第3話 万引き犯

 その死体が発見される3カ月くらい前の頃だっただろうか。事件現場とさほど離れていないところにあるスーパーで、一人の万引きが捕まった。

 その人は、主婦のようで、店の店員もスタッフもよく見知った顔で、

「いつも、買い物にきてくれる奥さんじゃないか」

 ということで、皆ビックリしていた。

 買い物かごに入れたものを、レジを通さずに表に出たということで、実に、単純な犯行だったのだ。

 警備員が、

「すみません、奥さん」

 と言って声をかけて、事務所に連れていく。

 最初は警備員も一緒に店長のところに赴いたのだが、すぐに、

「ああ、いいよ。君は自分の部署に戻っても、ご苦労さん」

 ということで、警備員は、そのまま帽子をかぶり直し、自分の部署に戻っていった。

 店長が、奥さんにいろいろ話をしていたが、その奥さんが、初犯であり、反省もしているし、何よりも、お得意様ということで、様子を見ていても、

「魔が差した」

 としか思えなかったので、店長も、

「今回だけは、大目に見ますが、今度やったら、警察を呼びますので、覚悟しておいてくださいね」

 と、厳しく言いつけて、その日は彼女を家に帰したのだった。

 確かに、彼女は、最近精神的にノイローゼ気味になっているようで、近所の人も、

「大丈夫かしらね? あの奥さん」

 とは話をしていたが、奥さん自体、まわりと馴染むということのない人で、いつも一人孤独な人だったので、誰もかまわないというところであろうか?

 そんな彼女を、

「まあ、しょうがない。あんな奥さんもいる」

 ということで、他の奥さんたちは、気にしないようにしていたのだ。

 昔であれば、数段生活の中の、しかも、主婦仲間というと、

「一人孤立している人がいると、集団での苛めのようなことがあった」

 という時代もあった。

「もし、ゴミの分別などが、ちょっとでも違っていれば、ゴミ袋を裁く形で、その奥さんの玄関先に置いておいたり、集合ポストに来た郵便物が表にばらけていたり、自転車に乗っている人だとすると、自転車をわざとパンクさせられたり」

 などという、嫌がらせも結構あったりした。

 そう、中学、高校生にある、

「苛め」

 のようなものだ。

「大人が、しかも、母親がそんな嫌がらせをするんだから、その子供が学校で苛めをしていても、それは当たり前というものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 意外と不思議なもので、母親が、他の主婦に苛めをしているところの子供も、同じように苛めをしていて、苛められている主婦の子供も苛められる運命にあるようで、やはり遺伝による、

「極悪性」

 や、

「狂暴性」

 というものは、本当にあるのかも知れないと思っても無理もないことに違いない。

 その主婦も、いつも苛められているという環境にあり、当然、家族のことに目を配るだけの余裕があるわけもない。

「まさか、息子も苛めを受けているなんて」

 と思っていることだろう。

 旦那は、そんな家庭のことを、

「見て見ぬふり」

 をしているようで、それだけならいいのだが、変に被害妄想があるのか、家で落ち着けないのは、

「家族に原因がある」

 ということで、癒しを求めて、不倫に走ったりしていた。

 それでも、まったく悪びれた気分ではない。

「どうせ、家族のせいだ」

 と、すべてを家族になすりつけ、自分に正当性があると思い込もうとしていたのだ。

 そういう意味では、一番悪いのは、この旦那なのかも知れないが、少なくとも、この時点で、家庭崩壊をしているのは間違いない。

 だが、それに関して誰もよく分かっているわけではなく、

「これが家族というものだ」

 と、皆それぞれ思っていて、父親以外は、自分のことでそれどころではなく、父親は、自分の正当性だけを主張して、不倫をしているのだから、どうしようもない。

 もっとも、奥さんは、それでも、今まで結構頑張ってきた。

 毎日のように嫌がらせを受けていて、必死で精神を持たせてきたのは、ある意味、

「よく頑張った」

 と言えるだろう。

 そんな奥さんのことを分かっている人がいなかったのは、一つ辛いことだった。

 さて、実はこの奥さん、本人は、初めてのことだったのだが、そのわりに、店長の口調が少し厳しかったということに気づいていないようだった。

 もっとも、自分が悪いことをしているという自覚が、十分なほど奥さんにはあるので、

「ただ、平謝りをするしかない」

 ということであったが、それ以上に、

「奥さんにとっては、可愛そうだ」

 ということを、あの警備員は感じていたのだ。

 というのは、あの奥さんが、なぜ、店長から少々厳しく言われたのかというその理由を知っていたからだ。

 逆に言えば、

「知らないのは、奥さんだけだった」

 と、あの場面でのこととして警備員が感じていたが、その理由が何かというと、

「奥さんの息子が、この店で、以前に万引きをして、同じように捕まったことがあった」

 ということからだった。

 その時に捕まえたのは、やはりというか、当然、この警備員だった。

 その時の理由は、奥さんの時よりもハッキリとしていたのだ。

 というのは、彼が苛めを受けていることは、警備員として、店内を見ていると分かっていたのだ。

 だから警備員も、その中学生の団体を気にしないわけにもいかず、苛められている子供に余計に注視していたのだ。

 案の定、少年は、万引きをした。黙って見逃すわけにもいかず、

「君君、ちょっといいかね?」

 と声をかけ、同じように、事務所に連れていく。

 店長も、同じことを考えていたのか、その少年がいつか万引きをするということが分かっていたようで、事務所に連れていった時、店長の顔が、落胆の表情になったのを、警備員は見逃さなかった。

 店長は、少年に事情聴取をした。

 しばらく一緒にいたが、母親の時と同じように、

「ご苦労さん、自分の部署に戻ってください」

 と言われ、後は、

「お約束の行動」

 であった。

 その時も、母親と同じで、初犯だということで、

「一応、学校にも警察にも家族にも言わないでいてあげるから、二度とこんなことをするんじゃないぞ」

 と言って、放免ということになった。

 この店が甘いのか、そのあたりはよく分からなかった。

 店によって方針もあるだろうし、それを考えると、少年が許されるのは、とりあえず、

「まあ、当然なのかも知れないな」

 と思うのだった。

 幸いにも、それからその少年が万引きをすることはこの店ではなかった。

「ひょっとすると、店を変えたのかな?」

 とも思ったが、少年は毎日のように店にやってきて、商品を、キチンとお金を払って購入していくのだ。

 それを、

「お客様」

 というのであって、それを思うと、あの時の店長の裁断は、

「実に見事なものだった」

 と言ってもいいだろう。

 それを見て、警備員も、

「まるで大岡裁きのようだ」

 と、江戸時代、徳川幕府八代将軍、徳川吉宗の懐刀であり、参謀であったと言われる、

「大岡越前守忠相」

 を彷彿されると思ったのは、大げさであろうか?

 もっとも、遠山金四郎でないところは、彼の性格だと言ってもいいだろう、

 警備員という職業ということもあり、どちらかというと、

「目立たない性格」

 ともいえ、誰かを思い浮かべるとしても、

「似たような人がいれば、あまり目立たない方を思い浮べてしまうところがあるからではないだろうか?」

 と、感じるのであった。

 だから、警備員をしていて、犯人を捕まえても、自分に対して、

「よくやった」

 ということよりも、

「捕まった人に、寛大な裁きをしてほしいな」

 と店長に対して願っている方が強かった。

「警察なんて、まっぴら御免だ」

 と言いたいくらいで、子供に対しても、奥さんに対しても、何もお咎めがなくて、よかったと思ったのも、彼としては、当然のことであったのだ。

 そんな中で、殺されている男を見つけた男は、半分腰を抜かしたかと思うと、もう一人の人間が、意外と落ち着いているようで、すぐに警察に連絡を入れた。

 刑事と鑑識がやってきたが、その時間も、最初に死体を見てしまったショックからなかなか立ち直れない男は、実は、最近、こちらの店にお世話になるようになったのだった。

 この人は、以前、本当に警備員をしていて、警備員の仕事にやる気が見いだせなくなったことで、今回のスナックの新入社員として、入社したのだった。

 だから、やっていることは、本当の雑用である。

 ママさんが、今まで一人でやっていた仕入や、ツケの取り立てなどであるが、そのあたりを、

「元警備員」

 ということで、しっかりとしていて、生真面目に見えるところが採用の基準となったのだった。

 まさか、彼も、

「この店に入ってまで、警備員のような仕事をしないといけないとは思っていなかった」

 と感じているに違いない。

 しかし、敢えて、店長は、

「彼が、元々警備員であった」

 ということは言わなかった。

「あの店長なら、言いそうな気がしたんだけどな。まあ、言われたら言われた出別にかまわないけど」

 と思っていた。

 別に警備員をしていたからと言って、プロというわけではない。実際に、夜勤として、夜の定時に店の中を見回ることと、日勤の時は、万引きや、中高生などの行動に目を光らせていることが仕事で、別に、捕まえるだけの力があるわけではない。

 もちろん、万引きなどは、現行犯ということなので、

「ちょっとすみません」

 と言って、事務所に連れてくるまでが仕事で、後は、品物と、防犯カメラによる検証で、後の判断、警察を呼んだり、身元引受人となるような人に来てもらうなどという判断は、店側がするのだった。

 しかし、いくら、ただ警備をしているだけとはいえ、これだけ、万引きなどが多いと、どう対処していいのか分からず、困り果ててしまうのであった。

 たまに、

「もう見逃してやるか?」

 と思うこともあるが、すぐに、

「いかんいかん」

 と我に返って考え直すのだ。

 そんな時、急に、

「空間識失調」

 に嵌りこんでしまうことがある。

「空間識失調」

 というのは、パイロットなどが、空を飛んでいて、急に、

「自分が今どこを飛んでいるのか分からなくなる現象」

 つまり、

「平衡感覚を失う」

 というものである。

 理由は分からないが、この時の元警備員の男は、死体を見て、完全に呼吸困難に陥ったようだった。

「あわわっ」

 と震えながら、唇から血の気が引いているように見える。

 一緒にいた人が、落ち着いて警察に通報してくれたが、これは、

「相手の男性が、この状態であれば、俺がしっかりしないわけにはいかないな」

 という思いがあるからに違いない。

 そんな状態で、元警備員の男は、

「この時感じた臭いが、気が遠くなる理由なんだ」

 ということに気づいたような気がした。

 彼が、思い出していたのは、

「前の警備会社をなぜ辞めることになったのか?」

 ということであった。

 別に彼が何かをやって、

「懲戒処分を受けた」

 というわけではない。

 仕事にやりがいは感じなかったが、実際に、

「嫌だった」

 という感覚でもなかった。

 好きでもない仕事でも続けなければならないということは分かっていて、それでも、とりあえず頑張ってきたのだ。

 とにかく、

「肉体的には何とか持っていたけど、精神的にはきつくなってきた」

 ということが、その理由だったのだ。

 この警備員は今年、まだ35歳くらいだった。名前を南部清隆という。

 南部は、一時期、昼の勤務が多かったのだが、それは、パンデミックが、少し一段落をした頃ということで、昼間の万引きが多発し始めた頃だった。

 夜の警備は、結構年配の人が行っていて、それこそ、

「以前警察に勤めていて、定年退職をした」

 などという、いわゆる、

「屈強な人」

 が多かったのだ。

 実際に、警察では、武道にも長けていて、定年になっても、身体を持て余しているような人だったので、

「夜の仕事というのも、さほど、気にならない」

 という人が夜の方を賄ってくれていたので、南部は、昼がほとんどだったのだ。

 だが、昼というのは、とにかく、いろいろと見なければならないことが多い。

 万引きはもちろんのこと、人が溢れてくれば、交通整理もしないといけない。

 さらに、駐車場で車の誘導までもあるとなると、

「これは思ったよりも大変だ」

 ということだったのだ。

 彼が入った警備会社は、結構、新店や、イベントなどのところから雇われることが多い。

「雨の日でも風の日でも、お構いなしだ」

 ということで、毎日のようにこき使われるという感じだったのだ。

 一種の、

「警備員派遣」

 という感じで、

「こんなこと、素人の俺でもいいんだろうか?」

 と考えさせられたが、警備会社が結構いい加減なのか、

「いいんだよ。普通にしていればそれで」

 ということであった。

 だから、派遣されていっている人も、結構いい加減にやっているようで、

「万引きだって、分かっていても、見て見ぬふりをすることだって結構あるさ」

 という人も多かったのだという。

 だが、南部という男は、性格が、

「勧善懲悪」

 でできているからなのか、万引きを見つけると、黙っているわけにはいかない。

「店長、ちょっと」

 と言って、何人を引き出したことか。

 中には、

「すみません、出来心で」

 と言って必死に謝っている人もいるのだが、それを見ていると次第に苛立ってくるのだ。

「謝るくらいなら、しなければいいのに?」

 という思いが先に立ってしまい。言い訳されればされるほど、店長につき出すのだった。

 捕まって開き直る人はまずいない。万引きなどの小心者のような犯罪を犯す人間は、確かに、

「出来心」

 なのだろうが、

 出来心というだけで許されるものではない。

 やっぱりいろいろ考えると、

「万引きをしなければいけないだけの理由が、その人の口から利かれることは、まずありえない」

「ごめんなさい。二度としませんから」

 と、まず大体の人はいう。

 じゃあ、

「はい、そうですか」

 と言って許せるわけもない。

 もし、そこで許して、その人が再犯をした時、

「あの警備員さんが、許してくれた」

 と言い出すかも知れない。

 ただ、その人も、

「これが初めてではない」

 ということを言っているのと同じだが、それでも、

「あなたのところの警備員が許してくれたから、またやろうと思った」

 といえば許されるわけでもないのだろうが、捕まって、精神的にまともな判断力ができなかったとすれば、

「この警備員も巻き込んでやろう」

 と思うかも知れない。

 もうそうなると、相手も、

「逃げられない」

 と覚悟を決めているだろうから、

「こんなやつを相手にしてしまったのが、間違いだったか」

 ということになる。

 そうなると、最初の時に、きちっと罪を償わせれば、もっと違った形になるだろう。

 逆恨みをされるかも知れないが、最初に許したことで道連れにされることを思えば、一刀両断の方がいいに決まっている。

 そういう意味でも、彼は、決して万引きを許すことはなかった。

 ただ、それはあくまでも、警備員という立場の元でのことである。

 つまり、

「警備員として、犯人を差し出せば、あとは、店長の裁量によるもので、こちらを逆恨みされる可能性は低い」

 というものだ。

 そのつもりで、

「万引き犯というものは、自分の裁量で許してはいけない」

 と思っていたのだ。

 だが、ある日、その戒律を破った時があった。

 その時は、

「魔が差した」

 と言えばいいのか、それとも、南部の精神的に何かがあったのか、彼はたまに、自分でも理屈が分からない行動に出ることがある。

 その時は、勧善懲悪であったのも間違いないはずなのに、そう、

「空間識失調」

 のようになったかのような気がしたのだった。

 平衡感覚を失ったというか、立っているのもきついくらいの立ち眩みで、その原因が、相手がつけていた香水だったのを思い出していた。

 あの時も、万引き犯の主婦を捕まえた。

 よく見ると、

「あなたは、前にも」

 と言って、顔を覗き込もうとすると、その奥さんは、必死になって、顔を隠そうとするではないか。

 その時、

「見ないで」

 と言って、ブルブル震えていたのだ。

 それを見て、もう一度身体がブルっと震えた。

 しかし、彼女の震えている感覚と、自分がブルっと震えたものが、まったく違うもの。

 いや、実際には同じものなのだが、それが、正反対の様子に見えることで、

「同じところから来ているものではないか?」

 と感じたのだった。

 身体の震えが、発汗作用を呼んでいるのを感じたが、汗を掻いているのが気持ち悪いわけではなく、何か心地よさが溢れているのを感じたのだ。

「彼女も同じように、汗を掻いているのかも知れない」

 と感じると、その身体を思わず抱きしめてしまいそうになる衝動を、必死で抑えようとするのであった。

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