第36話 ルナと月の涙

【前話までのあらすじ】


ライスたちは無事にキャスリンの港町タコバに到着した。タコバで見かけた白装束の二人組に対するスレイの反応が気になるマイル。マイルの元密偵としての勘がスレイを警戒すべき人物と告げていた。マイルはスレイの秘め事を暴こうと思っていた。


【本編】


 マイルがスレイと行動を共にしたのは、彼がキャスリンの国に来た本当の目的を探る為だった。


 そして、何かに囚われているスレイに対して『もし困っているのなら彼の力になれることはないだろうか?』柄にもない親切心がマイルの心に芽生えてしまっていたからだ。


 「フフフ、まったく.. ロスさん、あんたのせいだぜ」マイルはポツリと呟いた。


 そんな小さなつぶやきを聴覚が鋭いオレブラン(獣人)のスレイが聞き逃すはずがなかった。


 「ロス・ルーラさんて、どんなひとですか?」


 独り言を聞かれていたことにマイルは顔が赤くなった。


 「ば、馬鹿野郎、そういうのは聞こえてても聞こえないふりするもんだ。これだからガキは困る」


 「ごめんなさい」


 「 ..ロスさんのことをなぜ聞く?」


 「うん。マガラ国にいた時もアシリアやギガウさんの会話から時々聞こえた名前だし、船の中でもライスさんやリジさんの会話から聞こえた。それにあなたも今」


 「そうか。俺たちはみんなロスの旦那を中心に集まったんだ。みんなそれぞれやっかいな性格をしていて、人と関わるのが下手な連中さ。でも、そんな俺たちがあの人のもとに集まった。俺なんて短い付き合いだったけど、確かに感じたんだ。あの人は悲しみや苦しみを抱える人に手を差し出して、それぞれに目的を与えてくれる人なんだってな。可哀そうだとか言いながら上から覗き込むような偽善者を俺はたくさん見てきたが、あの人は言葉だけの連中とは違う。隣を歩いて導いてくれるような人だった」


 「そうなんだね.. 僕も会ってみたかった」


 あいづち、社交辞令、スレイの言葉はそういうものではなく、本心から不意に出た返事だった。


 「 ..知っての通り俺はこの国の密偵をしていた。情報収集の為に他国に潜入し、話せないような汚い仕事もしてきた。そして.. うんざりした俺は脱けた。それから俺はこの国の御尋ね者さ。国の秘密を知りすぎているからな。過去の俺は自分の身を第一に生きて来た。でも、今はな、少しだけ人を思いやる気持ちができた。スレイ、俺の心の中にもロスさんはいるんだ。お前がここに来た理由を教えてくれないか?」


 「 ....」


 「まぁ、旅は長い。いつでも—」


 「さっき.. さっき白い服をきた二人組いたでしょ。あの二人はルーナ国『月の鏡』教団の信者だ。あの人たちはあるものを探しにここへ来ているんだ。そして、僕がここに来た理由もそれと同じなんだ」


——

 僕は最果ての森のオレブラン(獣人)。オレブランはエルフとも人間とも違う毛の生えた耳と尻尾がある獣人だ。


 『人はオレブランを嫌っている』


 僕たちオレブランは昔から村の教えに従って、人里に近づく事を禁止されていた。


 でも、僕は森だけじゃなく世界を見たかった。両親の反対を押し切って、村を飛び出したんだ。


 いろいろな村や国を渡り歩いたよ。


 僕にはどこもが夢の国のようだった。


 生活するのに苦しくても僕に生きている実感を与えてくれるものだった。


 そして辿り着いた砂の王国マガラ。僕がマガラ国の生活にも慣れたころ山岳の国ルーナへの冒険に出かけたんだ。


 人間なら登れないような急な崖も僕らオレブランの足なら簡単に登ることが出来る。


 近道を知った僕は何度もルーナ国を訪れては、そこの文化や料理を楽しんだ。


 そしてルーナ国の頂上、天を刺すようなナイフ岩の上に満月が差し掛かる時、ルーナ国の祭事が始まった。


 それはナイフ岩の頂上にこぼした『月の涙』を天に感謝する祭りだったんだ。


 祭りも終わり夜が静まったころ、僕の好奇心は抑えがきかなかった。


 『いったいあのナイフ岩の頂上には何があるのだろう? あの頂上で輝いていた「月の涙」とはどんなものなのだろう?』


 険しい崖を登っていくと途中から階段が整備され『月の鏡』と呼ばれる教団の施設があった。既に灯りの消えた施設を通り過ぎ、さらに上に昇ると崖岩が洞窟になっていた。


 くねくねと曲がる洞窟を歩いていくと広間にでた。床は平らに整備されヤワライ草を編んだ床材が敷き詰められていた。


 その広間の向こう側に、町の人が言っていた『月の涙』が収められた社がある。


 僕が広間に足を踏み入れた時だった。


 「誰? そこに誰かいるの?」


 持って来たランプに火を灯すと、そこには質素な白いワンピースを着た女の子がいた。


 「教団のひと?」


 僕は女の子の目の前で手を振ってみた。


 「教団の人ではないのね。今、私の眼が見えるか確かめたでしょ? 」


 「ぼ、僕はスレイ。君は何でこんな場所にいるの?」


 「私はただの月の巫女。ここにある『月の涙』に感謝する役目を果たすためにいるの」


 「君、目が見えないの?」


 「私たち巫女には目は必要ないもの。『見るなかれ。思うなかれ。思いは涙を枯らす』。」


 「何それ?」


 「月の巫女に代々伝えられる言葉よ」


 彼女には名前がなかった。幼少のころ薬によって視力を奪われ、すぐにこの広間で暮らすことを強いられた。


 彼女にとって、その広間だけが世界だった。


 僕の体は熱くなった。それは他人事とは思えない憤りだった。僕はオレブランと彼女を重ねたのかもしれない。小さい頃から『最果ての森』から出ることを禁じられていたオレブランの掟。


 でも、僕はそこから飛び出した。


 僕は彼女に自分がオレブランであることを告げた。彼女に『僕の耳に触ってごらん』といっても彼女は触ろうとしなかった。


 僕はこれまでの旅での出来事を彼女に聞かせた。


 しかし、彼女は返事をしてくれなかった。


 いつの間にかナイフ岩に朝の薄日がかかり始めていた。


 「もう、朝になっちゃった。ねぇ、また君に会いに来ていいかな?」


 「私に会いに? それだけなら別にかまわないけど..」


 それから僕は連日彼女に会いに行っては旅の話をした。彼女はそれを聞いてはいたが、返事を返してくれることはなかった。


 それでもよかった。彼女にも世界は広いという事を知ってほしかったからだ。もちろん、彼女が「嫌だ」と拒否すればすぐにやめるつもりでいたんだ。


 でも、返事はしなくても彼女は耳を傾けてくれる。


 いつしか、僕は彼女のことをルナと呼んでいた。ルーナ国のルナだ。


 僕がルナの広間に遊びに来ていたことは、世話係の人は知っていたようだ。でも、その人たちも内心はルナのことを不憫に思っていたのだろう。気づかないふりをしているようだった。


 いつしか、僕の中でルナの心を縛る『月の涙』が許せなくなっていった。


 いったい『月の涙』とはどんなものなのだろう。いっそのこと盗んでしまえば彼女は自由になるのではないか?


 僕は『月の社』に向かった。


 「スレイ、スレイ! 何をする気?」


 「何もしないよ。ただ、君をここに閉じ込める『月の涙』ってのに文句が言いたくてさ」


 「ダメ、ダメよ、スレイ。『月の涙』に近づくことが許されるのは私たち巫女だけなの」


 「大丈夫だよ」


 その時、僕はわかっていなかったんだ。なぜルナが眼を塞がれ、世界から隔離されていたのかを。


 社の扉を開くと、美しい刺繡が施された布、その上に鎮座する黄金に輝く宝石があった。


 「お前が『月の涙』か。お前のせいでルナは閉じ込められているんだ。お前なんか.. お前なんかここに無ければよかったんだ!」


 その時、『月の涙』が強く光った。僕は気を失ってしまった。


 「スレイ、スレイ。起きて」


 目を覚ますと手の平から血を滲ませたルナがいた。岩を手探りにここにまで来たのだ。


 「スレイ、『月の涙』をどこへやったの?」


 布の上から『月の涙』が無くなっていた。


 「わ、わからない」


 「スレイ、もしかして『月の涙』の前で何かを願ったんじゃない?」


 「僕は.. 『月の涙』さえ無ければルナが自由になるって..」


 「 ..そう。私のことを想ってくれてありがとう。きっと『月の涙』はスレイの願いに応えて消えてしまったのかも。ねぇ、スレイ、私が想いを口にしなかったのは、『月の涙』が私の願いに応えてしまわないようにするためだったの」


 「そんな.. ごめん、ごめんなさい」


 「いいの。私はうれしい。『月の涙』は本当の願いのみを叶えると言われているのよ。そしてその願いと引き換えに姿を消してしまう。私はスレイが心から私のことを想ってくれたことがうれしい。でも早く逃げて。きっと教団は、いや、ルーナ国はあなたを許さないかも」


 「でも、君は?」


 その時、初めて彼女は表情を顔に浮かべた。それはとても素敵な笑顔で言ったんだ。


 「私なら大丈夫。スレイ、今までありがとう。あなたの話はとても楽しかった。さようなら」


 異変に気が付いた教団の信者の声が階段から聞こえてきた。


 僕は、その場から逃げてしまった。


 マガラ国に逃げ帰ると、自分の罪の意識で押しつぶされそうになった。


 だけど、その日のうちに僕の家にルナの世話係のひとがやってきた。


 自首をしようと考えた。全ては僕が招いたこと。ルナには一切関係ないと証言しようと思っていた。


 「スレイさんですね。私は幼い頃より『月の巫女』の世話をしているリセルと言う者です。私はあなたのことは知っていました。スレイさん、今はまだ『月の巫女』の身は安全です。私たちが事実を隠避します。ですが、次の満月の夜になれば、司祭が知ることになるでしょう。もしもルナ様を救いたいのであれば、次の満月の夜までに『月の涙』を見つけるのです。あなたの能力で。どうか頼みます」


 そしてそれから10日経った頃、王家のザイドから有力な情報を聞いたんだ。島の王国キャスリンの町で店先のホウキが突然光輝いたと。


 『スレイさん、人のもとにある「月の涙」は絶えず姿を変えてしまいます。ルナ様の匂いを辿ってください。今はそれしか方法がありません』


 世話係リセルの言葉を信じるなら、島の王国キャスリンに行くしかない。


 僕はケロットの港で、貨物船に乗り込む方法を考えていた。


 乗船を断られたアシリアとギガウさんを見かけたのは、そんな時だった。

——


 「なるほど.. スレイ、よく話してくれた。お前が『形のない宝石』を耳にした時、表情が変わった理由がよく分かった」


 「きっと同じなんだ。あなたたちが探しているものと『月の涙』は」


 「まぁ、そうだろうな。だけどな、俺は今、お前の味方だぜ。どうだ、今の話をライスとリジに話してみろよ。彼女たちはきっとお前の力になってくれるに違いない。なぜなら彼女らはロス・ルーラの意志を継いでいるからだ」


 かつてロスがやったように、マイルはスレイに手を差し出した。


 そしてスレイと固い握手をしたのだった。

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