四季をめぐる私

スタジオぼっち

四季を巡る私


私はこの家の庭に、この家の南側の外壁を背にしてずっと鎮座しまま、もう十年になります。春も十回迎えたことになります。ただ、此処にいるだけではありません。私には結構重要な仕事があるんです。

 でも、春は比較的、暇です。夏と冬はとても忙しいいんですけど。

 隣の家のソメイヨシノの花びらが、そろそろ散り始めた頃のある朝、この家の中は、なんだか騒がしいです。私が此処に着た頃には、まだ2歳だった坊やの、中学校の入学式の準備のようです。


「詰め襟って、何だか息苦しいよ」


 坊やの声が聞こえてきました。


 それに答えたのかはわかりませんが、全身が茶色い虎縞の野良猫が、ニャーと鳴きました。生意気なことに、私の頭の上でです。

 この家の坊やは、この猫を何年も前からトラタロウと呼んでいますが、実は今のトラジロウは先代の息子なんです。そっくりだから気付いて無いかもしれないです。




 夏は私も暑いです。でも、よりにもよって私は熱い息を吐きます。地面で何かを啄んでいたスズメがキっと私を睨んだような気がします。先日なんか、蝶に睨まれました。虫も睨むんですよ。覚えておいてくださいね。


 それにしても最近の夏の暑さときたら、どういうことなんでしょう?家の中の人もイライラするのか、お父さんと、坊やが、口喧嘩しているのが聞こえてきました。


「誰に似たと思ってるんだよ!」


 坊やの声です。驚きました。そろそろ難しい年頃なんでしょうね。


 今年のツクツクボウシの鳴き声を、最後に聞いたのはその翌日でした。




 秋になりました。

 私にとっては、秋も比較的暇で楽ができるんですけど、なんだかここ数年、秋が短くなったような気がします。


 この家の西のお向かいさん、私から見て道路をはさんで右にある、平屋建ての家が取り壊されたのは春頃でしょうか?つい最近新しい家ができたようです。ところがこの新しい家、三階建ての二世帯住宅なんです。何か不満でもあるのかって?私から見てお向かいさんの家の向こう側にある楓の木、秋にはすばらしい紅葉を見せてくれたのですが、三階建ての家が建っては見えるはずも有りません。毎年、楽しみにしてたんですよ。


 そんな時、家の中から坊やの声が聞こえてきました。


「お父さん、家電ってのはね。古いのを無理に使うと電気代が、かかるんだよ。フケーザイなんだよ。だよね?お母さん」


 何の話でしょうか?でも坊やとご両親の関係は良さそうです。


 その次の日の昼頃、小雨が降った後でしょうか?かなり強い西風が、ビュウと吹き、あの楓の赤い葉が何枚かが、この家の庭に飛びこんできました。そして、私の頭の上に、その内の一枚が少し濡れている私の頭の上にピタリとくっついたのです。あの楓の木が西風に頼んで,私に赤い楓の葉の絵葉書を送ってきてくれたのかもしれません。




 今日はクリスマスイブの前日の朝方です。つまり十二月二十三日ですね。

 寒いです。今年の冬は特に寒いので、私は大忙しです。寒いときには更に冷たい息を私は吐き出します。この庭の住人や、通りすがりにとっては迷惑なんでしょう。通りすがりのトラタロウが私をうらめしそうに睨みつけてきました。


 寒い、寒いと思ったら、雪が降ってきました。これは積りそうです。この家の庭にある柿の木や、椿の木の枝枝に雪が積み重なっていきます。夕方になると小さいながら、一面の銀世界になりました。


 「学校の校庭もそうだったけど、家の庭も雪でいっぱいだ」


 この家の坊やが驚いています。そういえば、こんなに雪が積もったのは、坊やが物心ついてからは、初めてなのかもしれません。

 長靴をはいた坊やは庭で雪を転がし始めました。雪だるまを作るのでしょうか? サッカーボールぐらいの大きさの雪玉が出来ました。それから別の雪玉を作り始めました。最初の雪玉より少し小さいようです。坊やは、その小さめの雪玉を最初に作った雪玉に乗せました。のっぺらぼうですが一応、雪だるまが完成しました。目や鼻や口はどうするのでしょうか?坊やが何だか試案しているように見えます。


 その時、あ母さんが坊やを呼ぶ声が聞こえました。どうやら夕食のようです。続きは明日ということなのでしょうか?


 庭にはのっぺらぼうの雪だるまが残されました。雪はもうやんでいますが、とでも寒いので、溶ける心配はまだ無さそうです。


 もう日は落ちて、あたりはすっかり暗くなっています。


 チュン


 いつか私をにらんだスズメが、飛んできました。柿の木の枝にとまって、珍しそうに雪だるまを覗いています。


 ニャン!


 トラタロウもやってきました。冷たい雪を踏みしめるのは苦手なようです。少し距離を保って、しげしげと雪だるまを観察していいます。

 私はなんだか、そわそわしてきました。何でしょう? 何かがおこりそうな気がするのです。




「わあっ!」




 いきなり、雪だるまが声を上げました。スズメはびっくりして翼をバタつかせました。トラタロウも驚いたのか、飛び上がりました。


「いっぱいの星だ!」


 そう言われて、私も空を見上げました。凄い!満天の星空です。なんだか星々が私達がいるこの世界に近づいて来たような気がしました。その気になれば、星を手でつかめるかもしれません。トラタロウも同じ気持ちなのでしょう。星を掴もうと手を振り回しています。


「ハジメマシテ!こんばんは」


 びっくりしました。雪だるまの挨拶です。


「あっ!は、はじめまして」


 私も慌てて答えました。


「凄い星空ですね。今、確かに僕の中にあるモノは、これを観るためだけに生まれたのかもしれません」


「あなたの中にあるもの?」


「ココロ」


「え?」


ココロ


「スズメさんや、猫さんの中にもありますよ」


チュン!


ニャッ!?


「そして、もちろん貴方の中にもありますよ」


「え!」

私は動揺しました。


 私は、私にもしも手があるのなら、その手を私の胸にあてたでしょう。

 ココロというものが、私のなかにあるのでしょうか?だって、私は…私は…


「今日はクリマスイブですね!」


 雪だるまが言いました。

「え!ええ、そうですよ」

 たった数分前に生まれたココロなのに、そんなことも知っているのでしょうか。


「皆さんとイブの夜を迎えられたら、いいな」


チュン


ニャー


「はい、そうだ、きっと坊やが貴方に目や鼻や口、腕。それに、もしたら帽子もつけてくれるかもしれません。きっと楽しいクリリスマスイブになるでしょう」


「楽しみです! …でも、ちょっと疲れました」

「貴方の中に生まれたココロが嬉しさのあまり、はしゃぎ過ぎたのかもしれません?」

「そうかもしれません。オヤスミナサイ…もう寝ます」

「はい…」

 のっぺらぼうの雪だるまが、目を閉じたような気がしました。

私には、そう思えました。

 


 しばらくすると、日が昇って来ました。なんだか冬にしては温かい朝です。冬にしては生暖かい風がこの庭に押し寄せてきました。雪だるまから水がしたたり落ちました。



「雪だるまさん!」


「…………」


 私には、かすかにそこにココロがあることが感じられました。スズメもトラタロウも、溶けて、段々と小さくなっていく雪だるまを凝視しています。


「…」


「 」


 ココロがいなくなりました。確かにそこにいたココロが消えたのです。


 雪だるまが、のっぺらぼうの小さい雪だるまが、グシャリと崩れたのは、その直後でした。


 私は泣いたのか、泣かなかったのか、自分の事なのにわかりません。

だって、私は涙を流すことはできないし、涙をぬぐう手も無いのですから。





そして最後の春


 ソメイヨシノの花の蕾達がそろそろ開くかという頃の、ある日の朝。まだ朝方は肌寒いようです。この家の坊やの声が聴こえてきました。


「このエアコン、スイッチ入らないよ。壊れちゃったみたいだよ。母さん」


 ふと気がつくと、私は停車しているトラックの荷台の上にいました。トラックのすぐ後のアスファルトの上に座っている猫のトラタロウが見えます。道路わきにある満開のソメイヨシノを覆いつくす花々から、ひょっこりと顔をだしたスズメもいます。


 トラックが走り始めました。私はカタカタと揺れる自分の体を感じていました。トラタロウが追いかけてきます。桜の花々の間から飛び出してきたスズメも追いかけてきます。トラックはどんどんスピードを上げます。トラタロウもスズメもどんどん離されていきます。

 私は何処へと運ばれているのか?ええ、見当はついています。だって、だって…私は、


 壊れたエアコンの室外機なのですから。


 そんな私の中にも、


 ココロ


 と呼んで良いものがあったのかもしれません。やがて失われていくものだとしても。消えていくものだとしても。


 私は、私を載せているトラックが走る道の満開の桜並木から散っていく桜の花びらたちを見ながら、空にある一筋の、ひこうき雲を見ながら、鳥たちが奏でる歌声を聞きがら、自分のココロが少しずつ消えていくのを感じていました。


 私が見たもの、聞いたもの、感じたもの。その記憶も私のココロと共に消えていくのでしょうか……







ソメイヨシノの木々がすっかり葉桜になりかけかという頃の朝、哲哉は学校へと向かうため、玄関で自分の足を靴の中にすべりこませた。両足が靴に収まると同時に

すくっと背を伸ばした哲哉のココロは、どうしようもないほどに、何かに揺さぶられた。

 何かが、誰かが?じっとずっと自分を見守っていた存在が消えた?どこかへ行っていまった?そんな、ぼんやりとした疑問が、確信に変わったのを哲哉は感じた。どうしようも無い喪失感が哲哉を襲った。


「何、泣いてるの?哲哉?」

 二歳年下の妹の遥だ。


「泣いてないし、泣いてないし……それに哲哉って呼ぶな、お兄ちゃんだろ」

「あ、そういうのいいから」


「どうしたの?」


 母さんだ。


「哲……お兄ちゃんがね、何だかナイーブな感じなの」 

「どうしたの?哲哉?」

「何だかわからないよ……でも、僕は何か大切なものを失ったみたいなんだ」

「大切なものって何なの?」

「わかんない、わかんないよ、母さん」

「メソメソ哲哉!」

「うっさい!」


「遥、今日から貴方も六年生でしょう?準備は出来たの?それから…」

 母さんは、僕の方に振り返った。


「哲哉」


「……はい、母さん」


「今日から、そう今日から、もう哲哉は中学二年生なのよ」

「うん……」

「哲哉は何かを失ったかもしれないけれど、それは、哲哉、貴方が乗り越えなくはいけないものだと思うの」

「……う、うん」

「私、母さんも、今の哲哉の年頃ぐらいに同じような気持ちになったことがあるの」


「え!」

 これは遥だ。


「でも、でもね……」


「ゴメン、母さん!」


「え?」


「僕は行くよ。たかだか中学一年生が、二年生になるだけの話だもん。お父さんは、もう一時間前ぐらいに出社してるんだよね…」

「そうね、もう一時間前じゃなくて、二時間前にね。哲哉と遥を起こさないように、そっと出かけていったわ」

「…そうなんだ…あ…うん」


 哲哉は玄関のドアを開けた。フワッと春の香りが家の中に舞ってきたような気がした。哲哉は、母さんと遥に向けて、振り返った。





「行ってきます」  




 





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