第6話 木曜日
「サクラ、私頑張るからね……」
私は心の中でそう呟きながら、お墓の前で手を合わせた。
カイトも私を真似て目を閉じ手を合わせた。
お線香の煙が風に乗って私とカイトを優しく包みこんだ。
サクラに優しく背中を押された気がした。
サクラは大学四年の夏に亡くなっていた。交差点の横断歩道で信号待ちをしている時に、猛スピードで突っ込んできた飲酒運転の車に跳ね飛ばされたのだ。
疎遠になっていたのは、私が結婚したからではない。サクラがあの世に旅立ったからだ。
私は何故かそんな大切な事をすっかり忘れていた。いや、忘れていた訳ではない。忘れられる訳がない。それなのにサクラが月曜日クリニックで私の目の前に現れたとき、彼女がそこにいることを私は何の疑問も持たず、何故かすんなりと受け入れた。という方が正しい。
火曜日に送られてきたラインも、昨日掛かってきた電話も私は何の躊躇いもなく受け入れていた。
月曜日クリニックで会ったサクラは、もうこの世の物ではなくなった彼女の幽霊だった。
セリナが、サクラの幽霊が現れたのはすべてこの街のあの世とこの世の境界が曖昧になっているせいなのではないかと言った。
さらにセリナは、バケモノが私を陥れるためにサクラの霊を利用したのではないかとも言っていた。
バケモノは恐ろしいほどに狡猾に私の心の暗部につけ込もうとしていたのだ
サクラは医療機器メーカーに就職の内定を貰っていた。
サクラと私は高校時代よく話し合っていた。
主婦になるよりも社会に出て働き続けたいねと。
私たちはそういうタイプだよねと。
放課後駅前のドーナッツショップに何時間も入り浸って。
クリニックに現れたサクラが、キラキラと輝いて働いている姿を見せてくれた事は私にとって救いになったと今は感じている。
たとえそれが、私の中にある後悔とコンプレックスを刺激して陥れるためにバケモノが仕組んだ事だとしてもだ。
生きていたらサクラはきっとあんな風に輝いていたに違いない。
私はそう確信している。
私は心に決めた事がある。
マサヒコと離婚をして、一人でカイトを育てていく。
いつまでたっても煮え切らないあんな男は放っておいて、さっさと私だけで前に進むことにしたのだ。
私はこれから就職先を探すことになる。
決して楽な道じゃない。困難な道に決まっている。
それでも私はその困難に立ち向かっていく覚悟を決めた。
各方面、色々な人たちや制度の助けを借りながらカイトと一緒に幸せになると私は決めたのだ。
もう心の中ににバケモノが入り込んでくる余地がないくらいに強くなりたい。
いやならなければならない。迷いを振り切って。後悔もコンプレックスと上手く共存しながら。
私はカイトの小さな手をぎゅっ強くと握った。
この手が立派に大きくなるまでママ頑張るからね。
そんな思いを込めて。
〈第三章『産まなければよかった』おわり〉
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