出征前夜(二)

 連城県令との慌ただしいやりとりを経て、莫元宇一党の動きはおおむね明らかになった。

 まず、莫軍の兵数はおよそ五千。それが今は太興から連城へ至る南の街道を進んでいるらしい。このままいけば、三日後の朝には莫軍の旗が城壁の外にひるがえるであろう。


「では、連城ここで迎え撃ちますか」


 まずはそう提案してみた伯英だったが、黄家当主は即座に首を横にふった。


「この城市まちは守りに向かぬ。野戦自慢のおぬしらにはわからぬだろうが」


 いちいち突っかかってくる御仁だな、と伯英は内心うんざりしていた。不安や怯えを他人にぶつけて解消しようとする気持ちはわからなくもないが、ぶつけられるほうとしてはたまったものではない。


 腰が据わらないという点では、故郷のろう県の県令も同じだったが、いま思えば、まだあちらのほうがましだった。気が弱く、ついでに胃の腑も弱い瑯県の県令どのは、伯英の前では青ざめてろくに口もきけないほどだったので。

 おかげで有事の際はやりやすかった。やりすぎると後で補佐役の県丞けんじょうにこっぴどく叱られるので、匙加減が難しかったが。世の中というものは、不均衡なようで意外と釣り合いがとれている。


「聞いているのか、王虎将軍」


 厭味ったらしく二つ名を呼ばれ、伯英は頭の中から故郷の馴染の顔を追い払った。


「もちろん」


 聞いてはいなかったが、存じてはいる。この城市の城壁が、頼みとするにはいささか心許こころもとないことくらいは。

 連城は、古くから水運で栄えた城市である。交易都市の例にもれず、その城壁は低く、無数の水路を通すための門も多い。つまりは、すこぶる侵入が容易な城市であった。


 だがまあ、と伯英はあごをなでた。穴があるなら補強してやればよい。うまくすれば、弱点を利用して敵を罠にかけることもできる。

 やりようはいくらでも、と伯英はそれなりに熱意をこめて県令の説得につとめたが、黄家当主が首を縦にふることはなかった。


「かように守城にこだわるとは、勇猛果敢というおぬしらの評判も、ただの噂に過ぎなかったということか」


 しまいに侮蔑まじりの言葉を浴びせられ、伯英はついに「承知しました」と応じた。このあたりが限界だった。伯英の忍耐が、ではなく、先ほどから県令につかみかかりそうな配下たちを抑えておくのが。


「明朝、我ら全軍で出撃しましょう」


 薄々こうなる気はしていたが、嫌なほうの予想が当たるのはやはり面白くなかった。

 浮かない気分の伯英とは逆に、迅風たちは俄然活気づいている。血の気が多い配下たちにすれば、城に籠るよりも野戦で矛をふるうほうがよいのだろう。若いやつはこれだから、と伯英はつい年寄りじみた感想を抱いてしまう。


 それからいくつか細かい事項を打ち合わせ、伯英は腰を上げた。それを合図に配下たちも一斉に立ち上がる。そこへ県令が「待たれよ」と声をかけた。


「全軍と申されたが、そちらの」


 黄家当主は、部屋の隅にたたずむ少年に目をやった。


「婿どのは、わが屋敷で預からせていただきたい」

「……ほう」


 浮かせた腰をまた下ろし、伯英は養い子の義兄に鋭い視線を向ける。


「理由を伺っても?」

「年端もいかぬ子どもを戦場に送るわけにもいくまい」

「それはそれは……」


 伯英は薄い笑いを口元にたたえた。気圧されたように身を引いた史明だったが、ぐっと唇を引き結んで伯英をにらみ返したのは、さすがは一門の当主と言うべきか。


「ご心配いたみいります。ですが、あれはもう一人前でしてな。おかげさまで、最近よき妻も迎えたことですし」

「なればこそだ。大切な妹の婿どのを、みすみす危険にさらすわけにはいかぬゆえ」

「てめえ……」


 低い声でうなって迅風が一歩前に出た。それを止めるかべきか、伯英は一瞬迷った。その程度には、伯英も腹が煮えていた。


 妹思いを装う県令の、胸のうちは見え透いていた。


 子怜を、王家軍総帥の養子を人質として置いていけ。そう史明は要求しているのだ。万が一にも、伯英が莫軍に寝返ることのないように。それは連城を守るために命がけで出撃する王家軍への、この上ない侮辱だった。


「いいよ」


 針でつつけば弾けるような、張りつめた空気。それを破ったのは、か細くもそっけない声だった。


「ぼくは残る」


 並みいる大人たちの視線を受け止めて、その少年は淡々と言葉をつづけた。


「それでいいでしょう?」


 澄んだ瞳を向けられて、伯英は無意識につめていた息を吐いた。この少年を手元に引き取ったことを、このときはじめて少しだけ後悔した。


 

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