第28話 出張


翌朝、ドアを調べているオッタル軍曹は不機嫌そうだった。


「たしかにスラッシャーの印しに似ている。だがおかしい、奴はこんなふうに殺害をほのめかしたことはないぞ」


奴が印しを残すのは殺害現場だけである。

犯行予告として使われたことは一度もない。


「よほどアンタに執着があるのか、それとも偽物かだな」

「偽物なんてことがあるんですか?」


オッタル軍曹はしかめ面をして煙草に火をつけた。


「ノッデル・タイムスが奴の印しを記事にしちまっただろう? あれから、まったく関係のなさそうなところで、落書きが増えているんだよ。まあ、プラットは奴に殺されかけているから、これは本物の可能性が高いがな」


 その言葉を聞いて先輩は身震いする。

 この世界の警察はデリカシーが皆無だ。

 一般庶民の人権なんて誰も考えない世界だから、捜査にきてくれるだけマシな方かもしれないけど……。

 オッタル軍曹はアパートの通路に煙草をポイ捨てして踏み消した。


「よく知られている通り奴は満月の晩にしか犯行をおかさない。こちらも張り込みをさせるが、満月の晩だけは絶対に出歩くなよ。もしくは満月の晩に出歩いて奴を捕まえるという手もあるがな」

「ノイマ先輩を囮に使うのですか?」


 僕は抗議しようと思ったけど、先輩はむしろやる気だ。


「私の目的は復讐っス。奴の逮捕こそが目標ですから、少々危険な目に遭っても平気ですよ」

「少々じゃないです。相手は連続殺人鬼ですよ」

「それでもやるっス。このまま手をこまねいてみているのは性に合わないっス。殺されたお姉ちゃんのため、いえ、奴に殺されたすべての女性の恨みを晴らすっス!」


 止めても無駄みたいだな。

 僕も来るべき日に備えて鍛錬を怠らないようにしよう、

 不安は大きいが仕事は休めない。

 現場検証の兵士たちが去ると、僕と先輩も出社した。


 会社に到着すると、待っていたように僕らはローグ編集長に呼び出された。

 また何か無茶なことを言われるのかと警戒したけど、僕らに拒否権はない。

 社命に逆らうことはそのまま首を意味する。

 最悪僕は冒険者でもやれば食べていけるけど、ノイマ先輩はそういうわけにはいかない。

 それに先輩にはスラッシャーを捕まえるという目的もある。

 そのためにも裏の情報が集まる実録タックルズをやめるわけにはいかないのだ。

 僕たちは肩をすくめながら編集長室へ赴いた。


 出社が遅い、などの嫌味を言われるかと思ったけど、そんなことはなかった。

 それどころか、編集長は労いの言葉までかけてくれる。

「昨晩はご苦労だったな。ことの結果に社長も満足していらっしゃる」

 僕の活躍は社長であるコモディ伯爵の耳にまで届いているようだ。

 政敵であるウルード子爵の裏商売を暴いてご満悦なのだろう。

 ひょっとしたら報奨金でももらえるのかな? なんて考えたのだけど、編集長は抑揚のない低い声で要件を伝えてくるだけだった。

「呪われた武器シリーズの第三段をやるぞ。ダルーマ神殿に行ってこい」

「嫌っス!」

 編集長の命令だったけど、ノイマ先輩は即座に断っていた。

 こんなことはめったにないことだ。

「プラット、社命を拒否するのか?」

「だって、あそこはヤバいっス。前に行ったローラさん、あそこに行ってから体調不良になって編集部を辞めたんですよ!」

「あんなもんは偶然だ……」

 編集長は否定したけど、先輩はブルブルと震えている。

「ローラさんってどなたですか?」

「呪われた武器シリーズを担当していた女性記者っス。私の先輩で記者の仕事の基礎を教えてくれた恩人でもありました」

「その人に何かあったんですね?」

「そうっス、ダルーマ神殿に行ってからローラさんの人生はメチャクチャになったっス」


 人生がメチャクチャとは穏やかじゃない。

 それに、どうして神殿に行くと破滅が待っているんだろう?


「ダルーマ神殿は特殊な神殿っス。その特徴は二つあります」

「一つ目は?」

「厳格な男子禁制の神殿っス。いるのは女神官ばかりで、赤ちゃんであろうが仔犬であろうが、性別が男なら絶対に入れないっス」

 男嫌いな女神ルーミエを祀っているからというのが理由らしい。

 ルーミエは闇の女神で、神像や宗教画では根暗な感じに描かれることが多い。

「二つ目の特徴は?」

「呪われたアイテムが大量に保管されているっス」

 それで『呪われた武器』の取材対象になるんだな。

 ダンジョンでは呪いのアイテムの出現率が高い。

 危険なものは回避したいし、利用できるものはなるべく利用したいというのが人の心だ。

 たとえリスクがあっても、役に立つなら装備したいという冒険者は多い。

 そういった人たちに人気なのが呪われた武器シリーズなのだ。

 このシリーズでは実例をもとに様々な呪いのアイテムを取り上げている。

 先週号では『不潔な靴下』が取り上げられていたな。

 とてつもない臭気を発していて、はけば猛烈な痒みをともなう水虫になる靴下なんだけど、素早さが一・六倍になるらしい。

 それから『賢者タイムの指輪』というのもあった。

 装備すれば魔力は上がるが、性欲が一切なくなるらしい。

 ダンジョンは極限状態の場所だから、リスクを負っても生存確率を上げたいんだろうな。

 なんというか、冒険者の悲哀が滲んでいるよ。

 ちなみに、呪いの装備を外すのは大変だったりする。

 神殿に行って神聖魔法で解呪してもらうのが一般的である。

「行きたくないっス、あそこに行けば呪われるっス」

 先輩の言葉に編集長はあきれ顔だ。

「そんなのはただの風聞だって」

「風聞じゃないっス。ローラさんはあそこに行った直後に九年間もつき合っていた彼氏に振られたっス!」

「いや、だから偶然だって……」

「偶然じゃないっスよ。結婚を目前にしていた三十六歳の女が婚約破棄されて、生理不順になって、メンタルをやられて退社したんスよ! 本当は寿退社するはずだったのに……」

「たまたま時期が重なっただけだ」

「私は信じないっス。それに、あそこは町から離れているし、追剥が出ることでも有名っス。嫌っス!」

「うるさい! だから護衛にコウガをつけてやるんじゃねえか。つべこべ言わずに行ってこい!」


先輩は嫌がっているけど、僕は先輩との出張が嬉しい。


「ダルーマ神殿というのは遠いのですか?」


 僕の質問に答えてくれたのは編集長室に入ってきたゴンダさんだった。


「ブリンデル市外だよ。徒歩だと半日はかかるぞ」

「ゴンダさん。やっと退院できたんですね」

「おう、すっかり良くなったぜ」


 食中毒でずっと入院していたのだけど、ゴンダさんの病気もようやく癒えたようだ。


「編集長、お久しぶりです」

「顔色もよくなったな。もう大丈夫なのか?」

「いつでもいけますよ」


 ゴンダさんは実録ナックルズでも一番の人気記者だ。

 復帰がかなって編集長もホッとしているようだった。

 僕はぐずる先輩の手を引いて促す。

「先輩、ごねても仕方がありませんよ。覚悟を込めていきましょう」

「うぅ……、行きたくないっス」

 そんなノイア先輩をゴンダさんも励ました。

「小旅行だと思って行ってこい。何だったら泊って来てもいいじゃないか。たまには田舎の空気も悪くないぞ。ねえ、編集長」

「そうだな、あそこは遠いから経費で宿泊費を認めてやってもいいぞ」

 ダルーマ神殿は男子禁制なので、取材できるのはノイア先輩だけである。

 そういうわけで編集長も怪獣作戦に出たんだな。

「泊りっスか……」

「そうそう、かわいい後輩と出張なんて楽しそうじゃねえか。俺が変わってやりたいくらいだよ」

「編集長、それいいですね!」

「どうした、いきなり?」


おっさんたちの会話が怪しくなってきた……。


「だから、かわいい後輩との出張体験記ですよ」

「そんなにいいか?」

「つまりですね、田舎に出張したはいいけど宿の部屋は一つしか空いてないってな状況になるわけですよ。となると、仕方がないっス、同じ部屋に泊まりましょう、とかなんとかなるんですね」

「それでどうなる?」

「男と女が一つの部屋に泊まるんだ、なにも起きないわけがない。ましてや相手は憧れの巨乳先輩だ。自分を抑えきれるわけがない」

「先輩の方も後輩の情熱に負けて、今夜だけっスよ、とかなんとか言うわけだ」

「そういうことです。ところがですよ、ちょっと頼りないと思っていた後輩は脱がせると巨根の持ち主だった」

「しかも絶倫!」

「編集長、それいただきます! で、一晩じゅう休むことなく体を貪りつくされるわけです。何度も何度もイカされて、ダメっス、いまイってるから……うあぁっ、とかなんとか」

「それ、読者からの体験告白ってかたちで使えるな」

「さすがは編集長だ!」


二人の会話に僕らはドン引きだ。

だいたい僕らは普段から同じ部屋で暮らしているって……。

これがお父さんたちのファンタジーか。

賢者タイムの指輪を装着させてあげたいな。


「いこう、コウガ君」

「そうですね」


出ていく僕らに気づきもしないで、編集長とゴンダさんはセクハラエロトークを続けていた。

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