柴田と圭子

k.yosi

第1話

ある冬の日の日曜だった。彼女は一人で買い物に出かけていた。

一人で出かけるのは特別な事では無い。むしろ、外出は別々なことが多い、柴田は近所の本屋へ、圭子は街へ買い物。


そんな休日の過ごし方に、彼女は、何の疑問も抱いてはいなかった。


その日の空は、鉛色の雲が空一面を覆っていた。

彼女には、そこから落ちてくる雪が白いとは思えなかった。

その厚く濁った雲の切れ間から、力ない光が差し込んで来る。


季節はもう冬だった。しかしまだ雪はない。最近は、季節がずれ込んでしまったかの様に、冬の到来が遅く感じられた。

しかし必ず雪は降る。しばれる冬が待ち受けている。


彼女は買い物を済ませると、いつもの喫茶店で、コーヒーを飲むことにした。そこの店のコーヒーは、非常においしいと評判だ。

しかし圭子にはその味が理解できなかった。


店に入って店内を見渡すと柔らかな印象が目に映る。

穏やかな音楽も胸に心地よかった。

店内の様相が彼女にフイットした。

彼女にとって、柴田と一緒に暮らす部屋よりも居心地が良かった。


彼女は外が見えるいつもの席についた。

いつもの女店員が、彼女のテーブルに近づいてきた。目つきの悪い店員だ。

圭子がブレンドコーヒーを注文しようとすると、彼女が

「本日のおすすめはブラジルです」と言った。

一瞬迷ったが、やはりいつもの飲みなれたブレンドを注文した。


ゆっくりと足を組みなおし、圭子は壁にかかっている絵を見た。

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。彼女はその絵を知らなかった。

絵を見つめても特に何も思わなかった。


しばらく待つと、目つきの悪い女店員がコーヒーを運んできた。

「お砂糖はご自由にお使いください」

そう言って無造作にコーヒーをテーブルに置いていった。


圭子は、茶色く枯れてかすれた外の景色をみながら、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。ただ苦く感じたが、これがおいしいコーヒーだと言い聞かせるように飲んだ。


外では枯れてかすれた裸の並木が、風に揺れている。それを眺めながら柴田の事を考えた。「何をしているのだろうか」少し気になったが考えないことにした。

おそらく彼も、自分の事を考えてはいない。


道路には家族ずれが歩いていた。時計をみると3時を過ぎている。


まだ大丈夫だろう。何となくそう思いつつ、外の並木を見つめてコーヒーを飲んだ。やはり苦い。しばらくすると、はでな帽子をかぶり、この寒い季節に合わない赤く短いスカートをはいて女が歩いてきた。


よくみると見慣れた顔。会社の美千代だ。圭子が何げなく美千代に向かって手を振ると、素早く彼女が店に入ってきた。彼女は特に美千代に用があったわけではない。


美千代は店に入ってくると、圭子の向かいに腰を掛け、圭子に挑戦するように細く長い足を組んでみせた。その足を見た男はドキッとするに違いない。


しかしこの季節にその短いスカート、寒くはないのかと圭子は不安に思ったが、黙っていた。


圭子は、コーヒーを口に運びながら、

「一人なの?」圭子は問い詰めるような口調で聞いた。

「主人が子供を連れて買い物に行ってくれたから、久々にフリーの身なの。圭子も一人なの」。


美千代は、そういうと、目つきの悪い女店員を追い払うように、コーヒーを注文した。


「うちは休みの日は、だいたい別々」。圭子はカップをテーブルに置き、少し間を置いてから寂し気に答えた。何となく美千代が羨ましく感じた。

「いいわね、そのうち子供ができるとそうともいかなくなるわ」。

彼女は独り言のように言った。


圭子は子供という言葉を聞いてどきりとした。

彼女自身、子供という言葉に、こんな敏感に反応した自分に驚いた。

「そんなものかしら。お宅は結婚して何年目で子供ができたの」

圭子は、その気持を美千代に見破られないように、平然と訊ねた。


「いいえ、うちは子供ができたから結婚したの。できなかったら別れているところだったかもしれない。主人に逃げられないように子供を作ったって訳。圭子は結婚しても仕事を続けているけど、子供ができたらどうするの」。美千代は言った。


彼女は同じ部署の直美の話から、今回の圭子の結婚というものが、どういう手順を踏んだのか聞いてた。内心、圭子の結婚生活は長くは続かないと、美千代は読んでいた。

「わからないわ」圭子は、実際考えてみたこともなかった。


美千代は運ばれてきたコーヒーカップに口をつけて驚いた。

「あら、おいしい。このコーヒーおいしいわ」。

「へー、あなたコーヒーの味判る。ここのコーヒーおいしいって評判なのよ」。

「すごくコクを感じる。深みがあってすごくおいしいわ。圭子は感じない?」

「あなたのように、一口飲んで驚きはしなかったわ」


圭子は少し悔しそうに美千代をみつめ、そして話題を変えようとわざと聞いた。

「ずいぶんと若作りなかっこうしているけれど、どこに行こうとしていたの?」

美千代は四十台半ばだったはずである。

「街に買い物に行こうとしていたの。給料も出たじゃない」

美千代は妖し気に答えた。


その格好で本当に買い物なのだろうか、圭子は疑った。

「あら、邪魔しちゃったかしら」圭子は別に気にも留めずに言った。

「いいわ、あたしが自分で入ってきたんだから」

美千代が答えると、店内に静かにビートルズのイエスタデイが流れ始めた。美千代が何か話していたが、圭子は彼女の顔を何げなく見つつ曲を聴いていた。

彼女は美千代の話を全く聞いていなかった。


彼女の話が途切れ、我に返った圭子が彼女に聞いた。

「あなた、喫茶店はよく行くの?」

「だから子供ができるとそれどころじゃないの」

彼女は諦めた様に言うと、壁に掛かっている絵を見つめ

「素敵」一言いった。

そしてコクがあって、深みの感じるコーヒーを一気に飲み干し、店を出ていった。


圭子は、冷えたコーヒーを飲みながら「子供」という言葉を聞いて、ショックを感じた自分に思いを巡らしていた。

子供のことは、今まで考えたことはなかった。

二人で真剣に話し合ったこともなかった。


圭子は店を出るとタクシーを止めた。行き先を告げるとひげ面の運転手は少し嫌な顔をしたが、圭子は特に気にもしなかった。いつものことだ。

タクシーを降りてマンションへ向かおうとすると、保育園の子供たちが列を作って歩いている。どれもかわいい。


彼女は思わず「あの中から‶イッピキ〟さらって、自分のものにしたい」。

そんな欲求にかられていた。 

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