連城の蘭花(二)

 王家軍総帥だというそのひとは、まだ若い男だと兄は言っていた。役者のような良い男だと侍女たちがささやき合ってもいた。そのどちらも間違いではなかった。だが、そのいずれも真実から遠く離れていることを、婚礼の夜に静蘭は知った。


「どうも」


 夫婦の寝所で、花嫁の顔を覆う紅布を持ち上げた花婿は、熱のない口調で名を告げた。


「ぼくはおう子怜しりょう。あなたは……なんだっけ」


 新妻に対してひどく礼を失した態度だったが、静蘭は怒りも悲しみも感じなかった。そんなものより驚きのほうがはるかに勝っていた。夫の若さと、何よりもその美貌を目の当たりにして。


 王子怜と名乗ったその少年、年の頃は十代半ばか。背丈は静蘭よりやや低い。華奢な肩と細い首に据えられた顔は少女と見まごうほどに白く、息を呑むほどに美しかった。


 声もなく立ちつくす静蘭を、少年はじっと見つめ、すぐにふいと視線をそらした。もとより乏しかった花嫁への興味が完全に失せたとでもいうように。そのまま華美で重たげな婚礼衣装を脱ぎ捨て、部屋の奥の寝台へ向かう。


「あの……旦那さま」


 これほど相手にそぐわない呼称もないのでは。そう思いながらも静蘭が呼びかけると、少年は「いいよ」と面倒くさそうに手をふった。


「構わなくていい。ぼくは寝るから、あなたも好きに休んだら」


 そう言って、少年は本当に横になってしまった。


 これはいったい、と静蘭は途方に暮れた。好きにしろと言われても、何をどうすればよいというのか。過去二度の婚礼の夜は、いずれも夫の求めに応じていればよかった。しかしこの花婿は、新妻に目もくれず寝床にもぐりこんでいる。しかもこちらに背を向けて。


 静蘭が見つめる先で、不意に少年が腕を上げた。首筋にはりついていた黒髪を、細い指で鬱陶しげに払う。薄闇のなか、白いうなじが露わになり、なぜか見てはいけないものを見てしまった気がした静蘭はとっさに目をそらした。と、寝台わきの小卓に、赤い羽根扇が置いてあるのが目に留まった。


 静蘭はふらふらと寝台に歩みより、卓の上の扇をとりあげた。褥に浅く腰かけ、手にした扇で夫に風を送る。


 ふわりと、寝所に焚かれた香がゆらぐ。こちらに背を向けてた少年が、首をめぐらせて静蘭を見た。


「……ありがと」


 吐息のようなささやきを残し、少年は再び目を閉じた。その顔がかすかにほころんでいたように見えたのは、燭のゆらぎがつくりだした幻だったのかもしれない。


 やがて安らかな寝息が耳に届くまで、静蘭はゆっくりと夫を扇ぎつづけた。



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