永久凍土
あべせい
永久凍土
ある家庭。
その家の主婦乃那が帰宅すると、夫の為之がテレビを見ながら、何かを食べている。
「ただいま」
「お帰り。早かったな」
「同窓会って、つまンないわ」
「そうか。あんなに楽しみにしていたのになァ」
「あなた、何しているの?」
「うまかった。これを食べていたンだ」
イチゴの絵が描かれている化粧箱を示す。
「イチゴじゃないの。どうしたの」
「さっき送ってきたンだ。おまえも早く食べろ。半分、冷蔵庫に入れておいたから」
「高級イチゴね。確か、1粒千円もする。6粒残っている。この詰め方だと、元々12粒詰めてあったのね……1万2千円の贈答品! だれ、だれから送られてきたの」
「おまえ、この前、お取り寄せしたと言っていたろう。それじゃないのか」
「わたし、イチゴは注文してないわ」
「それじゃ、おまえの知り合いじゃないのか」
「送り状があったでしょ。包装紙はどうしたの?」
「破って捨てた。そこのゴミ箱に入れた」
乃那、ゴミ箱を覗く。
「これね。包装紙に送り状が貼ってあるから、お礼しなくちゃ」
送り状を読む。
「送り主は……港区神谷8丁目、知田西浴……聞いたことがないわ。あなたの知り合いじゃないの」
「知田? そんな知り合い、いないぞ……」
「待って、受取人欄は、『知田夕』! あなた、タイヘン、うちの届け物じゃないわ!」
「なに!?」
「うちは和田、この受取人は、知識の『知』に田んぼの『田』と書く、『チダ』さんと読むのか、それとも『トモダ』さん、どちらかだろうけど、うちじゃないわ。そういえば、このご近所に、よく似た名前の人が越してきたって。この前町内会の清掃があったとき、お隣の奥さんから聞いたわ」
「いまごろ、そんなことを言われても……」
「これって、知田さんから、知田さんに送っている。ご親戚かしら……」
ピンポーン。
乃那、インターホンに出る。
「はい」
「さきほど、お邪魔した宅配業者ですが……」
「あなた、取り戻しに来たわよ。どうするのよ」
「おれが追い返す」
為之、玄関に行きドアを開ける。
宅配業者の制服を着た為之と同年配の男性が顔を出す。
「申し訳ございませン。さきほど、お届けしたお荷物なンですが、ございますでしょうか?」
「どういうことです?」
「実は、こちらさまにお届けする荷物ではなかったもので……」
「誤配?」
「こちらのミスです。配達の者が、知田(チダ)さまとこちらさまの和田さまを取り違えました」
「配達に来たのはもっと若い男性だった。あなたじゃないな」
「別の者です」
「どうして、その男性が来ないンだ」
「彼はたくさん配達を抱えていまして、いまもその配達に追われています」
「あんたは?」
「失礼しました。わたしは、集配センターでトラブル処理を担当しています。それで、お届けしたお荷物ですが……」
「あれはもう、ない」
「ない? あのォ、なくなったということでしょうか?」
「そうだ」
「荷物の外箱には、イチゴの図柄が描かれていて、中はイチゴのはずですが……」
「そうだ。大粒の。あれだけ大きいイチゴを見たのは初めてだ。無花果くらいの大きさがあった」
「それを全部、お召し上がりになった? お届けして、まだ30分も、たっていませんが……」
「あんなものは、10分もあれば食べられる」
「12粒全部ですか?」
「あんた、よく知っているな」
「短時間であのイチゴ12粒を全部食べるのは、よほどの大食いの人でないと、不可能です」
「ウーム……半分、残っているが」
「申し訳ございませんが、その半分をお戻しいただけないでしょうか」
「それは出来ン」
「どうしてでしょうか」
「半分戻して、どうしょうというンだ」
「半分でも、お届け先にはお詫びになります」
「ダメだ。イチゴには、もう練乳をかけた」
「練乳をおかけになった?」
「家内はイチゴに練乳をかけて食べるのが好みなンだ。悪く思うな」
「練乳はふつう、召しあがる直前にかけるものではないですか?」
「余計なお世話だ」
「本当でしょうか?」
「かけたンだ。かけたものは仕方ない」
「本当に?」
下から、為之の顔をのぞきこむ。
「あんたは、しつこい!」
「致し方、ありません。では、ご迷惑をおかけしたお詫びは後日改めてということにします。この度の配達事故の賠償請求に関しましては、その責任の半分をおとりいただくため、こちらにサインをお願いします」
文書を示す。
「責任の半分!?」
「送り主さまから賠償請求が行われた際、当方と共同で損害の賠償に当たるという覚え書です」
「どうして、うちに責任があるンだ! 誤配したのは、そっちだろう!」
「和田さまと知田さまを取り違えましたのは、当社の配達員のミスです。しかし、そのミスに気づかずに、よそさま宛てのイチゴをお召し上がりになったのは、そちらさまのミスでございます」
「な、なンだ! うちに届いたものは、うちのものと思って何が悪い!」
「悪くはございません。どなたにも、間違いはございます。ただ、間違いは正さなければなりません」
「あんたいくつだ」
「42ですが……」
「おれと同じだな。あんた、同じ年恰好の相手に、そんな説教をして恥ずかしくないのか」
「仕事ですから」
「仕事だったら、どんな恥ずかしいことでもできる、っていうのか。嘆かわしい時代だ」
「サインをお願いします」
「そんなものに、だれがサインするか。帰れ! 帰って、社長に言えばいい。『このトラブルの当事者は、他人のイチゴを無断で食べて平然としています。裁判に訴えるしかありません』ってな」
「かしこまりました。では、そのように取り計らいます」
男性、出ていく。
乃那、イチゴの空箱を手に現れる。
「あなた、大丈夫? 裁判になったら、どうするの。(箱を示し)こんなイチゴのせいで。といっても、高級イチゴだけれど……」
「あれは、あの会社のマニュアルだ。1万2千円ごときで、だれが裁判をするか。おまえは早く食え。取り戻されないうちに」
再び、インターホンが鳴る。
乃那がドアを開ける。
乃那と同年齢の婦人が立っている。
「突然、失礼いたします。お近くに越してきました知田と申します」
為之がやってきて、乃那の前に出る。
「知田さん! これは、これは、わざわざ。ここは手狭ですので、どうぞ、中にお入りください。オイ、応接間にお通ししろ」
「いいえ、こちらでけっこうでございます」
乃那、空箱を後ろに隠す。
「奥さま、そうおっしゃらずに、どうぞ」
「和田さん、わたしがお伺いしましたのは、これなンです……」
後ろ手に下げていた紙袋を差し出し、頭を深々と下げる。
「申し訳ございません。せがれがとんでもないことをいたしまして……」
知田、紙袋から保冷容器を取り出す。
保冷容器には、ケーキの絵と文字が。
「それは? 保冷容器ですな」
「それ、この前わたしが注文したロールケーキ!」
「きょう、わたしどもにも荷物が届く予定がありましたものですから……」
為之、乃那と顔を見合わす。
「わたしがせがれにそう言い置いて出かけた留守中に、間違って届いたこちらさま宛てのこのお品物を。せがれが見境もなく、勝手にいただいてしまいまして」
「あなた、わたしがきょうの結婚記念日に合わせて注文したロールケーキよ。すごい人気で、半年先まで予約がうまっていて、予約を取るのがタイヘンだったの」
「申し訳ありません。こちらさまの和田さまとうちの知田を取り違えて、宅配業者が届けたらしく、せがれはよく確認もせずに食べてしまいました」
「全部ですか。2本、入っていたはずですが」
「あまりにもおいしかったものですから、1本をペロリと平らげたあと……」
「あと?」
「1本を平らげたあと、もう1本は女友達に食べさせるンだと言って、家を飛び出してしまいました。せがれが出かけたあとで、わたしがこの容器に貼ってあった送り状を見て、間違いに気がついた次第です。申し訳ありません」
「それでは、あなたの息子さんはいま、ロールケーキ1本を持って、女友達のところへ走っておられる?」
「そうだと思います」
「まだ、1本は残っている。オイ、これで帳消しになるかもな」
「帳消し?」
「いいえ、なんでもありません。息子さんは携帯をお持ちになっておられませんか」
知田夫人、ポケットから携帯を取り出す。
「さきほどから掛けているのですが、どうも電源を切っているのか、つながらなくて」
「早くしないと食べられてしまうゾ。オイ、何かうまい方法はないか」
「そんなこといっても……。あなたそれより、早く、知田さんに高級イチゴのお話を……」
「高級イチゴ!?」
知田夫人の顔色が変わる。
乃那が手にしている空箱に目がいく。
「それ、超高級イチゴ『三国一』! ひょっとして、宅宛ての……」
乃那、頭を深々と下げる。
「宅配業者が間違えて持ってきた、知田さん宛てのお荷物です。申し訳ございません」
「申し訳、って。食べてしまわれた?」
「はい。主人が見境もなく、うちに来たものだと勘違いいたしまして。あなたも、頭を下げて」
「奥さん、悪いのは宅配業者なンです。お宅に誤配したロールケーキの分も含めて、一緒に損害賠償を求めましょう」
「あのイチゴ、実は……訳あり、なンです」
「訳あり?」
「その『三国一』は、別れた主人が、わたしの誕生日にと送ってくれたものですが、わたしはいつも受け取らずに送り返しているンです」
「もったいない。あんなにうまいイチゴなのに」
「奥さん、せっかくのプレゼントを、どうして送り返されるンですか」
「ご主人、お体はなんともないですか?」
「エッ!?」
「わたし、毒が入っているンじゃないかと思っているものですから」
「毒!?」
為之、思わずノドに手を当て、咳込む。
「あなた、もう20分以上たっているンだから、毒が入っていたら今頃死んでいるわ。奥さん、どうしてそんな恐ろしいことをお考えなンですか?」
「別れて3年になりますが、戸籍上はまだ夫婦です。正式には離婚していません。夫が承知しないからです」
「別居しておられる?」
「はい。夫の女遊びがあまりにもひどいものですから。15才のせがれにも説得され、一緒にこちらに越してきた次第です。もっとも、高校に通う都合もあり、あまり遠くには越せませんでしたが……」
「それは、たいへんですね」
「それなのに、夫はいつの間にかわたしの居所を突きとめ、定期的に贈り物をしてきます」
「贈り物が、どうして毒入りイチゴだと思われるンですか?」
「わたしが死ねば、わたしが親から譲り受けた土地やマンションが手に入るからです。あの人の結婚の目的は、最初からお金です」
「本当に毒が入っているのなら、警察に訴えればいいでしょう」
「警察が取り合ってくれるとは思えなくて。毒入りを食べてだれかが死ねば別でしょうが……」
「!」
「あの人は、これまでわたしの誕生日のほか、せがれの誕生日、それからこどもの日とクリスマス、1年に4度、忘れずにさまざまな品物を送ってきます。すべて食べ物ばかり。最初はヨーグルト、次はリンゴでした……」
「しかし、実際に口に入れられたことは一度もない?」
「はい。あの人からの贈り物は気味が悪くて。口に入れることはできません」
「それで、全部受取り拒否にして、送り返しておられる?」
「はい」
「別居されて3年、その間、1年に4度の贈り物とすると、これまでにどれだけの数になりますか?」
「10個前後になります」
「奥さんや息子さんの好物を見つけて送って来られるのですか」
「そんなことはありません。イチゴはわたしの好物ですが、中にはどうして、というものもあります」
「例えば?」
「老舗のタイ焼きとか、有名店のドーナツの詰め合わせなど……」
「タイ焼きとドーナツですか。確かに贈り物には、不似合いですな」
「あなた、調べてさしあげたら?」
「奥さん、申し遅れましたが、わたし、成増署の刑事課に勤務しています」
「刑事さんですか!」
「もう少し詳しいお話をお聞きすれば、正式に捜査できるかもしれません。明日、署までご足労……をッ、お、おッ、ねがい……」
「あなた、あなたッ、どうしたの!」
「和田さん。まさか、イチゴの毒が効いて……」
「そ、それは、わかり、ません、が、急に、さし込みが……ちょっと、横に、なる……」
「あなた、救急車を呼ぶわ」
「そうです。そのほうが……」
「待て、間違い、だったら、恥ずかしい……」
為之、その場に崩れる。
インターホンが鳴る。
「こんなときに!」
乃那、ドアを開ける。
さきほどの宅配業者が荷物を手に立っている。
「さきほど、うかがいしまし……おまえ」
宅配業者、知田夫人をみて、驚く。
「あなたッ! どうして、ここに……」
と、知田夫人。
「おまえこそ、どうして……」
「この人です。イチゴの送り主。宅配会社に勤めているわたしの夫です」
「あなたが、知田さんですか。毒入りイチゴを送りつけた」
「毒入り? 何のことですか」
「とぼけるな!」
横になっていた為之が、ガバッと起きあがる。
「オイ、冷蔵庫から、イチゴを持って来い」
「はい」
乃那、急いで台所から器に盛られたイチゴを持ってくる。
練乳はかかっていない。
「これは、きさまが送ってきたイチゴだろう!」
「大粒のイチゴですね。これが誤配されたイチゴでしたら、わたしが家内に送ったものです」
「ヌケヌケと誤配したなんて、言って」
「差出人がわたしであっても誤配には違いありません。配達員には、きょうは知田さんと和田さんの両方に荷物があるから、取り違えないようにと念を押したンですが、それがプレッシャーになり、却ってよくなかったようです」
「いいから、食べてみろ」
器ごとイチゴを突き出す。
「これを食べる!?」
「そうだ。毒が入っていないのなら、食べられるだろう」
「もちろん、そうですが。これは家内の大好物の『三国一』……あと6粒しか残っていません。少し無理をして買ったのに。わたしはいままで一度も口にしたことがない。夕、いいのか?」
夫人の夕、頷く。
「それなら、1つもらうよ」
知田西浴、イチゴを一つつまんで口に入れ、ゆっくり噛み、うまそうに食べる。
「うまい! こんなにおいしいイチゴだったのか。夕、食べろ。おまえに送ったものだ」
「1粒くらいじゃ、効かんのだ。おれは、6粒食ってから、腹にさし込みがきた」
「この人は大抵のものは滅多にあたらない。胃袋が特別に丈夫にできているから、この程度ですんだのよ。普通の胃袋なら、6粒全部食べたら、きっと……」
「早く、食べろ」
「そうおっしゃるのなら」
西浴、続けて2粒食べる。
「うまい。これは果物の王様だな。もう、あと3粒しかのこっていない。いいのか、夕」
西浴、夕の顔を覗く。.
すると、夕が、西浴が持っている器からイチゴを1粒つまみ、そっと口に入れる。
「奥さん、死にたいのですか!」
「あァ、おいしい。本当においしい」
為之と乃那、顔を見合わす。
夕、恥ずかしそうに和田夫妻を見る。
「ごめんなさい。わたしの誤解だったようです。毒入りなんて、いい加減なことを言って」
「エッ、そんな! 奥さん、あと2粒しか残っていない!」
「あなた、これはうちに届いたものじゃないのよ」
と、乃那。
「うちのロールケーキは、1本食べられたンだゾ」
西浴、思い出したように、手にしていた荷物を差し出す。
「これ、こちらにお届けするべきだったロールケーキです。息子が半分、食べてしまいましたが」
「あなた、どうしたの」
「息子から携帯に電話があって、誤配だと気づいたから。何とかしてくれと。それで急いで息子に会って受け取り、ここまで飛んできた」
「そのロールケーキは、いただきます」
乃那、受け取り、奥へ。
「わたしは、これで」
西浴が帰ろうとすると、
「あなた、いい機会だから、聞きます。どうして、わたしとせがれの誕生日やクリスマスに、いろんな物をおくってくるのですか」
為之も勢いづき、
「そうだ」
「キミに許してもらいたいから」
「イチゴはわたしの好物だけれど、最初に送ってきたヨーグルトは、わたしや息子の口にはあまり合わない」
「甘いもののほうがいいのか」
「2度目はリンゴだったわ」
「3度目は小倉羊羹……」
「あなた、よく覚えているのね」
西浴、メモを取り出す。
「メモにして、大切に持ち歩いている」
「見せて」
夕、メモを読む。
「ヨーグルト、リンゴ、小倉羊羹、桃、ドーナツ、シュークリーム、タイ焼き、イチゴ、アイスクリーム、そして今回のイチゴ……」
「ぼくの気持ちだよ。わかってくれると思っていたけれど。今回のイチゴの次は、これも2度目になるがシュークリームを送るつもりだ。その先も、まだまだ続ける……」
夕、ハッとなる。
「あなた、ごめんなさい。そうだったの。この残った2粒のイチゴ、一緒に食べましょう。和田さん、失礼します」
為之、物欲しそうに見つめる。
「そのイチゴ、持って行かれるンですか」
「いけませんか」
「いや、いいンです。あなた宛てに届いたイチゴですから。どうぞ、うちは買えばいい。それより、知田さん、そのメモにされていた贈り物の名前に、どんな意味があるンですか?」
「和田さん、あなた、刑事さんでしょ。推理、推理です」
「推理ですか。推理は一番苦手なンです」
と、西浴が、
「和田さん、単純な話で恥ずかしい。頭で考えれば、すぐにわかることです」
「頭、ですか」
奥から、乃那が現れる。
「あなた、奥で聞いていて、わたしはわかったわ。(知田夫妻に)お引き止めしてすいません。どうぞ、お引き取りください」
知田夫婦、辞去する。
「おまえ、何がわかったンだ」
「だから、いつも犯人が見つけられないの。刑事課の永久凍土、って陰口をたたかれているでしょ」
「永久凍土ってのは、人間が堅いからと思っていたが、違うのか……」
「芽が出ない、出世しないということでしょ。いい、これはね」
「……」
「頭(あたま)で考えるの。贈り物の頭だけを読んでいくの。頭と書いて、カシラとも読むでしょう。カシラモジ……」
「カシラもじ?……、最初はヨーグルトだろう、ヨーグルトの頭は『ヨ』だろう……! そうか。『ヨ、リ、ヲ、……』。永久凍土は当たっているな」
(了)
永久凍土 あべせい @abesei
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