おにはそと

佐々井 サイジ

第1話

 さっきまで聞こえていたお父さんとお母さんの声が聞こえない気がして顔を上げた。スマホゲームのしすぎだと叱られる気配を感じた。でも振り返るとお父さんは鬼の仮面と赤いタイツを両手に抱えていた。テレビを見る弟に背を向けながらリビングのドアを開けて玄関に向かっていった。スマホの時計には〈2月3日(土) 19:56〉と表示されている。紺色のシャツに薄い茶色のズボンといういつもの格好から鬼に変身する時間がやってきたらしい。四歳の弟を楽しませるために。


 筒井家では毎年節分はお父さんが鬼になって家族で豆を投げつけるのが恒例だ。お父さんもお母さんも節分の日が平日だと、意地でも仕事を終わらせて早めに帰ってくる。仕事が終わらないと次の日に仕事を溜めるらしい。僕なら宿題をやらずに次の日にまとめてやったら先生に怒られるのに、大人は大丈夫なのかな。だとしたら早く大人になりたい。


 クリスマスもやっぱりお父さんはサンタの服を着て口の周りに白い付け髭をつけて変身した。その恰好はお母さんと僕しか見ていないのに、サンタお父さんはつま先を立てながら寝ている弟の枕元にプレゼントを渡す。とにかくイベントが大好きなお父さんだ。


 僕が楽しみじゃなくなったのはいつからだろう。小五のクリスマスにスマホをプレゼントしてくれたときからかもしれない。スマホは楽しい。いろんなゲームが無料でできる。お父さんとお母さんはテレビゲームを買ってくれないから、その分スマホにのめり込んじゃった。だから豆まきに参加する時間も惜しい。というかスマホが無くても豆まきはもう面白くないと思う。


「太一は豆まきしないの?」


 すでに豆の袋を破ろうとする弟を制しながらお母さんは言った。


「僕はいい」


 鬼に変身したお父さんに豆をぶつけるよりもソファーで寝ころびながらスマホゲームをしていたい。いつもはお父さんもお母さんもスマホゲームのやりすぎだと怒ってくるけど今日は節分に沸く弟で精いっぱいで僕にかまう暇がない。僕は僕で今日はガチャでレアが出やすい日だからこのチャンスを逃すわけにはいかないんだ。


 玄関からドンという音が聞こえてきた。昨日、お父さんが「着替えたら音を出す」とお母さんに言っていたのを思い出した。


「鬼さん来るかな」


 お母さんが弟に言った。


「ぜったいくるよ。だってね、きょねんもきたもん。いっぱいおまめさんなげる」とお母さんに抱きつこうとしながら弟は言った。なんだかんだスマホゲームより向こうの遊びが気になってしまう。


「あれ? ドアの向こうに何かいるよ!」


 お母さんが弟の背中を叩いた。すりガラス越しに鬼の仮面をつけたお父さんが立っていた。ただ赤いタイツは履いていないみたいで、体に黒い輪郭がぼんやりと映っている。

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