第20話 地下の夜①
「お食事でございます」と運ばれて来た料理は、それは見事だった。うなぎのような魚に小さなお椀には蛤。藁焼きの混ぜご飯。
「部屋の模様替えを致しますか?」聞かれて、蒼桐は頷いた。食事をしない飛鳥はエア・シャワー中だ。
「お二人は恋人同士だと伺いましたので、最上級の風景をご用意できますが」
「……気分が変わって良いかもな。お願いします」
……自由に触れられない恋人同士か。
AIに自嘲気味に笑っておいて、蒼桐はリモコンデータを受けるべく手首を差し出した。いくつものダウンロード完了の音。手のひらは反応しない。ナノチップはruby独自のものらしく、こっちにきてから、手のひらが痛むことも無くなった。
頭の靄がはれた気さえする。
言い過ぎではない。脳の中など意識もしていなかったが、まさに「脳内がすっきり」している感じがする。
飛鳥と、ツヅゴウ・hope・ランドルの引っかかり以外は。
ピ。
いくつもの景色用のプロジェクト・マッピングシステムを切り替えながら、蒼桐は景色をセットアップしていった。砂漠の夜、朝のシティ、山の風景、夕暮れの海岸、深夜の船の上……空想上では思い描くが、なかなか見られないものばかりだ。最後に「摩天楼」という見慣れないセットがあった。興味で変えてみると、それはどうみても地上の高層ビルと呼ばれた古代建築の残像にしか見えない。壁には窓が映し出されて、その向こうには、まさに「摩天楼」のパノラマが広がっている。
「そっか、地下だから、こういうふうにして外を見るというわけか……」
ヒューマンは地下に追いやられて、存続してきた。時には、こういう外のごまかしのホログラムも必要なのだろう。よく出来た5Dホログラムでは、風や寒さも演出される。
ちらり、と飛鳥用の料理に視線を向ける。銀の皿にはすべてphantom政府軍の紋章が彫り込まれている。中身は、普通のAI用エナジーフードだ。消化機能がないから、AIの食事は「感じる」だけだと言うが、飛鳥は「お腹が空いた」という空腹感覚がある。
対して、蒼桐の食事は栄養が全て取れそうなコースだった。ヒューマンの食事など「らあめん」しか知らない。
「さっぱりした~」
飛鳥が電磁波の消えた顔色で、エア・シャワーから出て来た。
「わあ、すごい」と窓に駆け寄ろうとするのを慌てて止めようと腕を伸ばすが遅かった。
「そこ、壁だぞ」
ごん! とぶつけた額を擦り上げて、飛鳥は肩を竦める。
「全部ホログラムなんだって」
「忘れてた。ねえ、これってデートの演出?」
……摩天楼だとそうなるのか。違う!と言いたかったが、飛鳥はむしろ蒼桐の都合でphantomまで連行されたのだから、少しのサービスは「オス」としてすべきだろう。
「あ、ああ……」としか言えないのは仕方がない。脳裏がすっきりしてきて、何か口走りそうになる。rubyでは霞んでいた何か。それは分からないが、額の警報は止んだようだ。
「着替えよーっと」
飛鳥はウェアラブルシステムでドレスアップして振り返った。ここでは、蒼桐も同じように使うことが出来る。
(ドレスか……ちょっと照れ臭いけど)タキシードを選んだが、お金持ちのオボッチャマみたいになってしまった。ま、いいか。と飛鳥を見やると、飛鳥は目を瞠って蒼桐を見ている。ふと、その潤んだ目を見て、、先ほど見た「ツヅゴウ・hope・ランドル……」と言いながら何度もその名前の部分を指先で、擦り続けた飛鳥の姿を思い出した。
「飛鳥」
「んー? タキシード……似合うなって思っただけだけど」
「ツヅゴウ・hope・ランドル……」
呟くと、飛鳥はびくっと肩を震わせる。
「――って呟いてたのが気になって」
「わたしにも、分からない」
飛鳥は小さく首を振った。
「わたしはAIハーフなのに……その名前を知ってる気がして。ありえないよね。あの人はphantomにずっといたんだから」
ぱ、と逃げそうになったので、腕を掴んだ。ドレスアップしているので、長い手袋のシルクの肌触りが指先に残る。
『接触警報の警告は五分後に出ます。オスとメスの接触は禁じられています』
「……また、サイレンがなるから、ね?」
飛鳥は焦ったように腕を祓い、食事の並んだテーブルに近づいて行く。『警報解除』細やかなアナウンスと共に、部屋は静かになった。
掴んだ腕は温かかった。飛鳥はヒューマンだとランドル博士は告げた。
問題は、何故ヒューマンが迫害されたか……rubyではこの部分を考えると、いつも手のひらが熱くなって警告が出る。
当たり前にやってきたこと。
当たり前だと思っていたこと全て。
離れたからこそ、俯瞰する必要がありそうだった。その答はきっと掴めない腕にあるのだろう。
直感だった。
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