二周目:春。やり直しを決めました。

 私は混乱したまま、ひとまず部屋のクローゼットにかけてある制服に袖を通した。

 ……本当だ。一年も着ていたらツルツルに光ってしまうはずの真っ黒なセーラー服に白いリボンタイ。それは真新しいマットなままだった。

 そこでようやく私はスマホを見ようと手を伸ばしてみて、カレンダーを見て愕然とした。

 去年のカレンダーがかかっていて、4月の欄が開いている。4月5日の部分に丸を付けて【入学式】と書き込まれている……間違いない。夏休みじゃない。

 仕事でお父さんもお母さんもとっくの昔に家を出て行ってしまった以上、私も家事を片付けたら急いで学校に出ないといけない。

 ようやく頭のエンジンは温まってきたので、混乱はひとまず置いておいて、慌ててトーストとインスタントコーヒーで朝ご飯を済ませた。

 食器を全部食洗機の中に突っ込んだあと、パジャマを洗濯機に放り込んで洗濯を回す。洗面所で身だしなみを整えたら、急いで通学路へと飛び出していた。

 ……どうして? 私は混乱したまま、辺りを見回した。

 桜がちらちらと舞っていて、それを踏みながら歩く。

 私は高校二年生だったはずなのに、目が覚めたら高校一年生になっていた……いや、戻っていた? これって、高校二年生だった頃のことが全部夢だったの? 虫がよすぎるけれど、そう考えたほうが自然だ。だって、私は今は高校一年生だし。

 でも……。

 頭の中に浮かんでくるのは、篠山くんと瀬利先輩の熱烈的なキスシーン。しかも、ディープ。それを思い返すと、やっぱり気持ち悪くなって吐きそうになってくる。

 私はどうにか頭に浮かんだイメージを振り払おうと首をブンブンしてから、もう一度考える。

 ……こんなにはっきりと思い出せるのに、いくらなんでもこれが全部夢だったなんて思えない。むしろ、今のほうが私には違和感がある。

 靴が真新しいせいで、通い慣れた道を歩いているにもかかわらず、踵や爪先が痛い。桜の花びらを踏みながら歩いていたら「由良ー!」と声をかけられた。

 恵美ちゃんだ。


「この間まで受験勉強してたはずなのにねえ。一緒の高校に入れてよかったよかった」

「そ、そうだねえ、恵美ちゃんの彼氏とは離れちゃったけど」

「あぁん、まああいつは元々医学部行きたかったから、県立一本に狙いを定めてたからねえ。勉強頑張れってずっとアプリで応援してるからいいの」


 本当にいつもの調子で会話が済んでしまった。

 小学校からの付き合いだから、恵美ちゃんと話を合わせるのは簡単なんだ。

 なんとか私はいつもの調子で恵美ちゃんに話を合わせていたけれど、何故か一年前に戻っていた私と違い、彼女はなんの違和感も覚えていないようだった。


「ね、ねえ……私、好きな人に告白してたら……どう思う?」

「えっ!? あんたそういう人っていたっけ!?」


 恵美ちゃんは途端に食いついてきたけれど、やっぱり彼女は私が篠山くんに告白したことは覚えてない……いや、知らないみたいだった。


「う、ううん……なんでもない。そういう人に、会ったこと……なかったよね?」

「なに言ってるの、由良。もしあんたに初彼氏が出たら真っ先にお祝いしてあげるし、もしあんたをフるような奴だったら、すぐに諦めろって言うよ。見る目ない男なんて放っとけばいいんだからさ」

「あはは……ありがとうね」


 あまりにもいつもの恵美ちゃんだったことに、私はじんわりと温かい気分になる……だからこそ、少しだけ申し訳なかった。

 私が事故死してしまったあと、恵美ちゃんがあんまり自分を責めてないといいなと思った。もう死んでしまったあとのことは、私にもどうすることもできないのだけれど。

 ふたりでしゃべっていたら、やがて学校が見えてきた。

 市立で運動部がそこそこ強く、逆に文化部のやる気があまりない学校という印象だ。私は入学式で興奮した顔をしている恵美ちゃんを横目に辺りをそっと窺った。

 ……本当に、私は高校一年生に戻っちゃったんだなあ。昨日まで高校二年生だったはずなのに。やっと戻ってしまったことに実感を伴いつつ、私たちは校門をくぐった。

 校門の近くでは、先輩たちが部活のチラシを配っている。それをかいくぐりながら、クラスを貼り出されている看板の元まで歩いて行く。


「天文部! 友達や恋人と一緒に星を見ませんかぁ~!?」


 高らかな声で皆に笑顔を振りまきながらチラシを配っている人を見て、私はビクンと肩を跳ねさせた……まだ高校生のときの瀬利先輩だ。私が最後に見たときは化粧に私服で色気が増していたけれど、今は制服を着て、顔もすっぴんだ。それでも彼女が声を上げれば、皆が彼女にじっと視線を向けてしまう存在感を放っていた。

 彼女の放つオーラは本当に気持ちのいいもののはずなのだけれど、今の私には逆効果だった。どうしても篠山くんとのキスシーンが頭の中で繰り返し再生されて、喉から気持ち悪さがこみ上げてくる。

 私が口の中をもごもごしているのに気付いたのか、恵美ちゃんは心配そうにこちらに顔を寄せてくる。


「由良? どうしたの。顔、しんどそう」

「な、なんでもないよ、早くクラス見に行こう……座りたい」

「んー、そうだね。早く教室に行って座ったほうがよさげ」


 恵美ちゃんが天文部も含めてどの部活のチラシも「ごめんなさい」と謝ってくれたおかげで、どこの部活からも追いかけ回されることはなく、そのままクラス発表の貼り出し看板の前へと躍り出た。

 看板の前には、新入生がたむろして、自分の名前を探している。

 基本的にAクラスからCクラスは成績優秀者で決められて、二年生以降は理系クラスになる。DクラスからFクラスまでは普通の成績の生徒で、二年生以降は文系や就職希望で占められる。

 私は既に自分のクラスを知っているから、先にAクラスのほうを確認していた。


【Aクラス:篠山光太郎】


 そこに彼の名前を発見して、私は制服の上からぎゅっと胸を抑えた。やっぱり、彼はここにいるんだと思い知らされる。

 私がAクラスのほうを見ているのに、恵美ちゃんが笑う。


「さすがにあたしたちがそんな成績優秀者のところにいたらおこがましいって。ほら、あたしたちのクラスはDクラス! おんなじクラス!」

「う、うん。そうだね……」


 私はそう曖昧に返事をして、恵美ちゃんに引きずられるがまま、そのまま教室へと移動していった。

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