玉蘭花伝 二
小林礼
序章 連城の蘭花
連城の蘭花(一)
「そなたの縁談がまとまった」
そう兄に告げられたのは、夏も終わりの宵のことだった。運河を臨む屋敷の窓辺で、
「縁談、でございますか」
兄とこのやりとりを交わすのは三度目になる。一度目は十五年前、静蘭が十六の頃だ。
二度目は、つい三年前。最初の夫と死別して生家に戻っていた静蘭に、兄はすぐさま新しい嫁ぎ先を用意した。そしていま、ふたたび寡婦となった静蘭に、兄は三番目の夫をあてがおうとしている。
「
酒杯を片手に、兄はその名を口にした。
「そなたも聞いたことはあるだろう」
ええ、と静蘭はうなずいた。
王家軍。それは乱れた
「近く、その王家軍が
静蘭の兄、
「それは
「知れたこと。
連城が属する泰州。その州都である太興が、
「莫氏討伐の軍に、王家軍も加わることになった。泰州総兵閣下から王家軍へ、
酒で唇を湿らせ、兄はその名を口にした。
「
勇ましいその二つ名も、もちろん静蘭は知っていた。虎の名を冠された若き武人の活躍ぶりは、ここ連城にも届いている。街中には王虎将軍の絵姿まで出回っているほどだ。
下女が
「わが連城にも、総兵閣下からお声がけがあった。王家軍の世話を頼むとな。せっかくの機会だ。いまや飛ぶ鳥を落す勢いの王家軍と、
そこで初めて、兄の端整な顔に笑みがひらめいた。
「あちらから申し出があった。名高き“
窓から吹き込むぬるい風が、静蘭の首筋をなでていく。肌にまとわりつくような湿ったそれを振り払うように、静蘭はゆるゆると首をふった。
「お
「戯れなどであるものか。そなたはわたしの自慢の妹だ」
静蘭の非難など意にも介さず、兄は上機嫌で杯を傾ける。
「そのようなお若い方に、わたくしなど釣り合いませんわ」
「なに、若いといってもそなたより上だ。せいぜいわたしと同じくらいではないかな」
「ですが、わたくしは出戻りの身で……」
「あちらも再縁だそうだ。子もいるとか。実子ではなく養子という話だが」
とにかく、と史明は妹の抗弁を打ち切った。
「もう決まったことだ。それにこの縁組は、そなたにとっては敵討ちにもなるのだぞ。新たな夫によく尽くし、亡き州令どのの仇を討ってもらうとよい」
莫軍に攻め落とされた太興の城主、すなわち泰州の州令が、静蘭の二番目の夫だった。里帰りのため太興を離れていた静蘭は難を逃れたが、夫は賊兵の刃を受けて戦死した。その首は城門に晒され、四肢は野犬の餌になったという。
「案ずるな。そなたに悪いようにはせぬ」
静蘭の機嫌をとるように、兄はかるく酒杯を掲げてみせた。
「いままでもそうであったろう」
はい、と静蘭はうなずいた。これまでずっとそうしてきたように、慎ましやかな笑みを浮かべて。
「兄上の仰せのままに」
王家軍の兵五千が連城に入城したのは、それから半月後のことだった。街路にこだます民衆の歓声を遠くに聞きながら、静蘭は三度目の婚礼衣装に袖を通した。落日の光を受けて、その衣は燃えるような紅に染まっていた。
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