春風追憶

 ――そなたはまるで、春の風のように笑うのだな。


 最初の夫は、静蘭を見てそう言ってくれた。それこそ春の陽だまりのような、温かな笑顔で。


 由緒正しき武門の家柄だというその夫のもとへ嫁ぐときは、不安でたまらなかった。“蘭花笑”などという、だいそれた詩の一篇を耳にしたはずのそのひとに、失望されることが怖かった。

 幸いなことに、その心配は杞憂に終わったのだが。


 夫との間には、三人の子宝に恵まれた。いずれも男の子だった。

 ありがたいことに子はみな健やかに成長し、日々はにぎやかに、忙しなく過ぎていった。嫁いだばかりの頃は意地の悪いふるまいも目についたしゅうとめも、いつしか静蘭を頼りにするようになった。


 あの頃がいちばん幸せだった。いまでも静蘭はそう思う。


 長男が木剣をふりまわす歳になった頃、連城の近くで叛乱が起こり、賊の討伐のために夫も出征した。叛乱はどうにか鎮圧されたものの、静蘭の夫は帰らぬ人となった。


 涙にくれる静蘭を、姑は人が変わったように責め立てた。息子を喪った悲しみを、すべて嫁の静蘭にぶつけているようだった。

 おまえのせいで、おまえがいなければと棒で静蘭を打ちすえる姑は、もはや正気を失っているように見えた。


 度を越した姑の振る舞いはやがて兄の耳に入り、静蘭は連城に呼び戻された。婚家とは離縁が成立したことを、静蘭は後に兄の口から聞かされた。子を引き取ることはできなかった。息子たちは婚家のものだった。


 出戻りの静蘭のために、兄はすぐさま次の縁談をとりまとめた。


 泰州州令の第二夫人。それが兄のまとめた縁組相手だった。父ほど年の離れた二番目の夫は、“蘭花笑”への興味が満たされるとすぐに静蘭への関心を失った。


 夫に遠ざけられた静蘭は、第一夫人に疎まれ使用人にも軽んじられ、下女にも劣る扱いをうけた。

 牢獄につながれるような日々から静蘭を救い出してくれたのは、やはり兄だった。


 しばし里帰りをしてはどうか。そんな兄の勧めにしたがい、連城にもどった静蘭は、それからほどなく太興陥落の報を聞いた。


 つづけさまに夫を喪った静蘭は、その翌年、ふたたび新たな伴侶を迎えた。

 怖ろしいほどに澄んだ目をもつ、類まれな美貌の夫を。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る