カレン五世の物語 第5話
八百五十年六月四日
最低限の警備隊を帯同した王の休暇はそれほど特別なものではなかった。
よくあることではなかったが、カレン五世が王妃と共に別荘を訪問することは以前にもあった。
八百五十年六月には特別に招待された客がいた。
ヴェルト・ピエロというヒストリアの詩人だった。
彼を招待したのはカレン五世だった。
人々はヒストリアで生まれ育ち、故郷の芸術を愛していた王妃へのプレゼントだと思っていた。
八百五十年六月四日は王が休暇に行って三日目の日だった。
その日、カレン五世は庭園に向かっていた。
そこにテネズとヴェルトがいるだろう。
高尚な彼らは満開の花の中で優雅な言葉を詠んでいるはずだ。
あの汚らしい母親たちを見たか。奴らが絶対に父上の子だと貴様は信じてるのか
カレン五世はジャケリの言葉を思い出した。
やはり、一番目の王世子だけのことはあり、彼の言葉は間違っていなかった。
我々が皆、同じ父の子供であるとどうやって確信できたのか。
確かに……皆不幸な運命を辿ったところを見ると、いかにも彼の言葉には一理があった。
カレン五世の唇はいつの間にか、ぴくぴくと嘲笑の形に歪んだ。
無数の薔薇の蔓をかき分けて行くと、本当に絵画のように二人がいた。
芸術家を愛する王妃と一生刃の代わりにペンを握って生きてきた芸術家。
彼らのうち、庭園の香しい香りが似合わないのはカレン五世だけだった。
その全てがカレン五世のものであるにも拘わらず。
彼らはどんな話を交わしているのだろうか。
こっそりと隠しておいた愛の果実がどこに消えたかについてだろうか。
それとも、最善を尽くして遠ざけたのに、再び出会ってしまうと押さえられない二人の恋情についてだろうか。
庭園の絵の中からカレン五世が蛇のように「ぬっ」と現れると瞬く間に空気が凍りついた。
ヴェルトは一歩後ずさりし、テネズはベンチから立ち上がりカレン五世に歩み寄った。
「ヴェルト・ピエロ、君はこれから連行されることになる」
「そ、それは、どういう……」
「理由を俺に訊くな」
テネズの眉間にほんの僅かに皺が寄った。
「殿下。一体どういうことですか」
「警備隊は、この者を連行しろ! 王妃を暗殺しようとした!」
カレン五世はテネズを見つめながら大声で叫んだ。
恐らく数分以内に警備隊が来るだろう。
テネズはヴェルトの前を塞いだ。
「いくら王とはいえ、こんなことは許されません。私が何もなかったと証言します」
「そなたたちも無罪を主張することはできない。守るべきものがあるではないか」
その時、警備隊が駆け寄り、ヴェルトを連行した。
テネズが何かを言おうとしたが、ヴェルトが手振りでテネズの言葉を遮った。
彼らが消え、この絵画のような庭園にテネズとカレン五世だけが残った。
長く続いた沈黙を破り、テネズが口を開いた。
「……罰だというなら一緒に受けます。でも、私たちには罪がありません」
「元々、罪のある者だけが罰を受けるのではない」
「私はあなたに会う前から……」
「俺は今日悟ったことがある」"
カレン五世は。これ以上聞きたくないという風に、テネズの言葉を遮った。
ヴェルトとテネズの関係はずっと前からのもので、その時間に比例して親密なものだった。
しかし、彼らの関係には最初から不安がつきまとった。
どんなに新興貴族が勢力を得て、
商人や芸術家たちの地位が高くなったといえど、
王家の血筋たちの婚姻は自由ではなかった。
テネズはカレン五世と結婚した直後に妊娠した事実に気が付いた。
もし、テネズがヴェルトの子を授かっていなかったら、
そして、ヴェルトとの記憶を遠い初恋として葬ることができていたら
よかったのかもしれない。
長い時間が過ぎ、この陰鬱な王を理解できる日が来たなら、本当にもしかしたら、彼を愛せていたのかもしれない。
「俺はそなたが他の者と違い、俺に何も望まないからよかった。また、そなたが他の者と違い、俺に安っぽい笑みを売らないからよかった」
テネズは唇を嚙み締めた。
「だけど、気が付いた。何も望まない者には何も与えてやれないということを」
「王がお望みのことなら、何でもします。ですから……」
「残念だが、そなたにはもう俺が望むことは何もできない」
「罷免も死刑も受け入れます!」
「そなたの命に価値があった時期もあった。それができる覚悟があったなら、四年前に死ぬか、殺すかできたはずだ」
「殿下!」
「それほど自身の心が大切だったのなら、王室の者たちの事情などに、なぜそなたが気を遣わなければならなかったのだ」
「あの時は仕方がなかったのです!」
「……簡単なものだな。ならば、俺もその台詞を使わせてもらおう。俺も仕方がなかった」
テネズを見つめるカレン五世の目は冷え冷えとしていた。
「今後そなたが望む物は全て、水一滴であろうと、俺から受け取ることはできない。死を望んでも死ねないということだ」
カレン五世はそのまま背を向けた。
病床に伏せていた父の言葉が思い出された。
お前は至極孤独となるだろう。
お前は至極孤独となるだろう。
お前は至極……
父と同じくらいの王になろうとした。
孤独がそんなに大したことなのか。どんな孤独も生き残ることに勝ることはない。
王になった者は王冠を脱いで生きてはいけない。
王は王であるということ自体が、
生き残ることと同じだということをカレン五世は既に知っていた。
数日後、ヴェルト・ピエロは王妃暗殺未遂の罪で処刑された。
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