第22話 飛鳥葉菜
思えば、自分はとても好奇心旺盛な子供だった記憶があった。私、飛鳥葉菜は少なくとも、そんな子供だった「記憶がある」。
小学校の風景や、中学校と言った、この世界には有り得ない風景を知っている。
『お母さん、秋はみんなが黄金色なんだね』
黄金に揺れる銀杏、黄金色の稲穂、太陽ですら、斜陽となって空気を黄金にした。少し、物悲しい色合いに。
その、景色をまたphantomで見るなんて。しかし、飛鳥には小学校も中学校も通った覚えがない。
他にもこういう記憶の違いはたくさんあった。例えば「海」。広くて塩の風が吹く。大きな波が寄せては返して来て、水面は太陽を反射して美しく輝く。
海水はしょっぱい。
しかし、海の風は知っていても、知らない。飛鳥にはそれに触れた記憶はあっても、実感がない。
ちょうど坂道は知っているけれど、疲れ方は知らない、みたいな。
「……蒼もそうなのかな」
いつまでもシャワールームから出てこない彼を待ちながら、飛鳥は呟いた。それと同じ感覚が、先ほど出逢ったツヅゴウ・hope・ランドルに対しての印象だ。
(私、この人知ってる……)そうは思っても、どこで? なぜ? と自問自答で埋め尽くしたところで、ツヅゴウ・hope・ランドルは完全に飛鳥を拒絶した。
魂から拒否された、とAIハーフは気付く。それでも、駆け寄ろうとした飛鳥を察知したツヅゴウ・hope・ランドルは隔離フィルターを貼った。
「蒼、何を話していたんだろう……」
独りぼっちになった部屋は、先ほどのデラックスなホログラムのままだ。だから猶更煌びやかな夜景が寂しさを募らせた。rubyもphantomも好きではない。
でも、蒼桐が居るから。そうじゃなかったらこんな世界は生き抜けない。でも、それは言わない。蒼の前では、いつでも明るくいたいから。だから。本音は言わない。
「…………ごめん」
考えが終わるのを見計らったように、蒼桐が姿を現した。シャワーを浴びたとは思えない。表面にはまだ若干のネガティブ因子が飛んでいるのが見える。
phantomはrubyのような自動除去のエア・クリーニングはないようだった。
「除去出来てないよ。手のひらのセンサーが警告しても知らないよ」
「いや、ここでは、このrubyシステムに縛られることはないんだ、飛鳥」
ふむ?
「ねえそれって」
「自由ってことかも知れないな。残念ながら、飛鳥に近寄れはしないけどね」蒼は寂しそうに言うと、そっと距離を取り始めた。
「近づくと、どうなるの?」
「警告音か……まさか量子分解はないと思うけど。ツヅゴウ・hope・ランドルが飛び出して来たりして」
ツヅゴウ・hope・ランドル
自然と体が動く。どういうことだろう。禁止された時から、蒼に近づきたくなるなんて。それに、ツヅゴウ・hope・ランドルに逢いたかった。
理由は知らない。
ただ、ツヅゴウ・hope・ランドルに会って、蒼に守られたかった。そんなわけのわからない衝動が飛鳥を突き動かす。
蒼とはこういう接触はない。……何も、起こらない。
「……静かなままだね」
背中ってこんなに温かいんだ。
蒼の背中はわたしが寄り掛かっても充分に広いんだ。そしてわたしもちゃんと温かい。
「嵌められた気がする。飛鳥、離れてくれ」
蒼は珍しく焦り声を出すと、くるりと振り向いた。目が合ってドキリと心臓を高鳴らせる。蒼はじっとわたしを見ていたかと思うと、す……と手を頬に当てた。
「おやすみ」
それだけでくるりと背中を向けて、自分の部屋に入って行った。
『自由ってことかも知れないな』蒼の声がまだ残響で残っている気がする。耳を澄ませば聞こえそうな。
――そんな私達は、明日、phantomのサマースクールに放り込まれる。rubyからの移動距離二日。夏休みが始まるのだ。
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