熱を感じて、やばかったかなとの思いが繰り返し湧き上がり先生に正直に話しておいた方が良いだろうと思った。

山笠は玄関を出て自分の気持ちのような曇天を見上げ、録音器を停止して赤井川宅への道を急いだ。

 

 

 浅草在住の桃川心美(ももかわ・ここみ)はぽっちゃりとした体形の女の子で、両親を知らずに育ったことを気にし過ぎて暗い性格だと言われるようになっていたんです。でもある人が「笑顔を絶やさずに」と忠告してくれて、そうだなと思いそれを心掛けるようにしていたら高校生時代は女の子ばかりでなく男の子からも好かれるようになっていたんじゃないかな。別に自慢話じゃないですよ、友達としてという意味ですからね。

高校を出ると事情があってすぐ浅草の書店で働き始めたんです。

中学生のころからバイトをしていたので仕事は慣れているはずと思っていたんですけど社員となると責任も持たされるし全然違うと思いました。でも、ここで働くしか生きて行く術がないと思って頑張っていました。

務めてから数年して若井碧人(わかい・あおと)という十歳年上の男性と付き合うようになって始めのころはすごい幸せだなと感じていたんですけど、碧人が務めていた出版社を突然辞めてしまい小説家になると言い出したんです。

でもさっぱり机に向かう姿を見せてくれないので心美の悩みの種になっていました。

 そんな心美の働く店で赤井川創語の「活き造り冷凍殺人事件」の出版記念のサイン会が開かれることになり一挙に慌ただしくなりました。

そんな話を碧人にすると「それは良いチャンスだ。お前そいつと仲良くなって小説のネタとか取材したノートとか盗んで来い」と言うんです。心美には人の物を盗むなんて信じられません。

 心美は赤井川作品を漏れなくと言って良いほど読んでいました。碧人は、心美が買って来た本を暇に任せて読んでいたんですけど……。

それでも熱烈なファンに違いは無いですよね。

「そんな泥棒なんてできるわけないし、したくない。碧人ちゃんと働いて! 私あなたの面倒までみる余裕なんてないんだから!」

何回も強く口にしているけど碧人は子供のように口を曲げて聞き入れず、パチンコへ行ったりするんですよ。信じられません。

そして碧人はこう言うんです。

「心美、少し書こうと思うんだけど、お金が無くって話を訊きにいけないから少しくれない」

いつものパターンなので嘘とは分かっているの、でも「もしかして……」と言う思いから三千円とか五千円とか渡してしまうんです。

愛想は尽きているんですけど、放っては置けない損な性分だと心美は分かっているのにどうしようもないんです。

 

 サイン会のひと月くらい前からのぼりを立て、窓ガラスには告知ポスターを貼りました。

数日前には出版社の友池佐知という担当者が来てサインをする場所、テーブルや椅子の配置のほか、販売する本を置く場所や置き方など細かく指示をしてくれました。

前日の営業終了後に言われたままに社員総出で準備に追われ、当日、開店と同時に佐知が来て、準備の状況を確認してくれたんです。

「まあ大体良いでしょう。あと先生が来たら、お茶、水差しに水、おしぼり、ペン。大丈夫ね?」

佐知さんの厳しい言い方に店長も私たちもみんな、どきどき、はらはらしながら従っていました。

 

 先生が来たのは十時少し前、奥さん同伴で如何にも作家風な着物姿で現れ、すでにサイン待ちの人達に手を上げて挨拶しながら一旦店奥の事務所に入りました。

十時半先生が席に着くと「お待たせしました。これから赤井川創語先生のサイン会を始めます。ご希望の方は新作活き造り冷凍殺人事件を一冊購入されてお並び下さい。その表表紙の裏面に先生がサインをなさいます」

佐知さんが開始を告げサイン会が始まったんです。

心美は、水やおしぼり、サインペンの用意をし先生が着席するときに「済みません最後に私にもサインを下さい」と言って本と色紙をテーブルの下の棚に置いてぺこりと頭を下げました。ずるじゃないですよ。役得かな?

そして先生の後ろに立って細々とお世話をしていたんです。

 しばらくして何か強い視線を感じてその方向に目をやると、出版社の佐知さんが心美を見詰めていると言うか、睨みつけているようなんですよ。

気になったけど意味が分からない……。気のせいかな? とも思ってました。

そのまま休憩時間になり心美が先生を奥の部屋まで案内し、あとを店長に引き継ぎました。

そして店内に戻ると、待ってましたとばかりに佐知さんが寄ってきて、

「あんた赤井川先生のファンなの?」

少し不満げに強い口調で訊いて来るんです。

そうですと答えると、「何処まで進んでるの?」

心美は色々思い巡らせたけど理解できずに「どういう意味でしょう?」と返すしかなかったんです。

そうしたら佐知さんが「あら、分かんないの。抱かれたのかと訊いてんのよ」目に角を立てて言ったんです。

思いもしない破廉恥な言葉に驚きと恥ずかしさで心美は自分の顔が真っ赤になっちゃうのが分かりました。

「怪しいわね。言えない関係ってことね」そう言って佐知さんは自分の持ち場に戻って行ったんです。

その後も佐知さんは先生の隣で本を売りながら、心美の方へ尖った目を向けてくるので怖かったです。

心美はなるべく気にしないようにして先生のお世話をしていると、サインを貰った帰りがけのお客さんにお礼を言って頭を下げていた奥さんが、嫉妬深い目を佐知さんの方へ放っているのに気付きました。

だけどその奥さんが時折心美の方へ嫉妬とは違う、……何か、異様な感じのする目付きというのか? で心美を見詰めていることがあったんです。

年上の女性ふたりから何か鋭い目を向けられて心美はたじたじとしてしまいましたねぇ。

赤井川創語先生の一ファンとしてお世話しているだけなのにどうしてだろう? 腑に落ちない一日でした。

 

 

 

 赤井川創語先生と奥さんの沙希からほぼ同時に「桃川心美を詳しく調べて」と言われた山笠は尾行を始めた。

一週間尾行してみて、心美は自宅と職場とスーパーの三カ所以外へ行くことがなかった。

女性なら服飾品とか化粧品とかどうしてるんだろうと気になるくらい出歩かない。

ある日そんな彼女を尾行している男に気付いた。週に二度、三度と見かける。

獲物を狙う野獣のような血走った目で彼女を見詰め写真を撮ったり、スーパーの二階へ通ずるエスカレーターではスカートの中を撮影しようとしている。

山笠はその怪しげな男を尾行した。

電車に乗って日本橋で乗り換え東西線で中野駅で降りる。

線路沿いを西向かって十分、住宅街の中を通って二階建てのアパートの二階へ。

部屋は一番奥のようだ。傍まで行き表札を見ると「越中悠(こしなか・ゆう)」と書いてある。

すべて取材ノートに書き込んだ。

 翌朝は越中のアパートから尾行を始める。

徒歩で同じ町内にある宅配業の看板の掲げられている会社へ入って行った。

じっと様子を窺っていると、その会社の制服を着て軽トラックを車庫から出し荷物を幾つか積んでいる。

ここの社員のようだが、さすがに配送車をタクシーで追っかけるのは無理なのでそれは翌日に回し、今日は警視庁とか消防署とかいつもの情報収集先を巡ることにした。

 

 翌朝は車で越中の務める会社の近くで待機し、越中の運転する配送車を尾行した。途中で人気のない公園で車から降りたので何かしでかすのかと思って注視していたらトイレだったので一気に力が抜けた。それ以外特段怪しげな動きはなく一日が終わった。

 越中は帰店して着替えるとファーストフード店で食事をし、駅に向かった。山笠もその駐車場に車を停めて続く。

東西線に乗って途中乗り換え浅草駅で降りた。

山笠が時間をみると心美の仕事が終わる五時までは一時間ある。

すると駅のエスカレーターを上がっては降りてを繰り返し、ミニスカートの女性の後ろについて手元にスマホをちらつかせている。心美ひとりを追いかけ回すだけじゃ気が済まずにそんなことまでやってんのかと山笠は呆れた。

時間になると心美の後を追い回し、自宅まで行ってからは夜の公園などのカップルの行きそうな場所を歩き回り、最終電車まで暗闇に紛れ撮影を繰返し、浅草を離れた。

その行動を細かく取材ノートに記載した。

 

 数日後、創語先生が夜中に自宅を出た。盗聴器がそれを山笠に知らせてくれたので、山笠は飛び起きて後を追う。

心美のアパートの周りをうろうろしたあと、タクシーで中野の越中のアパートまで行ってそのあたりを徘徊している。

特に何をするわけでもなく三十分ほど歩き回りタクシーで自宅へ戻った。片道七千円を超えた。しっかり領収書を貰う。

 

 一週間後、創語先生に呼ばれ書斎へ行くと、

「おい、あの越中ってやつな心美のストーカーだな。どんな心境なんだろうな? おまえ興味ないか?」

いきなり問われ返事のしよう無くて首を傾げていると、

「分からんかったら、やって見てくれ」と言う。

「いや、ストーカーって振られたり、告白できない奴が、気持を押さえきれずに付け回すとかですよね。だから、やれって言われても相手が居ないので……」

山笠が言ってるのに「ひと月位あれば、心境分かるだろう? 頼むぞ」

創語先生はそう言って机に向き直りパチャパチャとキーボードを叩きだした。

そして部屋を出ようとする山笠に顔を上げもしないで「やれって言ったらやれ」と呟くように言った。

 入れ替わりに奥さんが入ってきて先生の耳元で何やら眉を吊り上げ囁いている。先生も口を尖らせて応じている。

書斎を出るとふたりの言い争う声が山笠を追いかけるように聞こえてくる。

山笠は盗み聞ぎでもしたい気分だが押さえて、全然気乗りしないが外へ出てストーカーの対象となるような好みの女性を探し始めたのだが……。

そもそもストーカーする相手を探すなんてナンセンスだと思ってるから余計見つからないのか?

ぶつぶつ言いながら兎に角歩く。

雷門から駅まで浅草寺周辺を二時間も歩いて、やっとひとりの沙希似の女性に巡り合えた。もうその女性しかいないと半分はやけで、無理矢理自分好みの女性だと言い聞かせ尾行を始めた。

スト―カーのやることを調べると、尾行に待ち伏せ、自宅付近のうろつき、面会要求、無言電話のほかに直接暴力を振るうこともあるらしい。その中から通報されない程度のことをやってみることにした。

……

 

 二週間ほどやって、細かくその内容をネタ帳に書いて創語先生に渡すと、創語先生はじっくり見た後

「おまえ、この女好きじゃないだろう!」一蹴された。

「ですから、好きでもない相手にストーカーをやってみろって言う方が無理なんですよ」

半分涙目になりながら創語先生に訴えた。

創語先生は「ふん」と鼻で笑ってキーボードに向かう。

「だから端から言ってるのに……」山笠はひとりごちる。

気持が収まらず外へ出て転がっていた石ころを思いっきり気飛ばした……。

 

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